第3章37話 鬼子母神
中級地下迷宮からの帰りにミラとクラリスを拾うついでに、【砂の城】へと立ち寄る。ちょうど夕飯時ということもあって、クラリスとエンデにエマまでが台所で準備を始めていた。
「ただいまでしゅ~。コロンも手伝いましゅ」
「ただいま~。おねーちゃんも、お野菜の皮むきはできますよ~」
「フィは味見を手伝うわよ~」
トテトテと嬉しそうにエプロンを付けながら戦う【料理人】コロンと、料理見習いその一のルリ、そしておまけに妖精のフィが台所へと向かう。
ちなみにコロンはエプロンドレスの上にキツネのアップリケが付いたエプロン、ルリはウサギのアップリケの白いフリル付きエプロンだったりする。
まあ、そこまではいつもの光景なのだが、ダイニングテーブルには小さなコレットとジーナですらカトラリーを並べてくれていた。しかし大人なはずのお姫様のミラときたら、赤ん坊のニコラを胸に抱いてニマニマとしながら座っているだけだ。
「ニコラ~。ほら、おねーちゃん達がかえってきまちたよぉ~。お~、そうでちゅかぁ、うれちいでちゅかぁ~?」
「ミラ、あんたまさか。朝からずっとその調子なんじゃ?」
きゃっきゃっと笑う純真無垢な赤ちゃんの声を聞きながら、呆れたようにアリスがミラレイア第一王女を睨む。
「わあ~、アリスおねーちゃんはこわいでちゅねぇ。ニコラ、こわいアカオニさんからにげまちゅよぉ~」
ミラは乳飲み子のニコラを抱いたまま、スタコラとリビングの方に逃げ出してしまう。
「誰が赤鬼よ!」
「アリスはナマハゲ役ということね」
上から下まで真っ紅なアリスがプンスカと怒ると、うんうんと頷きながら【賢者の石】持ちのユウナが地方文化について無駄に造詣が深いところを見せる。でも異世界にもいるのか、ナマハゲ。
「なんでよ!」
「ははは、アリスが躾けに来ると確かに怖いかも。でも、ミラはすっかり良いお母さんだな」
本当に角が見えてしまいそうなアリスとは反対に、すっかり赤ん坊を抱いた姿が板について見えるミラに少しだけ感嘆してしまう。
「え? そ、そんな、クロセ様。急にお母さんだなんェ~。はっ、その前にお嫁さん、いえ、婚約者、いえいえ、まずは恋人に……うへへ~」
すると何故かミラが赤ちゃんを抱いたまま、クネクネとし始めてしまう。それを見ていたアリスが、はあ~とため息をつく。
「また、ハクロー。あんたは……」
「え? な、何だよ」
「うふふ。クロセさんの言うとおり、ミラ様は良いお母様になるでしょうね?」
ソファに座っていたセレーネにまでクスクスと笑われてしまい、さらにミラが加速度的にテレテレになってしまう。
「ところで、直近は粉ミルクでも仕方ないのかもしれないけど、乳母はどうするんことにしたんですか?」
「それなんですが、この路地裏ではやっぱり難しいようで……しばらくはクロセ様が練成してくれた哺乳瓶に粉ミルクを入れて飲ませてあげるしか無いかもしれません」
もしかしたらと今朝、急遽練成して渡しておいたのが役に立っているようだ。それはそれで良かったのだが……予想通り、王侯貴族のように乳母なんてものは都合よく見つかるものでは無いらしい。
そもそも、母乳を貰える母親がいるのなら、こんな孤児院にいるはずが無いのだ。
「分かりました、それでは少し多めに追加で練成して置いておくようにしますね?」
「それじゃ、ミネラルウォーターも水魔法で冷蔵庫に用意しておくわ」
そう言いながら、アリスが綺麗な水を予備の魔法瓶にどんどん水魔法で満たしていく。ただ、それをずっと準備し続けるのも大変な作業のはずだ。
「セレーネさんは体調がまだ本調子じゃないからなぁ。夜泣きとかで大変そうなら、俺達も交代でこっちに泊まろうか?」
「うふふ、大丈夫ですよ。やっと、赤ちゃんの面倒を見ることができるんですから、ちっとも苦になったりはしませんよ」
堕天してまで、あれほど欲しがっていた赤ちゃん――その子はお腹を痛めた本当の自分の子ではない。それでもとても幸せそうに微笑むセレーネは、やっぱりどこか女神の頃の面影が残っていた。
その圧倒的なまでに包み込むような慈愛に満ちた母性は、俺には少しだけ眩し過ぎるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食を取り終わる頃には時間的に少し遅くなってしまっていたので、今日は転移魔法でみんなをまとめて王族別荘のプチ離宮まで送って帰ることにする。
