第3章32話 月の女神
「というわけで、社会福祉法人を設立することにしました」
「「「「おおー、パチパチパチ」」」」
「ニャア~」
分かっているのか分かっていないのか、よく分からないがドヤ顔のミラの声明に、素直に手を叩いて喜ぶお子様なコロンとフィにエマと何故かルリさん。そして、聖獣のルーまでが前足の肉球をパタパタさせている。
今日は朝も早くから、ニースィアの裏路地にある外壁にくっついた【砂の城】に集まっていた。昨日も話をしていた、孤児院の立ち上げと低級回復薬の製造販売に向けた準備を始めるためだ。
そして侍女筆頭のクラリスが、コホンと咳をしてから口を開く。羊皮紙を挟んだバインダーを片手に抱え、文字通り秘書のようにメガネの縁をクイッと上げて、嬉しそうにキランとそのメガネを輝かせている。
「はい、姫様。それでは、まずその社会福祉法人の代表はミラレイア第一王女になります。まあ、これは名貸しだけで、実務はセレーネ様に仕切っていただくことになりますが。
この協会は商人ギルドにも魔術師ギルドにも所属しない、完全に独立した法人ということにいたします。
まずは直近で王国から予算を取ることはできませんので、当面は姫様の私財から捻出することにして暫くは自転車操業になりますが、いずれは利益を上げなくても良いので最低限自立できるようにするのが最終目標ですね」
「ミラにそんな金があるのか?」
長年にわたって絶賛引き篭もり中だったミラが、そんな大金を持っているとは到底思えないのだが。ところがどっこい、スタイルの良い胸の膨らみを張って、お姫様がエヘンと威張って見せる。
「えへへ~、ちゃぁ~んとお小遣いを貯めていたのです。お爺ちゃんからもらったお年玉も、手をつけずに貯金してあるのですよ。ふんす」
「はい、それに姫様はこう見えても、学生の頃は自室に篭もって研究と論文の作成ばかりをしていました。その時に開発した役に立たない術式を、魔術師ギルドが何故かどうしてもと言って買い取ったりして得た小銭が意外とあるのです」
「げふんげふん、クラリスは余計なことを言わんでよろしい」
可愛く顔を赤くして、お姫様がソッポを向く。あ~ぁ、学生の頃から引き篭もっていたのかよ。
しかも、あるんだお年玉。一国のお姫様のお小遣いが、幾らあるのかなんて知りたくも無いけどきっと凄いんだろうなぁ。
「そこで、この協会の名前なのですが」
再びコホンと咳をしてから、ミラが珍しく真剣な顔で元女神のセレーネを見つめると、凛とした声で宣言するのだった。
「『月の女神協会』。それが、この社会福祉法人としての名です」
「え?」
綺麗なエメラルドグリーンの瞳をパッチリと開いて、その元【月の女神】セレーネが驚いてしまっていた。みんなも優しい表情をして黙ったまま、そんな彼女の横顔を見つめている。
「で、でも……私は何も」
「【月の女神】セレーネ様は慈愛の女神として、お隠れになって数百年が経つ今日でも、多くの人々の信仰を集めています。当然ではありますが、特に女性には根強い人気があるのが事実です」
これ以上は無いというほどの優しい表情をした、ミラレイア第一王女がその感謝の気持ちを込めて、今は【堕天使】となったセレーネに深々と頭を下げる。
「是非とも御身のお名前を使わせていただきたく」
「「「「「よろしくお願いします」」」」」」
「よろしくお願いしましゅ」
「ニャア~」
みんなも合わせて座っている机に頭をつけるように下げると、子供が大好きなセレーネはその美しいエメラルドグリーンの瞳に薄っすらと涙を溜めながらも優しく微笑む。
「勿論、構いませんよ。私も皆さんの力になれるよう頑張りますね」
「セレーネ、私もがんばってお手伝いしますよ?」
小さなエマも満面の笑みで、セレーネに抱きつく。命の恩人であるセレーネが元女神と知っても、これまでと変わらず良く懐いていて、それはまるで本当の親子のように見えてしまうほどだ。
「それでは、姫様。土地の借用については、ニースィア公爵に話を通して事務処理すれば良いとして。後は属さないとはいえ、商人ギルドと魔術師ギルドには仁義だけは切っておきますか」
有能な秘書役のクラリスがバインダーをパタンと閉じてから、もう一度クイッとメガネの縁を上げる。そう言えば、とアリスが人差し指を振る。
「ああ、ここいらの子供達を集めるなら、ついでに闇ギルドのボスにも話をつけておいた方がいいわねぇ」
「よし、じゃあ順番にグルッと回って来るとするか。セレーネさんはまだ身体の調子が戻り切っていないんだからお留守番ね。エマはどうする? 付いてくるか?」
「セレーネには私が付いてるから、エマは美味しい物でも食べてらっしゃい」
