第3章41話 歯形がいっぱい
「ハクローくん、まだ帰って来ませんよぉ~。遅いですぅ~」
夕食前にハクローがレティシアの寄こした馬車に揺られて一人で出かけてから、かれこれ四時間以上が経過しようとしていた。
何処に連れて行かれたのか分からないが、向こうでゆっくりと夕食を取っていたとしても、随分と時間が経過していることになる。
だからだろう、さっきからルリがリビングルームの中を行ったり来たりしながら、とっぷりと日が落ちてしまった窓の外を眺めてはブーブーと文句を垂れているのだった。
「お貴族のお嬢様と二人きりで優雅なフルコースの夕食を取っているんなら、これぐらいの時間はかかるんじゃないの?」
「ふ、二人っきりなんですか! 私でもハクローくんと二人っきりで外食したことは無いというのにィ!」
ソファに座って長い脚を組んで、コロンの淹れたアールグレイの紅茶を飲んでいたアリスが、根拠の無い不用意な一言を漏らす。
そのあながち間違いでは無いはずの憶測に、見えないはずの長い白いウサ耳をピンとさせたルリが過剰に反応してしまう。
「はぁ~、ルリ。あんた、召喚されてから一ヵ月近くも、ずっとハクローと二人きりで病室でご飯を手ずから食べさせてもらっていたじゃないのよ」
「あ、あれは……外食じゃないので、ノーカンでしゅ!」
呆れたようにジトッと見るアリスに、ルリは頬を桃色に染めてプクッと膨らませながらも、思わずコロンのように舌足らずになってしまって、ついには紅い瞳に涙を溜めてしまう。
「まあ、そのレティシアという女性が家名を名乗らなかったとしても、本当に貴族令嬢と言うのなら、こんな時間にクロセ様お一人を呼び出して、何も無いということは無いのでしょうけど」
同じく王侯貴族であるミラが、ちょっとだけ大人ぶってティーカップに口をつけながら、そんなことを言うのだが。
実はカップを持つ指先がカタカタと震えていたりするのに、気がついていないのはルリだけだったりする。
「ぎゃあ~っ! な、何かって何ですかぁ?」
「わわわっ、い、いえっ、そのっ、あのっ。た、例えばあーんなことや、こーんなことが」
自分自身も無理して大人のフリをしているからか顔を真っ赤にすると、ミラもソッポを向いて適当なことを言い出す。
とうとう、見えない長いウサ耳と丸しっぽの白い毛を逆立てたルリが絶叫し始めてしまった。
「うっきゃあー! 何ですかぁ、そのあーんなことや、こーんなことってぇ!」
「あ~、まだ姫様もご存じないのですが。実はそのレティシアなる貴族令嬢の素性については、既に判明しておりまして」
話がややこしいことになりそうだと判断したクラリスが、ミラの後ろに立ったままでメガネの縁をクイッと上げる。
「あら、どこの貴族令嬢なのよ? また、碌でも無い家柄じゃないでしょうね?」
戦う【料理人】コロンが焼いたクッキーを頬張りながら、アリスが胡散臭そうな顔をする。
すると、クラリスがトンデモない爆弾を炸裂させる。
「そうですね。これ以上は無いという程、碌でもないです。
実はレティシア嬢は、冒険者ギルドのニースィア支部副ギルドマスターであるクライトマン侯爵の一人娘です。
母親は公爵家の晩餐会で『灼熱の火竜』の『竜玉』に難癖をつけてきて、クロセ様にチビらされて泣いて帰ってしまったあのDQN侯爵夫人ですね」
「ぶっふぉっ、げほっげほっ。な、なんてェ? え? それって、本気で?」
「うえぇ?」
「そ、それじゃあ、今回は最初からクロセ様を篭絡するためのハニートラップってことですか?」
「おおー、はにーとらっぷぅ」
「フィもハニー大好き」
「ニャア~」
咳込むアリスに、固まってしまったルリ。唯一人ミラだけが、気が動転している割にはそれでも間違いでは無い答えを導き出す。
