第3章16話 聖獣クルガルーガ
火竜討伐の翌日ということもあって、いつもより少し遅めの日が昇ってから、普段通りプチ離宮の庭で剣術の朝練をしていると、珍しくユウナの泣きそうな声が二階から聞こえてきた。
ビックリして【チューブ(転移)】でユウナの部屋に飛ぶと、そこには紫陽花色のベビードールを着てベッドにペタンと座って、コロンから朝練の間だけ預かってた黒いタマゴを膝に抱えたユウナが、驚くべきことに紫の瞳に涙を浮かべている。
「どうした!」
「クロセくん! よ、よかった、タマゴが、タマゴがかえ、あ」
見ると、黒いタマゴがゴソゴソと動き出している……やばい!
次の瞬間、黒タマゴを膝に載せたままのユウナを抱きかかえてバッと転移すると、すぐさまコロンを呼ぶ。
「コロン! 生まれるぞ!」
「うええっ! た、大変でしゅ!」
【二刀流】に構えていた【魔法のおたま】と【魔法のフライパン】を、シュッと【召喚】で消し去ると、ダダダッと走り寄って来る。
「とにかく、代われ! タマゴを返してもらえ! ユウナ、タマゴをコロンに」
「ほ、ほら、コロン……ふうぅ~~。びっくりしたぁ~」
俺に抱かれたまま黒タマゴをコロンにそっと手渡すと、ようやくホッとしたようにユウナが大きなため息をつく。
黒タマゴを受け取ったコロンがおなかに抱いて、庭の芝生の上にペタンと女の子座りをすると。
「わわっ、ホントでしゅ。う、動いていましゅ! あ」
パリッ、と乾いた軽い音がして、でも湿ったような粘性を持った動きで黒いタマゴの殻が、ポロリ、ポロリと落ちていく。
その頃には騒ぎに気がついたらしい、アリスにミラとクラリスまでが庭に飛び出して来ていた。
「わわわっ! 割れましたよ! クラリス、どうしましょう! そ、そうだ呼吸方法を、ひっひっ、ふー、ひっひっ、ふー」
「ひ、姫様、と、とにかく落ち着いてください。こ、ここは――そうです、味付け塩を。って、違ぁーう!」
おお、ミラはともかくクラリスが動揺しているのは初めて見るぞ。あ~それよりも、と辺りを見回して。
「すみませんが、お湯を沸かして――それから、綺麗なタオルも何枚かお願い」
「は、はひぃ~~っ」
近くにいた平河の元奴隷だった侍女見習いのお姉さんに頼むと、我に返った彼女はスっ飛んで行ってしまった。
「は、ハクローくん、冷静ですねぇ」
「な、何よ、一人だけ余裕ですって感じで。何かムカつくわねぇ」
ルリとアリスがそれでも割れて行く黒いタマゴに視線を固定したままで、何か言ってる。
「みんな何をそんなに焦ってるのよ、タマゴなんて放っといても孵るもんよぉ?」
おー、流石は最高齢の115才だけあって、含蓄があるような無いような、珍しく妖精のフィが頼もしく見えなくもない。
「孵らなきゃ、フィが食べてあげるわよ」
「台無しだよ! 冗談でもやめろよな!」
「何言ってんのよ、ハクロー。食べ物に関しては、フィは何時でも本気よ」
「なお、悪いわ!」
「で、でたぁ!」
アホな漫才を妖精のフィとやっている間に、黒タマゴからは自力だけで漆黒の毛を湿らしたままの――ネコ? 黒ネコっぽいのが、割れた殻から顔を出していた。
「ニャア~」
なんて声で鳴くもんだから。
「「「「きゃああああああああ! 可愛いぃ~~~~っ!」」」」
おお~、一瞬にして彼女たちのハートはガッチリとゲットされてしまったのでした。
しかしそうは言っても、何時までもおしりに殻をつけたままでいる訳にもいかないので、メイドさんが持って来たお湯と綺麗なタオルで漆黒の毛を優しく拭いてやって顔も綺麗にしてやる。