やっぱり優しい笑顔を湛えた娼婦のエンデが、小さなエマのアッシュブロンドの髪を撫でる。
しかし出来過ぎた子なのか、エマは良いのかなというようにみんなの顔を窺ように見てしまう。だから、ルリが後ろからエマの小さな身体を抱き締めて微笑みかける。
「さあ、エマちゃんも一緒に行きますよ? そして、帰りにはエレーナさんとエンデさんに、美味しいおみあげを買って来てあげましょうね?」
「はっ! うん、おみあげねっ。わかったよ、ルリおねーちゃん」
「えへへ~」
嬉しそうに抱き合って微笑むルリと小さなエマに、みんなもついついつられて笑ってしまっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それはいかがなもんでしょうなぁ、げへへ~」
魔術師ギルドに挨拶にやって来たのだが、直接、ギルドマスターの執務室に通されていた。
豚のように太った中年親父が、家の美少女揃いの女性陣に舐めるような好色で絡みつく視線を向けて来ている。
先に寄って来た商人ギルドの方は王家とガチで争うことの無意味さを知っているのか、アッサリとしたものだった。むしろ、余った低級回復薬は引き取るとまで言っていたほどだ。
まあ、元々こいつら魔術師ギルドが王都の魔物暴走にかこつけて、回復薬の価格を高騰させたことがそもそもの原因だ。
こうなることは想定範囲内なので動揺することも無く、代表代理のクラリスがメガネの縁をクイッと上げて冷たい声で聞き返す。
「ほう、それはどういう意味か?」
「いえ、私ども魔術師ギルドといたしましても、効力が不明な得体のしれない低級回復薬が市場に出回りますと、無用な混乱を招く恐れが」
「品質は協会と――そうだな、王家が保証しよう。貴様らには迷惑はかけんと、約束もしよう。それなら文句はあるまい?」
ニヤァ~とグロスが入った口紅をつけた唇を月の形に歪ませて、第一王女の侍女筆頭であるクラリスが全然笑ってないメガネの奥の瞳を向ける。
すると、これまでと違い暴利を貪ることが出来なくなって、確実に迷惑を被ることになる魔術師ギルドのギルマスがブヒブヒと喚き始める。
「そんなことをされて良いのですかな? 我々、魔術師ギルドを敵に回すと」
「ああ、貴様らがこれまでやって来た、回復薬の独占市場での価格操作による高騰は、既に王都に報告が上がっている。近々、財務官達が派遣されて来るだろうから楽しみにしているがいい」
クラリスが極め付けに悪そうな顔をして、ニヤニヤ笑いながらギルマスの言葉を遮ってしまう。
その時、ドタドタとギルマス執務室に駆け込んで来た魔術師ギルドの職員が、青い顔をしてギルマスにしがみついて息を切らしながら叫び出す。
「た、大変です! ニースィア公爵領の財務官達がいきなりやって来て、抜き打ちで立入監査を実施すると……既に帳簿や納税書などを漁り始めています!」
「何ぃ? ニースィア領の事務方の奴等には鼻薬を利かせてあったはずだろ――はっ!」
突然の査察襲来に焦ったギルマスが椅子から立ち上がって、つい本音を零してしまう。
悪代官クラリスは、さらに悪魔のように口を耳まで裂くと顔を近づける。
「ほお~、そんな薬まで魔術師ギルドでは売っていたのか? 是非とも詳しい話を聞かせてもらわないとなぁ。
我々、王家に喧嘩を売っておいて、今さら逃げられると思うなよ。腐れ外道が。
今まで不当に貯め込んで来たものを全て吐き出させて、尻の毛まで毟り取ってやるからそのつもりでいろよ。くくくっ」
「ひっひいいい!」
小心者の豚ギルマスは椅子に崩れ落ちるように座り込むと、脂汗をダラダラと垂らし始めてしまう。
「き、貴様ら、こ、こんなことをして闇ギルドが黙っていると」
「ああ~、闇ギルドのボスにはこれから話しをつけに行くから、伝言があるなら聞くわよ?」
スラッと長い美脚を組んでいたアリスが、人差し指をヒョイヒョイと曲げて見せる。
「え? 闇ギルドに?」
「そうよ、この【賢者】で【聖女】な私が自ら話を聞いてあげようってんだから、感謝しなさい?」
ふふん、と薄い胸を張って威張るアリスさん。ギョッとしたらしい豚ギルマスとギルド職員のモブキャラが、ガタガタッと座っていた椅子を後ろの壁にぶつけて後ずさるように逃げようとする。
「ひぃ! ま、まさか、【紅の魔女】かぁ?」
「ええっ? あの王都で大暴れして、歩いた後にはペンペン草も生えないっていう、あの!」
「…………【賢者】で【聖女】って言ってんでしょ? あんた達、死にたいの?」
一拍置いてから、アリスの地獄の底から聞こえてくるような低い声が、静まり返った魔術師ギルドのマスター執務室に響き渡る。
