第3章29話 ロザリオの祈り
「それじゃ忘れ物するなよ」
ニースィア外壁の傍にあるセレーネとエマのあばら家の隣りに建てっぱなしの【砂の城】に、病み上がりの二人の様子を見ると言う名目でみんなが泊まり続けてしまっていた。
しかし流石にいい加減、王族別荘から怒られそうなのでそろそろ戻らないといけない。
そうかと言って、二人をあのあばら家に置いて行くのも寝覚めが悪いので、【砂の城】はこのまま置いて行くことにした。
自分たちの【砂の城】は、最近のダンジョン攻略でレベルアップした【時空錬金】スキルで、また拡張版を新しく準備するつもりだ。
ミラとクラリスの部屋の荷物を【時空収納】に仕舞い終えると、「まあ、忘れてもすぐに取りに来れるんだけどな」と言いながら、リビングに下りて行く。
「本当に、何から何までお世話になってしまって。何とお礼を言ったらいいか」
借り物だが清潔な部屋着に身を包んだセレーネが深々と頭を下げるので、俺は手をヒラヒラと振りながら引継ぎを進めていく。
「いいえ、これぐらいは別に。冷蔵庫と冷凍庫にある食材はしばらくは持つと思いますが、悪くなりそうなものから優先して食べていってくださいね。お風呂は火の【魔石】と水の【魔石】で、いつでも沸かせるようになっていますから好きに使ってください」
すると、小さなエマの隣りに座った娼婦のエンデが少しだけ恥ずかしそうに手を上げる。
「エマはまだ子供だから、セレーネの体調が戻るまでは私がここに残って面倒を見ることにするよ」
「私はもう子供じゃないもん!」
小さなエマが唇を尖らせてポカポカとエンデの二の腕を叩くので、優しく微笑んでルリがそのアッシュブロンドの頭をゆっくりと撫でる。
しっかり者のエマだが、最近は子供らしさも見せてくれるようになってきていた。
「そうですね。エマちゃんにもこの【砂の城】の家事をお願いすることになりますから、がんばってくださいね?」
「うん、私にまかせて!」
コロンの部屋着を着て小奇麗にしたエマが、その小さな胸を張って見せる。ちょっと苦笑しながらも、そんな様子を嬉しそうに見つめるセレーネに視線を移す。
まだ少し聞き取りにくいようだし、視界も若干はボヤけるようだが、もう以前のようなことは無い。それでもエマの元気な姿を見て声が聴けることが、これ以上ない程に幸せといったような微笑みを浮かべていた。
。
「ところで今はまだ体調が戻ってないけど、セレーネさんはこれからどうするつもりです?」
「そうですね、せっかく【奴隷】からも開放していただいたので。動けるようになったら、エマのような身寄りの無い子供達のお世話をしていけたらと思います」
今後はもう娼婦の仕事は、できれば止めにしてもらいたい。そんな俺の個人的な我侭を察してくれた訳では決して無いのだろうけど、本当に優しい笑顔を浮かべてセレーネはそんなことを言う。
「そうか、やっぱり子供が大好きなんだな」
「ええ、自分の子供でなくとも大好きですよ」
そんな、本当に自愛に溢れた女神のような笑顔で微笑むもんだから、ついついこちらも苦笑して余計なお世話を口にする。
「それじゃ、薬草がご入用になりましたら、早い安いうまいがモットーの当パーティーに指名依頼をいただけますよう心よりお待ちしております」
「うふふ、ハクローさんったら。その時はよろしくお願いしますね」
「ああ、まかせろ」
少しだけお道化たように笑うと、セレーネもくつくつと楽しそうに笑顔を返してくれるのだった。
「王国といたしましても、現在の神聖教会と魔術師ギルドの対応については問題があると考えています。近々、何らかの処置を取ることになるでしょう。
またそれとは別に、現状でスラムと化している裏路地の子供達についても、神聖教会とは違った枠組みの孤児院の設立を検討したいと考えてます。
最初は規模も小さくなってしまうかもしれませんが、何とか実現させられるように調整してみますので少しお時間をください」
「はい、姫様。彼らはやり過ぎたようです。姫様の初仕事としては難易度は高いですが、丁度良い機会かもしれません」
少しだけ拳を握りながらミラが凛として背を伸ばして見せるので、嬉しそうにメガネの奥を細めたクラリスが腰の前で合わせた両の手を握り締める。
おお~。成り行きとはいえ、ミラレイア第一王女が福祉事業に乗り出すつもりのようだ。資金調達など問題は山積みだろうが、まずはミラが国政をやる気になったことが嬉しかったりする。
「そうねぇ、孤児院自体が自立して生活できると良いんだけどねぇ」
「ですよねぇ。ここは異世界の知識を活用して、いわゆる内政チートとか?」
う~ん、とアリスが顎に手をあてて唸ると、ルリが人差し指をピンと立ててフリフリと振り始める。
「そうは言っても、私達の中に純粋な生産職っていないし……」