後の甘いもの大好きコロンとフィに聖獣ルーはともかく、いつもどおり落ち着いた声でユウナが静かに口を開く。
「最終的に犯罪奴隷落ちさせた大勢の盗賊に囲まれて、丘の上にある花畑の真ん中で短剣を胸に自決しようとしていたレティシアが、そんなことをできるとは思えないけど?」
「姫様、落ち着いてください。ユウナ様のおっしゃるとおりです。
しかし、昨今では珍しい程にそこまで芯の通った、強い意志を持たれている貴族令嬢のレティシア嬢です。
良くも悪くも侯爵家のために何事かをご決断されたのだとすると、あのヘタレで甘々なクロセ様がお一人では。今頃はおそらく……」
あ~困ったとクラリスが残念そうに首を振るので、ルリが白い髪を振り乱して頭を抱えながら、また叫び始める。
「ぎゃあ――っ! ハクローくんが、大変ですぅ~」
「でも、あの偏屈なハクローが、見え見えのハニートラップなんかに、そんな簡単に引っかかるとは」
「偏屈で悪かったな。俺がどうしたって? ああクラリス、悪いけど客室をひとつ貸してくれないか?」
アリスが顎に人差し指を当てて首を捻っていると、いつの間にかリビングに貴族令嬢のレティシアをお姫様だっこしたハクローが入って来ていた。
「「「「「「あ……」」」」」」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「レティシアがレストランで眠っちゃったんで、連れて来た。
ここんところ、ちょっと悩み事とかで夜もよく眠れずに少し疲れていたみたいでさ。そのまま、ホテルに置いてくるわけにもいかないしな」
王族別荘のプチ離宮へと、高級ホテルの四階展望レストラン個室から転移魔法で飛んで来ていた。
とりあえず泣き疲れて眠り込んでしまっているレティシアをベッドに寝かせてやろうと、侍女筆頭のクラリスにッ客室を借りれるかお願いしてみる。
のだが、ルリとミラが二人して頬を膨らましたまま、目を三角にして俺の前に立ち塞がって来る。
どうしたんだろうと首を捻っていると、気を取り直したのかクラリスが手のひらを上に向けて扉を指す。
「ま、まあ、ともかくクロセ様はこちらへ。今、客室を準備いたしますので」
「ああ、悪いなクラリス。あと、着替えも用意してやってもらえるか? このドレス、新品みたいで皺になるとかわいそうだからさ」
「はい、かしこまりました」
そんなことを言いながら、クラリスの後を付いてレティシアをお姫様だっこしたままリビングを出て行こうとしたのだが。
ルリとミラにTシャツの裾を掴まれてしまう。
「う~うう~~ううう~~~」
「ん~んん~~んんん~~~」
二人して何故か唸るばかりなので、しかたなく困ったように囁く。
「レティシアをベッドに寝かしつけたら、すぐに戻ってくるからさ。ああ、でもあまり時間は取れないぞ? それで良ければ、な」
「「こくこく」」
またしても、二人して仲良く首を縦に元気よく振るので、クスッと笑ってしまう。
「んじゃ、少し待っててくれ」
そう言って、踵を返してリビングを後にする。
クラリスについて行くと、俺達の部屋の並びにある客室に入って行くのでそのままついて中に入る。
レティシアを天蓋のある大きなベッドにそっと横にして寝かせると、――Tシャツを掴まれていることに気がつく。
「あ~、しょうがないなぁ」
指を解こうとすると哀しそうに眉を下げるので、仕方なく以前のコロンの時と同じようにゆっくりとTシャツと脱ぐ。
それに鼻を寄せたままのレティシアに、そっとシーツをかけてから部屋をぐるっと見回す。小さなソファもあるので、寝っ転がることぐらいはできそうだ。
とか考えていると、クラリスが着替えを持ってお手伝いの見習い侍女さんと帰って来た。着替えせさせるところをジッと見ている訳にもいかないから、暫くリビングに戻ることにする。
