第3章31話 女神再び
ドンガラガッシャンと中空から突然現れて、木製の長椅子を打ち壊す。黒い十字架の刺繍を背中に背負った十二名の黒服修道士が、大理石でできた床に木の破片と共に血煙の中でゴロゴロと転がっていた。
その内の何人かは手足が欠損して血だらけになっていたのだから、ニースィア神廟にいた神聖教会の関係者は度肝を抜かれてしまう。
静まり返った神廟の重い金属製の入口扉から姿を現したアリスが、面倒臭そうに顎で俺に前を指す。
小さくため息をつくと、ポイッとゴミの様に引き摺って来ていた人物を女神の石像の前へと放り投げる。
放物線を描いてベシャっと床に落ちたそれは、すぐさま飛び起きたかと思うと額を大理石の床に擦りつけて、女神像にお尻を向けたまま土下座の姿勢で祈り始めてしまう。
「はいはい、後は頼んだからな」
そう投げ槍につぶやく俺はというと、神聖教会のセルヴァン支局までちょっと長距離転移魔法でひとっ飛びに往復して来たので、もう魔力残量がほとんど残っていないのだ。
わざわざ霊峰ラトモス山の麓なんてあんな遠くまで飛んだのは、そこで土下座している今回の黒幕の一人である、アルカンジェロ枢機卿を引っ張って来るためだ。
ちなみに、ここ神聖教会の神廟にはアリスの他はルリ、コロン、フィとユウナに俺だけだ。パーティーメンバーでないミラとクラリスには、さっきの襲撃について何も知らないセリーヌとエマにエンデ達と一緒に【砂の城】に残ってもらっている。
紅蓮の魔力が抑え切れないのか、アリスは靄のように周囲を漂わせてしまっていた。そして激烈につまんなそうに紅と蒼のオッドアイを半眼にすると、腕組みをしてトントンと床にブーツを打ち鳴らしながらつぶやく。
「さてと、あとは何とかいう司祭を呼び出せば」
「皆さん、これは一体どうしたんですか?」
【砂の城】が襲撃された時に一緒にいたのだが、危険な戦闘を避けるためそのまま神廟に残しておいたシスター・フランが慌てて走って来る。
その後ろから。
「こ、これはどうしたことだ! う……く、『黒の十字架』が、ぜ、全滅? ば、馬鹿な!」
遅れて転げるようにやって来たのは、あの嫌味っぽい――確かダルマツィオ司祭とか言ったか。愕然としてつぶやくその後ろから、続いておっとりと後を追うように姿を見せた初老の女性が問いただす。
「ダルマツィオ司祭、それはどういう意味ですか?」
緋色の聖職者服を着ているので、あの婆さんがこの神聖教会神廟の枢機卿なんだろう。
唖然として答えることのできないダルマツィオ司祭に代わって、アリスが肩を竦めながら答えてやる。
「何か、私達が回復魔法や治療魔法を使うのが気に入らないみたいよぉ?」
するとまだ、言い逃れができると思っているのか、我に返ったダルマツィオ司祭がどもりながら言い訳を始める。
「せ、【聖女】様には申し上げにくいのですが。教会としては、事実上ほぼ無償で治療をされては困るのですよ」
「命の値段はいくらなの、答えなさい」
あー、また何か降りて来てるな。アリスの紅蓮の魔力に全身をくまなく纏わりつかれて、遂に我慢できなくなったのか司祭は簡単に切れて小物ぶりを露呈させてしまう。
「くっ、な、何だと言うのだ! 貴様らが気にしている娼婦の命などっ――唯同然だぁ! あ、あんな穢れた女どもなど」
「貴様、今、何と言った?」
その瞬間、アホ司祭の言葉を遮るように、ユラッと『車椅子』から立ち上がったユウナが、自らの震える脚で一歩を踏み出す。
「もう一度、言ってみろ。何と言った?」
そうして、どこまでも透き通ったアメジストのような紫の瞳を細くしてユウナが、ダルマツィオ司祭を真っ直ぐに睨みつける。
すると、とうとう耐え切れなくなったらしく、逆切れしたように大声で叫び始める。
「あんな、穢れた娼婦など神の御業である回復魔法をかけてやるまでもない!」
その司祭の言ってはならない一言に思わずユウナを振り返ると、彼女は慈愛を浮かべた優しい表情をすると、静かに女神の半身としての言霊を発する。
「そんなことはない。私にはできない、立派な必要とされる職業だ」
横からその様子を見ていた婆さんの枢機卿が、やはり女神を見たことがあるからかユウナの姿をもう一度目を凝らして見つめる。
「あ、あなた様は……まさか、いや、それにしては」
その時、スックリと自らの脚で立つユウナに重なるように、白いトーガをまとった女神がその姿を顕現させる。
それはユウナを少しだけ大人にしたような、でも輝く光に揺らめくオーラは間違いなく女神のものだ。
「まさかっ、やはり!」
ギョッとした老婆の枢機卿があわてて走って来て、女神の姿をしたユウナの前に跪く。