珍しく難しい顔をしたユウナが、困ったように首を捻る。
「私達の中じゃなくても、例えばエマちゃんとかに教えても良いような気がするけど」
そこで、ビシッとルリに指差されて小さなエマがビクッとしてしまうが、それを受けてミラがハイハ~イと手を上げる。
「私が【調合】スキルを教えられます。採取した薬草の後処理まではできるようなので、それ以降を簡単な低級回復薬などからだけでも覚えてもらえば。
まずは直近の問題である、回復薬の高騰による市場での流通不足の解消に向けた一助となることができるでしょう」
「はい、姫様。回復薬の販売のための商会は、王家である姫様が代表になれば魔術師ギルドも手出しができません。病に伏す我が国の民への医療で暴利を貪る国賊には、王権を持って叩きのめすのが妥当かと」
おお、ミラレイア第一王女と侍女筆頭のクラリスが本気で政務を語りだしたぞ。
「あはは、ミラがちゃんとこの国の社会福祉や保健医療に貢献できるってとこを証明してやれば、正妃だって一人前の第一王女として認めてくれるんじゃないか?」
「え? そ、そうですか? そうですよね? わ、私、頑張ってみますね!」
「はい、姫様。正妃様にはガツンといいとこを見せてやりましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ダルマツィオ司教。回復魔法や治療魔法について、我らが神聖教会に多くの苦情が来ているようだがどういうことか?」
神聖教会の神廟二階にある、大通りに面した枢機卿執務室。
重厚な椅子に座る初老の女性が睨みつけているのは、呼び付けられて直立姿勢で畏まった聖職者服の男だ。
「そ、それは、先日にもご報告いたしましたとおり、王都での魔物暴走の被害に対する支援物資により、魔術師ギルドの回復薬が欠乏する事態となっていて、その皺寄せが教会に来ているためかと」
「それでお布施を暫定で一律に定額化した話は聞いている。問題はその金額があまりに高額ということだ」
トントンと枢機卿が机の上に置かれたお布施の価格一覧表を人差し指でつつくと、司教はハンカチを取り出して額を汗を拭き始める。
「い、いえ、必ずしもそのようなことは。現に魔術師ギルドの回復薬の価格と遜色の無い程度の」
「何を言っている、その回復薬の価格が従来の十倍近いのだぞ。それと同じ価格では、信者の者達が困窮するのは当然だろう?」
「こ、これには理由が。回復薬よりも余りに安価ですと、限られた回復魔法や治療魔法を使える教会職員への負担が計り知れず」
「ふざけたことを申すでない。既に従来価格よりも安価な回復薬や回復魔法と治療魔法を、提供している施設があると聞くぞ。貴様の言う負担とやらも、とっくに軽減されているのではないのか?」
同じく机の上の報告書を、パサァと置きながら枢機卿が不機嫌そうにため息をつく。必死で言い訳をしながらハンカチで顎から垂れる汗を拭う司教は、既に手が震え始めている。
「わ、私はそのようは報告は受けておらず」
「貴様、どこまでもこの儂を馬鹿にするつもりか? 先日のこの窓の下でのシスター・フランチェスカとの会話を聞かなかったとでも思ているのか?」
「ぐっ、そ、それは、いや、しかし」
「最近では随分と高い買い物もしているようじゃないか。魔術師ギルドの幹部連中とも仲が良いようだしのぉ」
「い、いえ、あれは、ひ、必要な、経費で、付き合いが」
すると、眉間にさらに皺を寄せた初老の枢機卿が、後ろに控えていた秘書のような修道女から分厚い書類を受け取ると、バンッとそれを机に叩きつける。
「経理処理の改竄が杜撰過ぎるぞ。貴様の処分は追って申し付ける。それまでは自室で大人しくしておれ」
「う、うう……」
ガックリと項垂れたダルマツィオ司教が出て行った枢機卿執務室の扉を睨みながら、初老の女性枢機卿がもう一度机の報告書を手にする。
「それにしても回復薬と回復魔法や治療魔法の提供者が、選りにも選ってシスター・フランチェスカの知り合いの者達だったとは」
「表向きは有翼人の元娼婦が運営していることになっているようですが。実際に手を下しているのは【聖女】様と【勇者】様のようです」
メガネをかけた、まるで秘書にしか見えない修道女が、直立不動の姿勢のまま澄まし顔で答える。
「それにしてもセルヴァン支局のアルカンジェロ枢機卿は何時になったら報告を上げて来るんだい? 本人達はとっくにニースィアに着いちまってるってのにさ。まさか、あっちで何かあったんじゃないだろうねぇ?」
「……使い魔を飛ばしてみますか?」
「そうさね、……すぐに頼むよ」
「畏まりました、クレメンティーナ様」
美しい姿勢のままお辞儀を済ませると、秘書っぽい修道女が足早に部屋を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、こめかみを指で揉むと初老の女性枢機卿は大きなため息をつく。