「じゃあ、着替えを頼む。すぐに戻るから」
「はい、かしこまりました。お化粧を落としたりお身体を軽く清めたりもいたしますので、二十分ほどかかるかと」
「ああ、分かった。じゃあ、終わったら侍女さんを呼びに寄越してくれ」
ここなら平気だと思うが、もしもの時のためにと念には念を入れる。
彼女にはこの二人の魔力波形にだけ反応しないよう仮設定した、【ドライスーツ(防壁)】をかけておくことを忘れない。
ようやくリビングに戻ると、ルリとミラが立ったままでウロウロしながら俺を待ち構えていた。
「あ、ハクローくん帰って来たぁ。えへへ~」
「ああ、クロセ様。お帰りなさい、先程は失礼しました。うふふ」
いつの間にか二人の機嫌も少しは治ったようで、苦笑するようにではあるが微妙に表情が柔らかくなっていた。
しかし、何でみんなは突っ込まないんだと言う顔をして、アリスが指を差して来る。
「何だってハクロー、あんた上だけ裸なのよ?」
「ああ、ちょっとな。そんなことより、すまないが二十分程したらレティシアのところに戻らないといけない。それまでなら話を聞くけど。
まずは、こうなっている経緯を説明しないとな」
「まあとにかく、座ってコロンの淹れたお茶でも飲みなさい」
ソファに足を組んで座っているアリスが、向かいの席を指差すのでそこに腰を下ろす。
すぐさま、両サイドをルリとミラにガッチリと固められてしまう。近い、近いって、太腿がくっついてまるでキャバクラのようだ。いや、行ったこと無いからよくは知らないけどさ。
「はい、ハク様の好きなアールグレイでしゅよ」
「ああ、ありがとうコロン。ふぅ~、やっぱりコロンの淹れてくれるお茶は美味しいなぁ」
「フィも大好き~」
「ニャア~」
目の前の白いテーブルに胡坐をかいて、聖獣のルーに背中をもたれかけている妖精のフィが、自分の【魔法の小さなカップ】を持ち上げて見せる。
「クロセくん、大丈夫なの? 随分と疲れているようだけど」
「ああ、ちょっと面倒臭いことに巻き込まれたようだ」
すぐ横の『車椅子』に座って心配そうに覗き込んで来るユウナに、少しだけ苦笑して肩を竦めながら手をヒラヒラと振る。
「実は、レティシアは冒険者ギルドの副ギルマスの娘さんらしいんだが。どうも母親の侯爵夫人に頼まれたらしく、俺達を合同演習の救援に向かわせたいらしい。
まあ、ベヒモスがどんな奴か分からないけど、竜人族のBランク冒険者が殺されるぐらいだからなぁ。
あの役立たず副ギルマスとガラクタ騎士団じゃあ、最悪は文字通りの全滅もありえるだろうし?」
「はあ~。それでハクロー、あんたもしかして」
「ああ、受けたよ。また、自分の胸に短剣を向けられても困るしな。
ただし、奴等の思い通りに動いてやるつもりも、元より無いけどね。
奴等とは関係無いところで、災害級魔獣とやらを単騎撃滅する。そして冒険者達を見殺しにした騎士団の無能ぶりを証明して、二度とこっちに手出しできないようにしてやるつもりだ」
みんなに相談もせずに勝手に決めて来たことなので、できるだけ何でも無いことのように、再び手のひらをヒラヒラとさせる。
すると、諦めたように大きなため息をつきながら、アリスがティーカップの中身を飲み干して、空になったそれをコロンに差し出す。
「コロン、お代わりちょうだい。
はあ~、無能の証明は別に単騎である必要は無いわ。それにレティシアに対しても、奴等が口出しできないようにしておかないと。そのためには、あの娘にも一緒に来てもらう必要があるわね」
「参戦するのに一番いいのは、ギルドの指名依頼ではなくレティシア個人からの依頼にして、成果を独り占めさせるのがもっとも効果的。
