第3章43話 哀しき矜持
「それではレティシア嬢からの指名依頼という形でなら、ベヒモス討伐に行ってくれるのか?」
少し遅めの朝食を取ってから、ニースィア冒険者ギルドにやって来ていた。
いつものネコ耳の受付嬢ニーナに、打ち合わせのとおりレティシアから【ミスリル☆ハーツ】への指名依頼を申請してもらった。
そしたら、突然のように悲鳴を上げたニーナに連れられて、いつの間にかギルドマスター執務室へと連れ込まれてしまった。
当然、目の前のソファに座っているのは、ギルマスで元Sランク冒険者なダークエルフのリアーヌな訳で。
柄は違うがいつも通り真っ赤なチャイナドレスを着て、ワザとなんだろうけど長い脚を組んで腰まであるサイドの深いスリットから、太腿だけでなく黒い下着の紐を見せびらかしている。
「ええ、そうよ。ただし、そのためにはギルドの発行している、私達に対する指名依頼を取り消してもらわないとね」
「それは可能だ。私としてはお前達が冒険者ギルドのニースィア支部の一員として、その力を一般の冒険者達に見せつけてくれさえすればそれで構わない。
だが、急にどうしたんだ? もしかして、副ギルマスというか、クライトマン侯爵家絡みなのか?」
同じように綺麗な細脚を組んで手をヒラヒラとさせるアリスに、ギルマスは眉を寄せる。そして、黙したままのレティシアを睨みつけるようにしてしまう。
今日のレティシアは、侍女のクラリスが用意して着替えてもらっている。
上品な白いブラウスに棒タイ、紺色タータンチェック柄のボックスプリーツに裾レースの付いたミニスカートで黒のニーソとハイカットブーツを履いている。
まるでどこかのお嬢さんのようだ。いや、ガチでお貴族様のお嬢さんなんだが。
俺が長々と正座させられているリビングに帰って来た時には、驚いた顔をしていた彼女だった。
それでもこれまで見たことも無いアリス・プロデュースの異世界コーデに、みんなと一緒だと嬉しそうにアクアマリンの瞳を細めて微笑んでいた。
そんな彼女も今は少し緊張気味に、それでもいつも通り毅然としてソファに座っている。
純白のブラウスの胸元が若干きつそうなのと、ミニスカートとニーソの間のわずかな隙間で露わになった太腿が眩し過ぎて。
良い家のお嬢さんが、いいのかこれで? いや、何でも無いです。
「まあ、そんなところよ。今回のベヒモス討伐は副ギルマスも、騎士団も関係ないところで密かに遂行されることになるわ」
「ほお~。おいニーナ、これはどうゆうことだ?」
ギルマスのリアーヌは眉間に皺を寄せたまま、視線を隣に座るネコ耳の裏の実力者ニーナに向ける。
頼られたことが嬉しいのかニーナは可愛く微笑みながらも、口元だけはニヤァ~と耳まで裂けていく。
「うふふ。もお~、リアーヌ様ったらぁ。これが実現されると、貴族派の連中の面子が丸潰れになりますねぇ。勿論それだけでは済まないでしょうけど?」
「ええ、奴等がこのニースィアの街に帰還した時には、公爵家に楯突く貴族派の連中には根こそぎこの公爵領からいなくなっていただくことになっています。
そして何より、これは公爵様のご指示による作戦行動になります」
同じくニヤァ~と月の形に唇を歪ませた侍女筆頭クラリスは、どうやったのか王族別荘を出るまでの間に公爵との話し合いを完了させてしまっていた。
それを聞いたギルマスも今度は良く理解できたようで、長い褐色の耳をピクピクとさせて、同じように綺麗な顔をニヤァ~と悪い笑顔で歪めて見せる。
「そうか、公爵が。まあ、ギルドとしても、虎の子のBランク冒険者である竜人族をむざむざ殺されたのだ。元々このまま終わらせるつもりは毛頭無かったからな。しかし、何故この時期なのだ?」
「王都で国王派が弱体化した今を狙って、騎士団と冒険者という武力を背景に、領主である公爵家に対して、貴族派への寝返りを強要しようとすることは反逆罪に当たります。
公爵様としては、結果的にもニースィア領の戦力を無駄に消耗させることになった、今回の貴族派の軽挙妄動は到底容認できません。
戦力として計算できずに、むしろ作戦の阻害要因にしかならない領内の貴族派の連中は、帝国との戦争が始まる前に処分することを決断されたということです」
メガネの縁をクイッと上げると、低い声でクラリスがレティシアのことを除いて必要最低限の情報だけを伝える。
すると、裏ギルマスのニーナもネコ耳をピクピクさせて、低い声でつぶやく。
「後はこちらの方が早くなるかもしれませんが、近々【魔王】討伐隊が編成されるはずなので、その前に領内を綺麗にしておきたかったのでしょう」
