第3章39話 再び指名依頼
「で、何でそんな辛気臭い顔してたんだい?」
結構な数の小部屋を抜けたところで、Aランク魔物のドラゴニュートを全滅させた部屋の中で小休止していた。
果実汁とハチミツの入った冷水を【時空収納】から取り出して、飲みながら一息ついている。同じく【時空収納】から出した白い椅子に座って脚を投げ出したアイーダが、問いかけて来た。
「え? いや、別に。あれはアベル達が」
「はあ~、ハクローは自覚無しかい――誰か」
ハチミツ果実水の入ったコップのストローを咥えながら、アイーダが白いテーブルに座るパーティーメンバーを見回す。
だが、アリスもルリもソッポを向いたまま口を開こうとはしなかった。
聖獣のルーは白い丸テーブルの上で、肉球スタンプの絵が描かれたトレイに注がれた、ハチミツ果実水をペロペロと小さな舌を出して舐めている。
すると仕方ないとでも言うように、最年少3才のユウナが――彼女も何故かわずかに視線を余所に向けながら、昨日のことを話し始める。
ただ、細かいことは省いていて、今日にも堕胎手術が行われるということぐらいだったのだが。
「ふぅ~ん。それでハクローはそんなに気に食わないって顔をしている訳かい」
「え? いや、俺は別に――そんな顔してますか?」
咥えたストローを上下にフリフリと振りながら、アイーダが呆れたようにため息をつく。たぶん俺は、キョトンとした顔で聞き返していた。
ところで、このストローはこの間ルリに頼まれてちょっと錬成してみた。ちゃんと首が曲がるようになっている、優れモノの一品だ。
「まあ、異世界人の――しかも男のお前に分かれとは言わないがな。そんな悲しい顔をするな。そんな顔をされたら、見ている女のこっちの方が哀しくなってくるぞ?
まあ、番もいない処女の私が言っても、ちっとも説得力が無いのかもしれんがな」
イッシシッ、と犬歯を見せながら笑うアイーダは、それでも歳相応に大人の妖艶な色香を発散させていて。
それは良いのだけど、未だに言っている意味がよく分からないんだが。
「何なら、初めてなんで上手じゃないかもしれんが、私が相手をしてやろうか?」
「だ、駄目です!」
「ダメでしゅ!」
ギョッとしたように、ルリと小さなコロンがガタンと椅子から立ち上がって叫ぶ。すると、分かった分かったとアイーダが笑いながら。
「何だ、さっきは娼館に行くのは許していたみたいだったが。まあ、それとこれとは別ということか?」
「あの~、さっきから何の話をしてるのか分かんないんですけど。俺のことッスよね?」
小さく手を上げておずおずと質問をする。
「まあ、赤ちゃんぐらい幾らでもポンポンと産んでやるってことさ。だからハクロー、お前はそんな顔はするなよ、な?」
「ああ、確か人族と獣人族との間にも子供はできるんですよね?」
そう言えば、そんな話を聞いたことがあった。相変わらず話は見えないけど。
「それからな、その中絶したパメラとか言う侍女見習いなんだが――体調が戻って元気になったら、お前達とお姫さんが始めるって言う、孤児院の手伝いでもさせてやれ。
そうすれば、将来、もう一度自分の赤ちゃんを抱きたいと思うようになるかもしれないしな?」
「おおっ、そうっスね! パメラさんの気持ちが落ち着いたら聞いてみます。一度見学にでも連れて行って、乳飲み子のニコラを見ても拒否反応を示さないようなら、孤児院長のセレーネさんに相談してみます」
そうなんだ、今回は中絶してしまったパメラも傷が癒えれば、これからの未来に向かって生きて幸せにならなければならない。
そうして、将来は好きな人が出来て、結婚して今度こそ好きな人との間に授かった子供を産んで、小さいながらも家族幸せに暮らして行かなければ――嘘になる。