そうして、先発隊の不始末の責任をアホの副ギルマスに取らせて、どうにかして引退させる。世代交代させてしまえば、これ以上は口出しできなくなるはず」
いつもの澄まし顔で恐ろしいことを言い出すユウナも、上品に口をつけていたティーカップをコロンに差し出す。
アメジスト紫の瞳を細めながら初めて見る悪い笑顔で、ニヤッと最近は艶の出てきた唇の端を上げて見せる。
「そして、誰に手を出したのか。魂に刻んで、思い知らせてやるとしましょう」
怖っ、怖いよ。女神の化身であるユウナが言うと、冗談では済まなくなるからな。まあ、馬鹿親二人を引退させるのは賛成だから良いけどさ。
「でもいつの間にか、お前達も来ることになっていないか? これは俺がレティシアに頼まれてイタぁ!」
「ガブッ、うう~~っ!」
隣に座っていたルリが、突然のように俺の腕に噛みついていた。
まるで私のモンだと言わんばかりに俺の腕に歯形を付けると、そのまま紅い瞳には涙を浮かべてしまって離そうとしない。
しょうがないなぁ、と反対の手で彼女のサラサラの白髪の頭を撫でてやる。
すると、見えない白く長いウサ耳もへにょんと垂れてきてしまう。心なしか後ろに見える、いや、見えないはずの白い丸しっぽが、フリフリと振られているようだ。
「はいはい、分かったよ。一緒に行こうか? その代わり、危なくないように後ろの方で見てるんだぞ?」
「あい。うへへ~」
やっと噛みついていた口を、腕に歯形を残して離す。唇についていた俺の血をペロッと舐めとると、ルリは艶めかしい小さな紅い舌を見せて微笑む。
まったく、血が出るほど噛みつかなくても良いだろうに。
「ああ~っ! ん~んん~~んんん~~~っ!」
そんな俺とルリを見ていたミラが、Tシャツを掴んだまま、下唇だけをアヒルのようにさせて唸り出してしまう。
一国のお姫様がそれでいいのか、と思いながらも良く分からんがとりあえず頭を撫でておくかと手を上げようとすると。
「わーい、コロンも~。カプッ」
「じゃあ、フィも~。バクッ」
「ニャア~、あむっ」
その手を掴んで、コロンが噛みついてくる。真似をした妖精のフィと聖獣のルーまでが同じように、フヨフヨと飛んで腕に噛みついてきた。
「ぎゃあ――っ! こらっ、噛みつくなっ」
「ああ~っ! んんん~~~っ!」
反対側では相変わらずTシャツを掴んで、グイグイと引っ張りながらミラが未だに唸り続けている。
「えへへ~、ペロペロ」
「うへへ~、ペッペッ」
「ニャア~、ぺろぺろ」
手の甲についた歯形、というか犬歯の穴をコロンが小さな舌で舐め回す。何故か妖精のフィは、小さな噛み痕に唾を付けている。
聖獣のルーはそのまんま、まるでじゃれつく子猫のようだ。
「ん~っ、んん~~っ、んんん~~~っ」
その歯形を見てさらにブンブンとTシャツを引っ張るミラを見かねたのか、『車椅子』に座ったユウナが俺の手を取ると、おもむろに。
「パクッ」
「何で、ユウナまで噛みつくかなぁ?」
そうして、しげしげと自分の付けた歯形を確認すると、その腕をそのままミラの方に持って行く。まるで、噛めとでも言うように差し出すので。
「おい、何をしてわぁ! ミラまで何やってんだっ!」
「はむっ、ぺろぺろぺろ……」
「わはははって、噛んだまま舌で舐めるのはヤメロ!」
「でへへへ~~、ぺろっ」
満足したのか、歯形のついた腕を放すと、自分の上唇を妖艶に小さな舌で舐める大人なミラさん。
何故か、わずかに頬を染めて切れ長の翠瞳を潤ませてしまっていて、なんか危ないくらいにエロいんですが。
いつの間にいたのか、リビングの扉を半分だけ開けてテディベアのぬいぐるみのビーチェが、パカッと真横に顔を半分に開けると乱杭歯を見せて、ニヤァ~と笑っていた。
「ビーチェは齧るなよな、本気で死んじまうからな」