「【魔王】だと! やはりあの噂は本当だったのか? 異世界からわざわざ【魔王】を召喚するなど、国王陛下は何を考えているのだ! あ、いや、そう言えば、【魔王】はお前達と同じ異世界召喚者だったな」
未確定情報だろうからギルマスも詳細は把握しきれていなかったようだが、やはり【魔王】高堂先輩のことは噂になっているようだ。
すると、手をヒラヒラと振りながらアリスが言い返す。
「【魔王】のことよりも、今は目の前のベヒモス討伐よ。指名依頼を受領してくれたら、私達は明日の朝には出発するわ。
早ければ二日ほどで問題の鉱山には到着することができるはずよ。まだ、坑道の中にいるみたいだから、外に出て来る前に叩くわよ」
「すぐに受領処理は終わらせておく。ついでに、それとは別にベヒモスの討伐依頼も出しておくさ。ところで、ベヒモスは【猛毒】をはじめ多くの状態異常スキルを持っているから、十分に気をつけるんだぞ。
ついでと言ってはなんだが、お前達も知ってる私の【奴隷】のダークエルフの元Bランク冒険者の女なんだが、一緒に連れて」
「行かないわよ。あんな弱っちいの、足手まといにしかならないじゃないのよ。それとも、ベヒモスの餌にでもするつもりなの?」
またギルマスが余計なことを言い出すので、アリスがピシャリと遮る。しかし、ギルマスが今回は何故かしつこく頼み込んで来る。
「そこを何とかならないだろうか? 勿論、今回の試用期間の報酬は出すし、奴に何かあっても」
「どうしてそこまでするのよ? 同族ってだけじゃ無いんでしょ?」
「そ、それは――」
口篭もって俯くと、元Sランク冒険者のギルマスは悲しそうに黙り込んでしまう。組んでいた美脚も、大人しく揃えられていた。
すると、見かねたのかネコ耳をペタンとした受付嬢のニーナまでが、ペコリと頭を下げて。
「私からもどうかお願いします。お邪魔にならないようにさせますので、なんとか」
「はあ~、分かったわよ。その代わり、私達から離れて動向を観察するだけ。と言うなら、連れて行ってあげるわ」
「も、勿論! あ、ありがとうっ、ありがとうね!」
ガバッと前のめりになったギルマスのリアーヌが、アリスの両手を掴んでブンブンと振り回す。
その金色の瞳は涙を湛えている。苦笑しながらも、優しい笑顔でネコ耳の受付嬢ニーナがハンカチで目元をそっと拭いてやるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それじゃ、明日には出ることになるのね?」
冒険者ギルドの後に俺達は、ニースィアの路地裏の城壁傍に設置した【砂の城】に寄っていた。暫くは来れなくなることを、孤児院の面々に伝えるためだ。
椅子に座ったまま綺麗な純白の翼を震わせるセレーネに、アリスがいかにも軽い調子で簡単なことを言うように肩を竦めて見せる。
「ええ、【ミスリル☆ハーツ】のメンバーは全員出ることになるし、その間は護衛がいなくなるからミラとクラリスもこっちには来れなくなるわ」
「そう。怪我しないように、気をつけて行って来てね」
それでも心配そうに眉を下げてしまうセレーネに、できるだけ明るい口調でお道化たように笑う。
「ああ、防壁魔法もあるし、いざとなれば転移魔法もあるんだから逃げ帰って来ることぐらいはして見せるさ。だから、セレーネさんは体調に気をつけてゆっくり休んでいるんだよ?
後は孤児院の子供達の面倒をよろしく。回復薬とか治療薬はエマが用意できるからさ。エマもエンデもセレーネさんと子供達を頼むね」
「うん、お兄ちゃん。エマにまかせて! ちゃんとエマが、みんなのめんどうをみるからね?」
小さなふたつの握り拳を胸の前に持って来て、ふんす、とエマがそのぺったんな胸を張って見せる。嬉しそうに紅い瞳を細めたルリが、優しい笑顔でアッシュブロンドのエマの頭を撫でる。
「うふふ、それじゃあエマちゃんにおまかせしますから、よろしくお願いね?」
「うん、まかせて。それに売る分は作り置きの低級回復薬もあるし、薬草の在庫もまだ沢山あるから大丈夫だよ? ルリお姉ちゃん。えへへ~」
嬉しそうに青い瞳を細めたエマが、にへら~と微笑むので、「もお~、可愛いんだからぁ」と抱きついたルリが頬擦りを始めてしまう。
エマも「もう~、お姉ちゃんったら~」とくすぐったそうにして満更でもないようだ。
「ええ、任せておいてね」
すっかり孤児院の専属職員のようになってしまった、娼婦のエンデもにこやかに微笑んで、ポフッと男前にとっても豊かな胸を叩く。
「皆さんは孤児院の経営もされていたのですね?」
ふと我に返ったように、赤ちゃんのニコラを豊満な胸に包み込むように抱いたレティシアが、心から感心したようにつぶやく。