それほどの距離では無いのだが、これだけの人数を転移させるとなると流石にそれ相応の魔力が消費されるようだ。
やはり、距離と質量の掛け算に比例するのか。
「それじゃ、お風呂に入ってくるとするか?」
「そうね、きょうは結構暴れたから、とっとと汗を流してサッパリしたいわねぇ」
「はい、早くピカピカにしてコロンちゃんをモフモフ――げふんげふん、ブラッシングしたいです」
「コロンもモフモフしたいでしゅ~」
「フィもモフモフ~」
「ニャア~」
「私も硝煙を落としたいな」
「うふふ、それでは今日もみんなで一緒に入りましょうね」
「はい、姫様。今日は回復薬もたくさん作りましたから、少しだけ薬品臭もしますからね?」
とは言っても、当然のように俺は彼女達が入った後になる。そんな話をしながら、玄関ロビーから二階への階段をゾロゾロと上がっていると。
「「「「「お帰りなさいませ」」」」」
俺達の帰宅に気がついた、元平河の奴隷だった侍女見習いの女性達がパタパタとやって来る。玄関も開けずに転移魔法で直接帰って来てしまったので、少し驚かせてしまったかもしれない。
「「「「「「「「ただいま~」」」」」」」」
「ニャア~」
「きゃあ――っ!」
その時、ドタンという音と共に二階の廊下から悲鳴が聞こえて来た。常時起動しっぱなしの【ソナー(探査)】にはアラートは表示されていないのに、何だ?
「パメラっ。だ、誰か!」
【ビーチフラッグ(加速)】で一足飛びに階段を二階に駆け上がると、そこには侍女見習いの女性が一人倒れていた。もう一人が慌てた様子で、傍に膝を着いてオロオロしている。
「どうした!」
「き、急に倒れて……」
倒れたときに頭を打ったりしていると、激しく動かすのは不味いかもしれないので、すぐに【解析】で視ると。
「これは――【妊娠】って?」
「動かしても問題ないようだから、ハクローそこの空いてる客室に運んで。クラリスは侍従長に言って医者を呼んでもらって」
同じく【鑑定】したらしいアリスが、ステータス情報に【妊娠】の他には状態異常が無いことを確認すると、すぐ傍の扉を指差す。
「はい、ただいま」
タッと踵を返すと、クラリスは一階へと廊下を走って行く。
「あ、……ああ」
俺がおっかなびっくり倒れている女性を抱きかかえて、空きの客室のベッドに寝かせると、アリスが困ったような顔をする。
「回復魔法や治療魔法を使っていいのか判断できないわ……お医者さんを待ちましょうか」
「そうですね。お腹の赤ちゃんに、魔法でもしものことがあるといけませんからね」
勢い余って高位六精霊を顕現させていたルリも、準備していた多重回復魔法をお礼を言って解除してもらう。
しばらくして、馬車で連れてこられた高齢な医師が倒れたパメラの診療を手得際よく終える。部屋の中に入れない男の俺は、廊下で診察結果だけを教えられた。
どうやら妊娠三ヶ月ぐらいになる頃らしく、母子共に異常は無いとのことだ。どうも睡眠不足や心労などから、軽い貧血を起こして倒れたのだろうとのことだった。
そういえば、もう10月も半ばになるのか。気がつけば、異世界召喚されて三ヵ月以上が過ぎ去っていた。
ともかくまあ、何はともあれ流産とかでなくて本当よかった。
「あ……わ、わたしは……」
すると入口の扉が開けられたままの客室の、ベッドで寝ていた妊婦の意識が戻ったようだ。
「パメラさん、廊下で倒れたのですよ。今さっきお医者様に診ていただきましたが……」
「……それでは」
侍従長が何故か言葉を途中で詰まらせると、同じく顔色の悪いパメラも重苦しい声でつぶやく。
「ええ、妊娠しているとのことでした」
「……そうですか」
あれ? ここは、「おめでたですよ」とか言って喜ぶところでは――無い、ようだった。
心配そうにしていた仲間の侍女見習いの女性達も何故か暗い顔をしていて、とてもおめでたいといった感じではない。
アリスやルリにミラ達までが、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。部屋の入口で俺も黙っていると、妊婦のパメラが俯いたまま静かな声で口を開く。
「ミラレイア様、申し訳ありませんが堕胎手術の許可をいただきたく」
「「「「「「……っ!」」」」」」
「ニャ!」
「……え?」
部屋にいる女性全員が息を呑む中で、俺だけが部屋の入口で間の抜けた声を上げてしまっていた。だって、赤ちゃんだろ? え? 堕ろすって――中絶ってことなら、子供は?