この世に輪廻転生があるのなら。今回、生まれることのできなかった命が、再びパメラのところではなくてもいいので、幸せな次の転生を迎えられますようにと――祈って止まない。
「はあ~、だからそんな顔はするなと言うのに」
そう言って、隣に座る俺の頭に手を回すとさっきよりもそっと、柔らかくでも張りのある豊かな胸に抱いて、またポンポンと背中を優しく叩くのだった。
「こんなのは――お前のいた異世界では知らんが、この世界では良くあることだと思え。だからハクロー、お前は自分の赤ちゃんを授かったら大切に、大切に守って育ててやれ――な?」
「……っ」
ふんわりと温かくいい匂いのするアイーダの豊満な胸に抱かれて、何故か涙が零れそうになるのを堪える。
「だから、そんな顔はするな」
◆◇◆◇◆◇◆◇
それからしばらく休んだ後は、同じように塔の迷宮を突き進み、最初の戦闘と同様にそれ程時間をかけることも無く四十五階層のボス部屋の前まで到達していた。
ボス部屋の扉は開けずにそのまま引き返して、入って来た転移門で一階層まで戻ってから、冒険者ギルドに帰って来た。今回、階層ボスを討伐しても、また結局は来ないといけないしな。
「え……? 塔の迷宮の四十五階層のボス部屋の前まで行った? あのAランク冒険者パーティーがBランク冒険者メンバーを大量投入して、何日もかけながらやっとたどりついたという、あの四十五階層をたった、半日で……ですか?」
「ああ、私がこの目で見て来たんだから、間違いは無いさ。ああ勿論、私が一人で暴れた訳じゃないからな?」
綺麗なロシアンブルーのネコ耳をプルプルと震わせながら受付嬢のニーナが、カクカクとした挙動で首を傾げる。
Aランク冒険者のアイーダは、「あっははは」と犬歯を見せて笑いながらヒラヒラと手を振る。
「こいつらがいれば、攻略中の四十六階層も案外と簡単に抜けるんじゃないか?」
「し、しかし、そのためにはBランクに昇格してもらわないと」
「そりゃあ、お前ら冒険者ギルドの仕事だろ? まあ、こいつらが愛想を尽かしてニースィアを出て行く前に、何とかした方がいいと思うぞ?」
「ひぃ~~! アイーダさん、嫌なこと言わないでくださいよぉ。そのために日夜、頑張っているこの私の苦労を分かってくれるのは、リアーヌ様だけですぅ!」
ひしっとロシアンブルーのしっぽをフリフリさせた受付嬢のニーナが抱きつくのは、ギルドマスターでダークエルフのリアーヌだ。
今日も真っ赤なチャイナドレスを着て、その暴力的ともいえる爆乳をこれでもかと強調している。小柄なネコ耳ニーナが腰に抱きついて、スリスリしている絵面が非常に残念だ。
「勿論、ちゃんとニーナの苦労は分かっているぞ? アイーダ、私の可愛いニーナをいぢめるんじゃない」
「虐めちゃいないさ。ただこいつらが神聖皇国に行っちまって、万が一にも帰って来ないなんてことになると、困るのはリアーヌじゃないかと思っただけだぞぉ~?」
クッシシシと犬歯を見せながら、アイーダが悪そうに笑う。
ギョッとしたギルマスがカッカッカッと赤いピンヒールを鳴らしながら受付カウンターの外にでてきて、ガッと首根っこを掴まれてしまった。
「い、今のはどうゆうことだ! お前達、まさか本当に神聖皇国に行ってしまうんじゃないだろうな?」
「え? い、いや、ちょっと、近い、近いって、それに胸が当たって」
俺よりちょっと背が低いだけのギルマスが、ピンヒールを履いてTシャツの襟刳りを掴んで、綺麗な顔を寄せて来ていた。
スラッと高い鼻先がくっつきそうで――いや、それよりもボリュームのある柔らかな巨乳が俺の胸板で潰れて変形しているのは、まずい、これはまずい。
「落ち着きなさいよ、このうっかりギルマスは。神聖皇国には護衛の仕事で行って来るだけよ。あんたのとこの冒険者ギルドでも指名依頼を受けてるでしょ?