「これで私までがハクローに噛みついたら、馬鹿みたいじゃないのよ?」
「アホなこと言ってないで助けろよ、アリス」
向かいのソファに座ったまま組んだ足をフリフリとさせながら、小悪魔のようにさくらんぼのような唇をニィッと月の形に変えて笑っている。
そんなアリスを恨めし気に睨みつけてやる。
「アホなこと言ってんのはハクロー、あんたでしょ? とにかく、レティシアのことはあんたが一度はその命を助けたんだから。後は差し出された手を取って、最後まで助けるわよ」
「ああ。すまない、勝手に決めてきてしまって」
しょんぼりと両手に刻まれた歯形の痕を見て、もう一度しょんぼりしてしまう。
「いいのよ。あのアホ共はそのうち、どうにかするつもりだったし。ほっといても、何れは向こうから来たわよ。
実際、ピンポイントの狙い撃ちでハクローの所に来たみたいだし。結局は、それが少し早まっただけでしょ?」
「すまない」
そう言って、みんなに頭を下げていると、無表情なユウナが静かに声をかけてくる。
「そんなことより、レティシアが目を覚ますといけないから、クロセくんは行ってあげないと」
「そ、そうですよ。きょ、今日だけはハクローくんを貸してあげます。今日だけですよ、今日だけ」
何故かソッポを向いて、ルリが頬を染めたまま人差し指をピンと立てたままフリフリとさせている。
だから、素直に謝っておく。
「悪いな」
「もう――分かりましたから、いってらっしゃいませ」
ようやく柔らかい表情で紅い瞳を細めて優しく微笑んでくれるルリに、少しだけホッと安心する。
「ああ、じゃあちょっと行って来る」
そうしてみんなに手をヒラヒラと振ると、リビングを出てレティシアが寝ている客室に向かう。
部屋の前まで行くと、ちょうど中からクラリスと侍女見習いの二人が顔を出して来たところだった。
「ああ、今クロセ様をお呼びしに行くところだったのですよ。どうも彼女が、クロセ様を探しているようです」
「ん? 寝ているんだろ?」
「それは、まあ。私達はこれで失礼して、姫様の所に戻りますので」
「分かった。助かったよ、サンキュな」
クラリスと侍女見習いの女性がペコリと頭を下げてから、去っていくのを見送ってから客室に入る。寝間着に着替えさせてもらったレティシアが、ベッドの中でシーツに包まっていた。
シーツから伸びた彼女の手が、まるで何かを探すようにパタパタとしているので、残して行ったTシャツをもう一度しっかりと握らせてやる。
それを胸元に持って行っても、まだパタパタと手をさせている。だから、手を握ってやると漸く静かに寝息を立て始めた。
そんなレティシアはまるで年相応か、それよりも小さな子供のようにしか見えなくて。
このままでは、ベッドから動くこともできない。しょうがないから、そのまま手を繋いでベッドの端に腰をかけてから、壁に背中を付けてベッドに座り込む。
「ふぅ~、今日は何か疲れたなぁ」
ああ、いかんいかん。最近、独り言が多くなってきた気がするのは、気の所為なんかじゃ無いんだろうな。
ふとレティシアを見ると、掴んだ俺の手をさらにしっかりと握り締めている。それでも哀しそうにわずかに眉を下げて、長い睫毛を震わせていた。
まったく、こんなまだ15才になったばかりの少女に、実の生みの親が枕営業なんかさせるんじゃねぇよ。
そんなことを考えながら、手をしっかりと握ったままで少しづつこっちに鼻先を寄せて来ている、レティシアの綺麗なシャンパンゴールドの金髪を反対の手でそっと撫でてやる。
すると少しだけホッとしたのか、優しい笑顔を浮かべてスゥスゥと寝息を立てるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「はあ~、姫様。やっぱりこうなりましたかぁ」