すると抱かれていたニコラが、手探りでふっくらと柔らかくボリュームのある彼女の胸に口を付けると、必死に吸おうとし始める。
「ああ、ごめんなさいね。お乳は出ないのよ。お腹が空いたのかしら? 困ったわ、どうしよう」
「ふふふ。レティシア様、ニコラは私が抱いても同じように胸を咥えようとします。乳飲み子の本能のようなものなのでしょう。
粉ミルクはさっき飲ませてあげましたから、お腹は大丈夫だと思います。
赤ちゃんは乳首を咥えていると安心するらしいので、これを咥えさせてあげてくださいね」
レティシアが優しく赤ん坊のニコラを胸に抱いて揺すりながら困っているので、セレーネが慈母のような微笑みを浮かべて俺が錬成した柔らかいシリコンゴム製おしゃぶりを渡してあげる。
「ああ~、なるほど。そうでしたか。ほらニコラ、おしゃぶりですよ。わあ、凄い勢いで咥えて、チュパチュパ始めてしまいましたよ。うふふ、可愛いですねぇ?」
まだ15才だというのにその豊かな膨らみの胸に赤ちゃんを抱くレティシアは、西洋絵画で描かれていた幼い聖母のようで。その姿はあまりに神々しい。
でも、今朝のこともあってか、何故かどことなく肉感的でエロく見えてしまうのは、俺の心が余りに濁っているからだろう。
はっ、いかんいかん。ルリとミラのジト目が怖いんですが。
「そ、そう言えば、レティシアは良かったのか? 今回の公爵の作戦だと、侯爵家は世代交代を余儀なくされる可能性があるぞ?」
「んーと、そうですねぇ。私個人は間違ったことはしていないと思っていますが。それは、侯爵家の人間としても同じですね。
両親には感謝していますし、今回のことは申し訳ないとも思っています。が、そのことを含めても侯爵家の将来を考えた時に、今回の選択は間違ってはいないだろうとも考えています。
でも次期当主という立場については、正直私には分かりません。ピンと来ない、と言った方が分かりやすいですかね。
まあ、侯爵家は領地を持たない年金をもらうだけの法衣貴族ですから、もしかしたら実感が無いのかもしれません。
だからかでしょうか。今は国王派の力が弱まっているとはいえ、両親がどうしてあそこまで貴族派として分不相応にも力押しでことを進めようとするのか。
私の気持ちを蔑ろにしてまで、何故あそこまでするのか不思議でなりません」
ソファに腰掛けて優しい笑顔でニコラをあやしながら、レティシアが少しだけ考え込む素振りをしてから、哀し気にフッと笑う。
やはりそれはどこか儚げで。
場合によっては躊躇いなく自分の命すらも捨ててしまえるほどの、そのあまりに毅然とし過ぎた生き方に――放っておくとまた短剣を胸に持っていってしまいそうで、やっぱり目が離せないのだった。
「すまない、余計なことを聞いたようだ」
「いいえ、ハクロー様には感謝しているのですよ。たぶんこれで、侯爵家は少なくとも領外退去だけは免れることができるでしょうから。
領地を持たない法衣貴族が、領外に退去させられて生き残れることはありえないので、両親が望んだはずの未来は辛うじて残るのです。まあ、両親に未来が残されることはありませんが」
柔らかな胸に抱き締められて、きゃっきゃと喜ぶニコラに頬擦りをしながらも、レティシアがやはり少しだけ寂しそうに微笑む。
「そうか。貴族派が大体的に粛清されると、暫くは侯爵家も影響を受けてしまってこのニースィアには居難くなるかもしれない。
実は俺達、みんなで魔法学園の入試を受けようと思ってるんだけど。レティシアもほとぼりを冷ますんだったら」
余計なことかもしれないが、どうしても彼女を一人にだけはしたくなくて要らん事を口走ってしまう。
レティシアは綺麗なアクアマリンの瞳をキョトンと丸くしてから、でもフルフルと静かに首を横に振るのだった。
「私は両親をこれから領外に追いやる女です。侯爵家は残るでしょうが、それでも許されることではありません。そんな女がハクロー様のお傍にいると、間違いなくご迷惑をおかけすることになってしまします。
私はハクロー様のお邪魔になるようなことだけはしたくは無いのですよ。それが私の矜持でございます」
「そうか。レティシアらしい、んだろうな。
でも、ベヒモス討伐が終わるまではまだ時間があるんだ。だから、もう少しだけ考えてくれないか?
まあ、言ってしまえば、この街に君を一人残していくのが心配なだけの、俺の単なる我儘なんだけどさ。ははは~」
どこまでも毅然としたレティシアは、侯爵家として一人この街に残ることになるだろう。
きっと、侯爵家を乗っ取った簒奪者などと口さがない貴族連中には陰口を叩かれることになるのは間違い無いはずだ。
それでも、俺に迷惑をかけることだけは嫌と言い切ったのだった。