「……良いのですか?」
ミラが綺麗な姿勢のまま、落ち着いた声で聞き返す。おい――おいおい、ちょと待てよ。
「はい。もしや……と思って、ずっと考えておりました。あの男の子供は産みたくありません」
つっ! その言葉で頭を殴られたように、視界が歪んだ気がした。
だって、自分のお腹の中の赤ちゃんだろ? それを――そこまでして、あの平河の子供が嫌ということなのか?
「そう……。分かりました、先ほどの医師には、明日もようすを見に来てもらうことになっています。そのとき、パメラさんの考えが変わらなければ一緒に相談いたしましょう」
「はい、ミラレイア様、ご温情に感謝いたします。このご恩、必ずや……っ」
とうとう言葉を詰まらせてしまう妊婦のパメラ。
そのベッドの横で、たぶん杜撰な堕胎手術で子供を産めなくなってしまった元女神のセレーネのことを思い出したのだろう、アリスが心配そうにつぶやく。
「ミラ、この世界の中絶手術って……」
「大丈夫ですよ。先ほどの医師は長年に渡って王家専属を勤めいる優秀な方です。魔法による母体に極力影響しない堕胎手術ができて――過去に実績も十分です」
王侯貴族のご令嬢御用達のエリート医師様は、過去にも同じような処置をしているようだった。
ならば、かわいそうなセレーネのように二度と子供が産めないような酷いことには……酷い? 堕ろされる赤ちゃんにとっては、酷くないとでも言うのか?
だって、異世界召喚された【勇者】の子供は、高い確率で大きな魔力と沢山のスキルに恵まれた才能豊かで優秀で――だから、みんなあれほどの適齢期の貴族令嬢達がこぞって媚びを売るようにしてまで――いや、いやいや、そうじゃなくて。
ああ、この部屋の中にいる女性は全員が理解しているのだろう。きっと男である俺だけが、ちっとも理解できていないんだ。
そのとき、悲哀を塗りつぶしたような慈母の微笑を浮かべたセレーネの顔が脳裏に浮かぶ。
天界からこの地上に堕ちてまで――あれほどまでして自分の子供を欲しがっていた彼女はもう自分の子供を授かることができないのに、この部屋の中ではその対極とも言える決断がなされていた。
――これは、何に対する怒りなのか。何に向けた悲しみなのか。そして一体全体、この陳腐な演劇の一幕は何のための物だというのか。
おい、バカ平河――お前のしたことは、こんなどうしようもない結末を迎えてしまったぞ。
お前の遺伝子をこの世には決して残さないという、絶対の決意を込めた鬼子母神がここにはいるんだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「如何ですかな、【勇者】ヒラカワ殿」
「悪くねェなっ! この【聖剣・エッケザックス】も【魔法鎧・ゼーブルク】も、それから俺の新しいハーレムもバッチシだ! ヘルムフリート皇太子さんよぉ、ありがとなっ!」
平河衛士が豪奢な鎧を装備して魔剣を掲げているのは、帝国の首都である帝都にそびえる帝国城の謁見の間。
前方には帝国皇帝とその横には皇太子、周囲には貴族が立ち並んでいる。すぐ横には脱走を手助けしたデルボネル伯爵、そして後ろには【勇者】のために用意された着飾った年齢もまちまちな美しい女性達が総勢二十人も並べられていた。
それを大したことではないとばかりに、ヘルムフリート皇太子が手をヒラヒラと振って応える。
「ふふふ、それほどの魔法剣と魔法鎧を取り寄せるのには、流石に骨が折れたが。まあ【勇者】ヒラカワ殿に相応しい究極の一品ともなれば、どれだけの金銀がかかったとしても止むを得んからな」
「まかせておけ! 誰よりも上手にこの魔法剣と魔法鎧を使いこなしてやるぜェ! もちろん、あの処女達もなっ! あははははっ」
魔法剣を天に向けて掲げた平河衛士の姿を見て、皇太子はニヤァ~と口を月の形に歪める。
王侯貴族達は怒涛の歓喜の声で迎えている。
そしてそれを無表情のまま黙って見つめて立ち尽くす、二十人もの美しい処女達がいた。