ハクローと入れ違いでリビングに帰って来たクラリスが見たものは、それはそれは酷い光景だった。
紅い瞳に涙を浮かべて、さらに真っ赤に充血させたルリは、クッキーを口一杯に頬張っている。
その隣りに座ったミラは、同じように切れ長の翠瞳の潤ませたまま、クッキーを次々と口に放り込んでいた。
「うう~~、だってだってぇ~」
「ぴ―――……」
涙目で縋るように見つめて来るミラはともかく、ルリに至っては既に小鳥が鳴くような電子機械音しか発しなくなってしまっていた。
「まあ、しょうがないわよ。それよりも、明日朝一番で冒険者ギルドに行って、レティシアにベヒモス討伐の指名依頼を出させるわよ」
「なるほど、それで竜人族のBランク冒険者を殺されたギルマスと協力して、責任を取らせた上で、強制的に侯爵夫妻をどっかの田舎に蟄居させて、物理的にも排除するのですね?」
アリスの一言で全てを理解したらしいクラリスが、キラリンッと光ったメガネの縁をクイッと上げて、物凄く悪い顔をしてニヤァ~と笑う。
「それでは、私は反貴族派のニースィア公爵に働きかけて、この際一挙に奴等の息の根を止めてやるとします。
自分達がいったい誰に喧嘩を売ったのか、地獄の果てでよぉーく考えさせてやるとしましょう」
「あれ? ニースィア公爵って国王派じゃないの? 反貴族派って何よ?」
聞き慣れない単語に思わず聞き返すアリスだが、メガネの奥の瞳を細くしたクラリスはこれ以上は無いと言うほど極悪な微笑みを浮かべる。
「アリス様、よろしいですか? 正妃のお父上であるニースィア公爵様は、当然のように国王に近しい存在です。
しかし、だからと言って必ずしも国王派とは限りません。逆に当然の如く単なる貴族でもありませんので、反貴族派ということになります」
「ああ~、よく分からないけど第三勢力という訳ね。でも、それで正妃は良いの?」
「くっくっくっ。姫様の身柄が王都から離れたこのニースィアにある以上、何の問題もありませんね。むしろ、綺麗サッパリと二度と王都には戻られないのではないでしょうか?」
「んー? お母様はもう王都には帰らないって言ってたわよ。それがどうかしたの?」
モグモグと盛大に口を動かしながら、やけ食いを続けるミラがあっけなく王国の最重要機密を口にする。
それを聞いたアリスが、呆れたように紅と蒼のオッドアイを細めてため息をつく。
「はあ~、それじゃいよいよ国王は正妃にすら見放されたという訳ね。本当、もうこの国は長くは無いわねェ」
そんなことよりも、と第一王女侍女筆頭のクラリスが同じように大きなため息をつきながら。
「はあぁ~、姫様もルリ様も、こんな夜更けにそんなにクッキーを食べたりすると、太っても知りませんよ?」
「ぎゃあああああ~! クラリス、言ってはならないことをっ」
「ぴ―――……」
それでも壊れた機械のような電子音しか上げないルリに、アリスが諦めたように声をかける。
「ああ、ルリはもう駄目ねェ。ほら、お子様のコロンとフィにルーもソファで寝ちゃったようだから。いい加減にして、ルリも部屋に戻って寝るわよ」
「ぴ―――……、ハクローくんがいないと眠れましぇん」
「はあ~、あんたも子供じゃないんだから」
「ぴ―――……、ハクローくんだけが大人の階段を駆け上がったらどうしよう~」
「はあ~、あのヘタレが泣き疲れて寝ている女の子に、手なんか出せるはずが無いでしょ?」
「ぴ―――……、そうだけどぉ~」
「はあ~、私が【遠見の魔眼】でハクローを見ていてあげるから。それで、何かあったら起こしてあげればいいでしょ?」
「ぴ―――……、わがっだぁ~」
この異世界において、哀れなハクローにプライバシーという言葉は無いようだった。