さっきから祭壇に尻を向けて土下座したままの、セルヴァン支局アルカンジェロ枢機卿以外の教会関係者が、ズダダダダッという音と共にあらためて両膝を床に着けていた。
「じ、【純潔の女神】アルティミス様!」
教会の者達の中で唯一人だけ祈るようにして顔を上げていた、婆さんの枢機卿が絞り出すように声を上げる。
そんな中、ただ一人だけ呆然と膝を震わせたまま、ダルマツィオ司祭だけが棒立ちしていた。顎が外れたように口をあんぐりと開けて、跪くことすら忘れてしまっているようだ。
たかが司祭クラスだと、女神の姿を直接見たことが無かったのかもしれない。
薄く光り輝くオーラを透けるようにまとったアルティミスは、辺りをぐるっと睥睨してから、ゆっくりと柔らかい大人の女性の声を上げる。
「我が子らに何やら聞き捨てならない、暴言を吐いたようだが――貴様ら教会の総意か?」
「め、滅相もございません! あの狼藉者はすぐさま破門とし、二度とこのようなことの無いように――」
婆さん枢機卿が額から脂汗を垂らしながら、必死な形相でひたすら弁解を続ける。
まあ、後は女神に任せることにして、俺達は後ろでボソボソと暇を潰すことにする。
「あー、もしかして女神さん。物凄っく怒ってる?」
「やっぱり、ハクローもそう思う? まあ、分からなくも無いけどねぇ」
「うん、ハクローくんの言う通り、この前のセルヴァン支局の時よりもずっと怖いねぇ」
「コロンにはわからないでしゅ」
「フィも知らなぁい~」
「ニャア~」
すると、やはり祈るように跪いたままのシスター・フランが珍しく静かにつぶやく。
「【純潔の女神】様としてのご自身とは、対極に位置する娼婦である彼女達にあのような物言いをされたのです。そのままにしておくことは到底できなかったのでしょう」
はぁ~、ここに元【月の女神】のセレーネを連れて来ていなくて、本当に良かった。やっぱり、不妊治療の神頼みは最後の手段にしておこう。
あの様子だと下手に知られてしまうと、その怒りが何処に向かうか分からないからな。
そうして老婆の枢機卿の弁明を聞き終わると、ジロッと地面に平伏したまま震えているセルヴァン支局アルカンジェロ枢機卿の後頭部をねめつけるようにして、女神アルティミスの声が辺りに響き渡る。
「もう一度だけ申し付ける。女神アルティミスの名において命ず。ここにいる我が友への手出しは無用だ。
ああ、それからそこの貴様は二度とセルヴァンに顔を見せるでない」
「「「「「ははぁっ!」」」」」
「ひっ!」
ゴンッ、と音がするほど床に額を打ち付けたお婆さんの枢機卿と教会関係者達は、教会が女神の逆鱗に触れてしまったことを理解したようだ。とうとう全員が土下座状態になって、ブルブル震えながら全身から脂汗を垂れ流し始める。
そしてどうも女神に名指しされてしまったらしい、セルヴァン支局アルカンジェロ枢機卿の狼狽ぶりは滑稽とも言え、床にへばり付くように平べったくなってしまっていた。
静まり返ってしまった神廟の中を、聖獣クルガルーガがトコトコと歩いてアルティミスのところまで行く。「ニャア~」と鳴くのを、目を細めた彼女は屈んでルーを両手で抱えると、よしよしと揺らし始める。
「久しいな、少し大きくなったか? そうか、それは良かったな。皆に優しくしてもらうんだぞ、よいな?」
そう言って、聖獣ルーのおでこに自分の額をつけると、ようやく優しい笑顔を見せるのだった。
この女神の微笑みを見れば、そんなに震えることも無いだろうに。どうして教会関係者はみんな俯いたままなのか。
そう言えば、女神ってもしかしなくても、聖獣とはテレパスのようなもので意思疎通ができたりするんだろうか。でなければ、超長距離精密射撃の専用スコープの役目は肩代わりできないもんな。
聖域セルヴァンの【神力】域内から遠く離れた、ここニースィアに女神が現れることができたのは、神の御使いとも言われる聖獣ルーのおかげということか。
会話もできない俺達じゃ、まだレベルが足りないということなのだろう。
あれ? でも時々コロンは何やら聖獣ルーとこしょこしょと内緒話をしているような気もするなぁ。
流石、小さなコロンは【聖獣使い】のジョブ持ちと言うことだ。
とか関係ないことを考えていると、突然に立っていたユウナがグラッと後ろに傾くので、あわてることなく身体を抱きかかえてゆっくりと『車椅子』に座らせてやる。
「チッ、だからユウナの扱いをもうちょっと丁寧にしろってんだよ」
その時まで頭を地面に擦りつけていた教会関係者は、ギョッとして全員がその視線を舌打ちをしたこちらに向けて来る。
ん? ユウナを抱き締めている俺が女神を抱いているように見えたのか? それとも、女神に文句を言っているように見えたのか?