「ひぃいいいい! お、お助けぇ~~、全て話しますからぁ~。命だけは、お助けをぉおおお」
「ぎゃああああ! 私はギルマスに指示されただけで、家には小さな娘が。だから殺さないでくださいぃ~~」
とうとう、どうしようもなく小悪党の子豚が一匹とついでに雑魚が一匹が、座っていた椅子から転げ落ちてその椅子の後ろに隠れて泣き出してしまう。
しかし、それをブスッとさくらんぼ色の唇を尖らせて、腕組みをしたまま睨みつけるアリスにボソッと囁く。
「よかったな、アリス。お前の二つ名も、平和に貢献するようだぞ?」
「……なんでこうなるのよ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「という訳だから。セレーネの所に手出ししたら、どうなるか分かってるでしょうね?」
闇ギルドの親分がコクコクと懸命に首を縦に振り続けている。ここでも、ボスではなく呼称は親分に変更になったようだ。
「し、しかし、姉御」
「姉御と呼ぶな」
オドオドしたまま親分が口を開くが、アリスがすぐさま低い声を被せる。
「ひぃ! わ、わっかりやした! 姐さん」
「姐さんも止めろ」
地獄から響くような声を聞かせるアリスに、親分がたまらず叫ぶ。
「ひぃいい! あ、アリス姐さん!」
チッと舌打ちすると、仕方ないとでも言うように顎をしゃくって見せるアリス姐さん。まんま、ヤクザの姐さんにしか見えませんが。
あ、そんなに睨まないでください。ほら、小さなエマがルリの後ろに隠れて震えているじゃないですか。
「そ、それが、家の――闇ギルドの四凶王が帰って来んのですが、こいつらがちょっとヤバイやつらでして。
元は最近この街にやって来た流れ者だったんすが、腕だけならAランク相当とも言われていて。回復薬の価格高騰や回復魔法の高額化を影で操って、金をかき集めていたのも奴等のはずですぜ」
「どこにいるのよ?」
「あっしでも奴等の動向までは、全て掴めている訳では無いんすが。どっかの地下迷宮で薬を造るとか言ってたような?」
「何よそれ。地下迷宮なんかで薬が作れるの?」
「い、いやあ~、あっしもそこまでは……あ、でも四凶王の中に一人変な魔族がいて。そいつが妙に頭の良い奴で、色んな薬を造ってたような?」
「ふ~ん。まあいいわ。見つけたら、連絡しといてよ。話があるなら、直接会いに来いって」
「わかりやした、でもアリス姐さんも気をつけてくだせぇ。奴等はまるで狂犬のような野郎共で、まるで厄災のように暴れるんで四凶王と呼ばれてるんすよ」
「はあ~、分かったわよ。とにかく、どこの地下迷宮にいるとか分かったら教えなさい。攻略のついでに寄ってみるから」
「へい、わっかりやした」
深々と頭を下げる闇ギルドの親分。その後ろの壁際で、相変わらずこちらを睨みつけているのは。
「ところで、そのクソガキは何でそんな所で、こっちを恨めしそうに睨んでんのよ?」
「……くっ」
前に小さなエマから薬草と金を奪いやがったので、両手の骨を砕いてやった糞餓鬼が壁際で黙って後ろ手に立っていた。まだ両腕は肩まで包帯で巻かれたままだ。
「へい、前にアリス姐さんに言われた通り、渡された低級回復薬で腕は取り敢えず簡単に治療だけはしてはおきやしたが。いつまで、あっしが預かっておかなきゃなんないんすか?」
「両腕が使えなきゃスリも殺しもできないでしょうから、しばらくは親分のとこで一から教育してやってよ。ああ、あんたも迷惑被ったんだろうから、手加減は無しで人格変わるぐらい徹底的にやって良いわよ?」
「そうっすか、まあぶっ殺すのが面倒臭く無くて簡単でいいんですが。両手が使えなくても伝言ぐらいはできるでしょうから、丁稚でもさせときやす。
ああ、そういえば路地裏の連中がアリス姐さん達に感謝してやした。治療やら回復薬らを安くしてくれたって。このとおり、あっしからもお礼言わせてくだせぃ」
もう一度深々と頭を下げる闇ギルドの親分だが、後ろの壁際では糞餓鬼が不満そうに鼻を鳴らす。
「ふんっ」
ボカッ
「あいたっ」
すかさず親分の大きなゲンコツが糞餓鬼の後頭部を殴りつけて、頭を強制的に下げさせる。こりゃあ、しばらくは言うこと聞かなそうだなぁ。
「おい、糞餓鬼。お前が生かされているのは、俺達が自分の傲慢を反省するためだ。だから、次は手加減抜きでその両腕を斬り落としてやるからよく覚えておけ」
あの日、中途半端な施しのために小さなエマに怪我をさせてしまったことを、心優しいルリは絶対に一生忘れはしないだろう。
自らの偽善が招いた最悪な結果の生きた証として、嫌でも見つめ続けなくてはならない。その結果がこれからどうなってしまうのか、しっかりと自分自身のその紅い瞳で。