それより、早くその手を離しなさい。じゃないと、ルリに咬みつかれるわよ」
コツンッ、とあろうことかギルマスの後頭部にアリスが手刀を落としていた。
その親指を後ろに向けると、紅い瞳を細くして頬をプクッと膨らませたルリが凄い形相で睨みつけて来ている。
「うぅ~、イタイ~。あ、そう言えば、そんな話を聞いたような気が?」
「リアーヌ様、先日ご報告いたしましたよね? 例の【純潔の女神】アルティミス様の件で、神聖教会のシスター・フランが神聖皇国の聖都へ帰国する際の護衛依頼ですよ~」
アッシュブロンドの頭を両手でおさえながら残念ギルマスが、冒険者ギルドの陰の支配者である受付嬢のニーナを涙目で振り返る。よしよしと背伸びして、ネコ耳さんはそんな頭を撫でてやっている。
するとようやく思い出したのか、ポンっと両手を打つと、てへへ~と照れくさそうに笑って誤魔化す人外最強のはずの元Sランク冒険者のギルマスさん。
「思わずビックリしちゃてさぁ、ゴメンねェ~」
そう言って、両手を握り締めて上目遣いで、また顔を近づけて来る。夕方の混雑したギルド会館の一階フロアに集まった、厳つい冒険者達の視線――いや、殺気を一身に集めてしまっていた。
「あいつ、今朝はアイーダ姐さんにくっついてたのに」
「今度はギルマスだぞ」
「なんて節操のない奴だ」
「しかもパーティーはハーレムだぜ」
「やっぱり今度、オハナシアイをしないとダメだな」
ウザったい絡みつくような、ムサいおっさん達の嫉妬や妬みに嫉みといった気配に、小さくため息をつきながら心底辟易してしまう。
「え~、何でこうなるかなぁ……」
ちょっとだけ【紅の魔女】と呼ばれるアリスの心労が分かった気がする。俺にこれは無理だな。
「あ、そう言えばこんなことをしに来たんじゃなかった。ねぇねぇ」
おい、こんなことって。ちゃんと、おっさん達の後始末してけよな。
「騎士団との合同演習に行っていた、Bランクの上級冒険者で竜人族のダライアスなんだけど、死亡が確認された」
「何ぃ! 竜人ダライが?」
「奴はBランクでも上位だったろぅ?」
「もうすぐAランクと噂されていたはずだぞ」
「最強種族と自称までしていたのに、何故?」
「一体、合同演習で何があったんだ?」
ギルマスの良く通る綺麗な声でそんなことを言うもんだから、こちらを注目していた冒険者達が一斉にザワザワとし始める。
これはワザとだな。俺達を巻き込むつもり、なんだろうなぁ~。
「どうやら、ベヒモスが出たらしいんだ」
「何ぃ――っ!」
「馬鹿なっ!」
「ベヒモスと言えば、Sランクの魔物だぞ!」
「ああ、災害級の指定魔獣だ!」
「何故、ベヒモスが合同演習をやってる鉱山なんかに?」
「奴は大森林の最深部から出てこないはずだが、別個体か?」
ギルマスの爆弾発言でギルド会館の中は騒然としてしまった。アリスは紅と蒼のオッドアイを細めると、睨みつける。
「それがどうしたってのよ? こんな場所で持ち出すぐらいだから」
「ええ、君達にその救援に向かってもらいたいんだよ。指名依頼はすぐに用意する。
騎士団は幸い――というか、サッサとキャンプ地まで逃げ出したんで、被害は少ないらしいんだが。冒険者達がその足止めをさせられたみたいで、被害が甚大のようなんだ。
だから冒険者ギルドはこれから緊急依頼を出して、騎士団と協力してベヒモスを討伐することになった」
「おおっ! ベヒモス討伐だぞっ」
「よっしゃあ!」
「やってやるぜぇ!」
「寝てる奴等を起こせ!」
「出るぞっ!」
綺麗な眉間に皺を寄せて辛そうなギルマスの鶴の一言で、一気に沸き立つ単細胞な冒険者達。
気の早い奴らは、仲間を呼びに走って出て行ってしまった。
「それで、あなた達は」
「パス」
「え~?」
「うっきゃあー!」
「「「「「「「ええ!」」」」」」
ギルマスの縋るような視線を遮るように、アリスがバッサリとぶった切ってしまう。、受付嬢のニーナはネコ耳をおさえて頭を抱え、周囲に集まっていた冒険者達が愕然としてどよめく。
「何ビックリしてんのよ? さっきも話に出た神聖皇国への護衛依頼があるから、無理に決まってるじゃない。
それに、あの脳筋なBランク竜人族が死んだってことは、代わりにあんたんトコの副ギルマスは無傷で逃げて無事なんでしょ?
大方、副ギルマスと副騎士団長のふたつの肩書に物を言わせて現場指揮を取って、自分だけ助かった――ってとこかしら?」
「う……そ、それは」
図星だったようで、ギルマスが悲しそうに俯いてしまう。
「うへェ~、あの脳無しの馬鹿が指揮権掌握してるって。こりゃあ、用心しないと後詰の彼奴等も下手すると全滅されられるんじゃないか?」
俺が心配して、周囲にまだいる冒険者達を親指で指差す。
「だ、だからこそ、お前達に是非とも参加してもらってだな」
「いや、あのアホ副ギルマスの無能から、指揮権を剥奪する方が先だろ? でないと、本当に此奴等まで無駄死にさせられてしまうぞ?」
「そ、それは……」
苦しそうに握っていた両手を自分のふくよかな胸に当てたまま、ギルマスはスタイルの良い背中を丸めてしまって俯いてしまう。
顔を上げることができない彼女を見かねたのか、ネコ耳をピクピクさせた受付嬢のニーナがこしょこしょと小声でつぶやいて来る。
「これには、ニースィア公爵様のご意向が色濃く反映されているのですよぉ~」
「まさか国王派の公爵としては、この不始末の全責任を貴族派の侯爵である副ギルマスに負わせて、言うことを聞かない対抗勢力の息の根を止めるつもりなのか?」
どうやら、王都でやったのと同じことをここでもしようとしているようだ。
帝国と戦争しようとしている時に、国内戦力を激減させるようなことをして。いやだからこそ、足を引っ張る奴等が邪魔ということなのか。
それは帝国の思う壺だって言うのに。本当に、自分のやっていることが分かっているのだろうか?