まあ、どっちでも似たようなもんだから、いいけどさ。
「ところで、このアホ共は引き取ってくれるんでしょうね?」
腕組みをしたままのアリスがコンコンとブーツの爪先で床を叩きながら、顎で床に転がったままフルフルと震えている黒い修道士十二人を指して初老の女性枢機卿に問いかける。
彼らも誰に手出ししたのかやっと理解したらしく、顔色は真っ青を通り越して白くなっていた。
「無論じゃ。こやつらが何をしおったのかは、だいたい想像がつくが。まあ、『黒の十字架』の十二人は命令に従っただけじゃろうから、武装解除して事情聴取じゃな。ただのぅ、言われるがまま確認もせずに盲目的に従った責任は取ってもらわねばな。
それからそこでヘタレておるのは、セルヴァン支局のアルカンジェロ枢機卿じゃろう? 連絡が取れんと思っておったら、『黒の十字架』を本国から呼び寄せて一体何をするつもりじゃったのか。
精々途中で怖くなって、ビビッて放り投げたといったとこかの? なぁんじゃ、図星か。他愛も無いのぉ」
目を見開いてガクガク震えるだけのセルヴァン支局のアホ枢機卿に、初老の女性枢機卿が残念そうに首を振る。
「ここで儂がどうこうする話じゃ無いだろうがのぉ。【純潔の女神】アルティミス様が貴様の顔を二度と見とう無いと申された以上、セルヴァン支局は退去、閉鎖となろう」
「なっ!」
さらに目を見開いて、口もあんぐりと開けてしまったセルヴァン支局のアホ枢機卿に、初老の女性枢機が刃物で刺すような視線を向ける。
「貴様の軽挙妄動のお陰で、セルヴァンの神聖教会は女神様のご不興を買ってしまったのだ。
女神様のお膝元であるにも関わらず、教会が退去させられるという前代未聞の大失態となるのだぞ? 貴様も本国での処分は覚悟することだな」
ガックリと両手を着いたままで、セルヴァン支局の枢機卿は死んだような顔をして項垂れてしまった。
そして、相変わらず棒立ちのままのダルマツィオ司祭をそのまま睨みつけると、初老の女性枢機卿が重々しく口を開く。
「貴様は女神様にも申した通り、儂の権限でこの瞬間を持って破門とする。その上で逮捕、本国送還とし――まあ、最終的には地下監獄行きじゃな」
「ひぃっ!」
ようやく我に返ったのか、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えて視線を彷徨わせ始めるアホ司祭。
「なんじゃ、まさか不服ではあるまいのぉ。これだけのことをしてくれたんじゃ、失敗した時の覚悟ぐらいはしておったのじゃろ?」
「そ、それは、いや、でも」
ガチガチと歯の根が合わない様子のアホ司祭は、助けを求めるように手を伸ばそうとするが。
「ふん、貴様はもはや神に祈ることすらできん。精々、地下の監獄で死ぬまで後悔するのだな。
ああ、死んでも貴様の死体は焼き払って、灰は荒野に撒いてやるからな。貴様の魂は神の身元に召すことも、転生すらもできんと思え」
「ひぃいいいい! い、嫌だぁ! それだけは嫌だぁああ!」
突然、子供のように騒ぎ出すアホ司祭。どうしたんだコイツと思っていると、一応教会の修道女であるシスター・フランがボソッとつぶやく。
「今の今まで女神様を信仰していた彼が、信仰を取り上げられ。さらには死んでも天国に行くことも転生することもできずに、地獄を未来永劫彷徨うとなれば、絶望もするでしょう」
「それより、地下監獄って物騒な台詞が聞こえたんだが?」
教徒でも無いのでそれがどれだけ大変なことなのかサッパリ分からなかったが、気になったので聞いてみることにしたのだが。
「ああ、神聖皇国にはその中心である教皇庁を守護する目的だけの魔術結界があるのです。その魔力供給源として地下に、死ぬまで繋がれるということですね」
「ああ~、人間電池ってことね。しかも、リサイクル無しの。でも、ある意味エコなのか?」
修道女のフランが珍しく似合わないシリアスな顔をしているので、そのヤバさだけは伝わって来る。この世界では非人道的とかいうことでも、案外無いのかもしれない。
まあ、セルヴァン支局のアホ枢機卿が途中で投げ出したボールを、ニースィアの枢機卿に隠したまま黙って掠め取って、良いように弄んだんだから。その付けを払わされるのは、当然と言えば当然のことか。
「それにしても、神聖教会って馬鹿ばっかなのか? 既に女神アルティミスからも、見放されているようにしか見えなかったぞ?