「嫌な予感しかしないよ、まったく」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほら、約束のロザリオだ。みんなと同じでミスリル製で、いつもの翼を広げた十字のデザインになってる。
Lv5になったルリの【魔力制御】、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】、【加速】の付与効果つきの一品物のレアアイテムだからな。大切にしろよ?」
「うへへ~、ハクローくん。そ、それほどでもぉ~」
神聖教会の神廟前の大通りで、ルリがテレテレと白髪の頭を掻いている。 シスター・フランはというと、ロザリオを握り締めたまま碧眼を大きく開いてプルプル震えていた。
「う……」
「う? フランちゃん?」
修道女フランの様子がおかしいことに気がついたルリが、彼女の目の前で手をフリフリと振る。
「うああああああ~~~ん!」
「わわっ」
ガバッとルリに抱きついて、わんわんと泣き出してしまうぽんこつフラン。
「はいはい、良かったですね」
「うわあああ~~ん、ルリざまぁ~。あじがどうごじゃいまずぅ~」
よしよし、と泣き虫フランのペールブロンドの頭を撫でてあげるルリが優しく微笑む。
「これでフランちゃんも、みんなとお揃いですよ~」
「うう~、うれじいでずぅ。女神様に、感謝をおぉ」
涙だけではなく、鼻水と涎まで垂らしてルリの柔らかな胸で泣きじゃくるフランに、ちょっと呆れてため息をつく。
「まったく、ぽんこつフランは。修道女なんだから、ロザリオのひとつぐらい持ってるだろうに」
「また、ハクローくんはそんなこと言って。どうして、そうやって何時もフランちゃんに意地悪ばっかり言うんですか?」
ちょっとだけ頬を膨らませると、ルリさんが困ったように俺を睨む。
「うへへ~、これはあれですね?」
「何だよ、へっぽこフラン。気持ち悪い笑い方するなよな」
「また~、照れちゃてぇ。分かってます、分かってますって。これは、あれですね、小さな男の子が好きな女の子に、ついつい意地悪してしまうという」
「「「「「「「あ~、ナイナイ」」」」」」」
「それはナイでしゅ」
フルフルと全員が呆れたように首を振るので、ふふんと得意そうだったぽんこつフランの顔がまた泣きそうに崩れてしまう。
「え~、みんなして何でですかぁ~?」
逆にキョトンとして、どうして気づかないんだとばかりにアリスがフルフルと首を振る。
「ええ~、だってハクローいっつもフランのこと忘れてるし」
「ぽんこつフランのことならダンジョンに置き去りにしてきても、忘れて帰ってくる自信があるぞ」
ふんす、と俺も胸を張る。
「ぎゃあ~! ハクローさんがまた酷いこと言ってますぅ~」
ルリの胸の膨らみに顔をうずめたままで、ブーブー文句を垂れ始めるへっぽこフラン。やっぱしロザリオ取り上げてやろうか、とか考えていると。
「貴様ら……いい気になるなよ」
「あれ? ダルマツィオ司教じゃないですか」
シスター・フランが振り返ると、神廟の大きな金属製扉の陰から顔を出して来たのは、以前も絡んできた司教のようだ。
一見すると切れ者そうに見えるのに、ステータス情報が示す36才には見えない老け具合で、目なんか血走ってしまっていた。
「貴様ら、貴様らの所為で……私が、私の……私はセルヴァン支局のアルカンジェロ枢機卿のように甘くは無いぞっ!」
「何だってのよ、また【サイレント】で静かにさせるわよ」
充血した目をギラギラさせて唾を飛ばしながらブツブツつぶやく司祭に、アリスが眉をひそめて魔法を準備する。
「くふふ、せいぜい黒い十字架に気をつけるんだな」
「ん?」
その時、ポツポツと雨が降り始めて来る。みんなが空を仰ぎ見て、再び扉に視線を戻した時には既に司祭の姿はそこには無かった。
「何だったんだ、あれは?」
首を傾げながらも神廟の軒先で、にわか雨を避けて雨宿りをしていると。
「きゃっ」
突然、ルリが白髪を逆立てて胸に飛び込んで来た。
「どうした、ルリ?」
「ハクローくん! 【砂の城】の結界に誰かが、ああ! や、破られる?」
Tシャツにしがみついたまま驚いたように叫ぶルリの、驚愕の一言に全員がギョッとする。
中にいるはずのセレーネとエマにエンデには、みんなと同じ【ドライスーツ(防壁)】をかけてあるので、すぐにどうこうということは無いと思うが。それにしても。
「ま、まさか、今のルリの魔術結界を突破できる奴が襲撃して来ているってのか? アリスっ、先に行くぞ!」
「フィもぉ!」
次の瞬間、俺の瑠璃色の髪に掴まった妖精のフィと共に、緊急起動した【チューブ(転移)】で強制転移していた。