「はあ~、なら尚更パスよ。ところでアイーダは行かないの?」
「私か? 貴族は嫌いだ」
王都でエロ公爵と貴族派の粛清のダシにされていい迷惑を被ったアリスは、手をヒラヒラとさせながらAランク冒険者のアイーダに振るが素っ気ないものだ。
「うう……、そんなぁ~」
「まあ、やる気の無い俺達よりも、やる気のあるあいつらの方が良い結果がでる――かもしれない、と良いなぁ~。まあ、頑張れっ」
ガックリと肩を落とした残念ギルマスは、しっかり者の割に実はうっかりさんなネコ耳ニーナに支えられながら、トボトボと受付カウンターの奥に帰って行ってしまった。
「はあ~、しょうがないわねぇ。ハクロー、あれ出してあげて」
「あれ? あ~、アレねぇ。よっと、おお結構一杯あるなぁ」
アリスに言われて、阿吽の呼吸で受付カウンターの上にガシャガシャと並べ始める。
今日の塔の迷宮の四十五階層で、ドラゴニュートを討伐して山ほど手に入れた剣や金属鎧だ。
これまでの地下迷宮では、まだ武装した魔物は見たことが無かった。
しかし、実はあのAランク魔物のドラゴニュートは【魔石】とレアドロップ以外にも、自身が装備していた武器や防具をそのままその場に落として光の粉になって消えていたのだ。
アイーダによると、通常は【収納】スキル持ちを連れて来れるような簡単な難易度の階層では無い。
だから、いつもはかさばる武器や防具類はそのまま放置して行くんだそうだ。でも今回は、アリスとルリに俺がいるのでその全てを今回は持ち帰ってしまっていた。
この装備が使い回されている可能性も考慮して、次回以降の挑戦時に装備無しでポップしてくれないかなぁ~なんて考えもあって持ち帰った物だったりする。
そんな訳で、金に換える以外に使い道は無い。
これからSランク災害級魔獣ベヒモス討伐なんてトンデモない高難易度依頼に参加する冒険者達に、餞別代わりに配ることにしても問題無かった。
しかも、防具類は耐魔法が付与されている高価な一品らしかった。
使い回されていた可能性のひとつとして、着用者に合わせてサイズを自動調整する付与機能付きという便利物らしい。
武器類もバスターソード、ショートソード、槍、盾、ハンドアックスなどなど一般的な各種類が取り揃えられている。
どう見ても上級ランクの武器や防具を大量に並べて行く俺達を、遠巻きにして訝し気に見ていた冒険者達に向かってアリスがパンパンと手を叩く。
「はいは~い、それじゃ塔の迷宮の四十五階層でAランク魔物のドラゴニュートから分捕った武器と防具を、ベヒモス討伐に参加する冒険者には餞別で特別支給するわよ!」
「「「「「「「「「「おお――っ!」」」」」」」」」
「うえぇー?」
歓喜というか、怒号を上げる冒険者達と、綺麗なロシアンブルーのネコ耳としっぽをピンと立てて受付嬢ニーナまでがビックリする。
アリスはその小さな彼女の手を掴んで、ヒョイと上に上げると。
「それじゃあ、この受付嬢のニーナがベヒモス討伐依頼の受付をするから、受付が終わった順に武器か防具の好きな方を一品持って行っていいわよ。
ほら、早い者勝ちだから、急いでねェ。じゃ、あとは任せたわよ、ニーナ」
「「「「「「「「「「うおおおお~!」」」」」」」」」」
「わわわっ、アリスさん。そんなぁ~、わっきゃあ~! 待って、待ってください~。いま、今から受付を始めますからぁ~。うきゃあ~っ」
我先にと受付嬢ニーナのいる受付カウンターに殺到した、冒険者の群れに呑まれて見えなくなってしまう、かわいそうなほど小柄な猫人族の少女。
「あっははは、お前達は本当面白いよなぁ」
そんな様子を離れて見ていたAランク冒険者のアイーダが、犬歯を見せながら腹を抱えてケタケタと笑っていたのだった。