だって、女神の足元の信者を放って教会に出ていけなんて……言うか、普通?」
「たはは~」
流石のぽんこつフランもこれには言い返す言葉も無いようで、頭を掻くばかりだ。
「そこで相談なのじゃが、シスター・フランチェスカ。【純潔の女神】アルティミス様が友と呼ばれた、そなたに折り入ってお願いがあるのじゃ。
神聖皇国の本国に戻って、教皇様に本件の報告を直にお願いしたい。今回のように、女神様の本意を揉み消したり、無かったことにしたりすると、もはや次は無いと思わねばならん。
そこの二人の罪人は神聖騎士団に連れて帰らせるので、そなたはそれとは別に、急ぎ本国への一時帰還を準備してほしいのじゃ。
そうじゃな。費用は教会が持つから冒険者ギルドに依頼して護衛でも付けてもらって、できるだけ早く出立するが良かろうて」
そう言って、俺達の方を見てニヤ~と笑う初老の女性枢機卿。
こいつ、へっぽこフランを一人で旅立たせられないのを知っていて、俺達を無言で本国の聖都に一緒に向かわせる算段だな。
それが分かったアリスと俺が睨みつけると、女枢機卿は老獪な婆顔をしてヒヒヒ~と笑いやがった。
チッ、やっぱりこの婆あは唯者じゃねえってことか。
その横では良く分かっていないらしい、ぽんこつフランがアホ面を下げて首を傾げている。
「え? ええ?」
「はあ~、分かった分かった。おい泣き虫フラン、いいからお前は神聖皇国までの護衛の指名依頼を冒険者ギルドに出しておけ。俺達は既にCランクになってるから、問題なく受けられるはずだ」
流石にここで見捨てるのも忍びないし、またこのポンコツが泣き出しても困るからなぁ。
すると、もうウルウルと碧眼に涙を溜めると、ぽんこつフランがポカポカと俺の二の腕を叩いてくる。
「ああ~、また私を泣き虫って馬鹿にしましたねぇ! 今回はまだ泣いていませんよぉ~」
「なんだ、これから泣くのか?」
「あ~、これは泣くわね」
「泣くでしゅ」
「フィもそう思うわ」
「ニャア~」
「そんなこと言ってると、本当に泣かせることになるわよ?」
はっはっはっ、とみんなで笑って流してしまう。しかし、心優しいルリは泣き虫フランの綺麗なペールブロンドの髪を撫でながら、プクッと頬を膨らませて見せる。
「また~、ハクローくんはすぐにフランちゃんをいぢめるんだから。ほらフランちゃん、私達が神聖皇国までついて行ってあげますから。もう大丈夫ですよ?
うふふ、また一緒に旅行ができますねぇ。聖都についたら、美味しい物でも食べに行きましょうね? その時は、地元ッチーなフランちゃんが街を案内してくれると嬉しいです」
「わーい。ルリ様ぁ~、ありがとうございますぅ。おお女神様、感謝いたします! えへへ~」
ほら、もう泣いたフランが笑ってる。こいつは、本当にもう――しょうがないなぁ。
ムッ。それにしても、そこでしたり顔をしてニヤニヤしている老婆枢機卿が、また碌でもないことを考えていそうで、何かムカつくんだけど。
まあ、セレーネの不妊治療の調査もあるので、近いうちに神聖教会の【聖女】がいるという神聖皇国の聖都には行くつもりだったから。ついでだと思えば、別にいいけどねぇ。