すると、閉じていた目もようやく開いて、エメラルドグリーンのつぶらな瞳がこちらをジッと見つめて来るので。
「「「「きゃああああああああ! 可愛いぃ~~~~っ!」」」」
ああ~、今日は一日、もうこのまんまかもしれないなぁ。
すると、黒ネコ? が、小さな口をあ~んと開けて小さな牙を見せるもんだから、もう一度メイドさんにお願いをする。
「それじゃ、ミルクを人肌に温めてきてもらえますか?」
「は、はひぃ~~っ」
また、侍女見習いのお姉さんはダダダッ~と走って行ってしまった。
「ハクローさんって、何か慣れてますよね?」
「ハクロー、向こうで何か飼ってた?」
ルリとアリスが相変わらず視線を黒ネコに固定したままで、また何か言ってる。まあ、このまま黒ネコじゃあ都合が悪いだろうから、【解析】してみると。
名前;クルガルーガ
種族;聖獣
年齢;0才
レベル;Lv1
職業;【使い魔】
スキル;【飛行魔法Lv1】
守護;【ルリの友達】【女神フォルトゥーナの加護】【女神アルティミスの加護】
何ぃ! どっから突っ込んだらいいんだ、これは?
はっ、と気がついてコロンを【解析】で視ると――あった! サードジョブに【聖獣使い】が燦然と輝いている。
一般的には職業は三つが最大と言われているようだが、それが10才にしてもう埋まったというのか。
いやいや、それよりも今はこの黒ネコ、もとい【聖獣】の方だ――いや、本当に【純潔の女神】アルティミスの言ったとおりに【聖獣】が生まれて来たんだが。
いや、そこまでは百歩譲って良いとしよう、それよりもこいつの職業の【使い魔】ってのは、どーなってんだ? いや、コロンが【聖獣使い】となった以上、理由は明白なんだが。
すると、ニマニマと黒ネコ――じゃない【聖獣】を見ていたルリが、ソワソワともう待ち切れませんとでも言うように。
「可愛いですねぇ~。そうだコロンちゃん、お名前は何てつけるんですか?」
「んん~?」
おなかに黒いネコっぽい【聖獣】を抱いたままで、小首を傾げてウンウン考え始めるコロンに、周りからいつものように声が上がる。
「タマ」
「ポチ」
「クロ」
「おい……またか。ちなみに、こいつは【聖獣】だからか、名前はもうあるみたいだぞ」
「「「「「え?」」」」」
「あ、本当だ。コロンちゃん、この子は『クルガルーガ』ちゃんって言うんだそうですよ。なんだか強そうですねぇ」
「それに【飛行魔法】って……超ド級のレアスキルじゃないのよ。この子、ネコの癖に空を飛ぶってことよね?」
【鑑定】で視たのかルリとアリスが、俺と同じように驚きを隠せないようだ。ところでアリスさん、その子はネコではありませんよ。
それを聞いても、うんうん唸っているコロンが、白銀の狐耳の上に見えない電球を点灯させる。
「んん~~、ピコ~ン! ルー……?」
「ニャア~」
名前を呼ばれたのが分かったのか、抱きしめるコロンの鼻先を嬉しそうにペロッと舐めるネコ――じゃなかった、【聖獣】。
「「「きゃああああああああ! 可愛いぃ~~~~っ!」」」
名前が『クルガルーガ』で愛称『ルー』になったようだ。まあ、【聖獣】本人も気に入ったようだから、いいんだが。
「ルー、飛べるの?」
「ニャア~」
【聖獣】ルーはコロンの手のひらから前足を伸ばすと、手首から肘にかけて小さな黒羽のようなものがバッと扇のように広がって、両手を犬かきのようにすると――フヨフヨと空中を浮いて歩き始めてしまう。
「「「「「ええー!」」」」」
俺達の頭の上をフヨフヨと歩き回ると、ルリの白髪の頭の上に下りて小さな赤い舌でおでこを舐め、漆黒のしっぽでペシペシと後頭部を叩く。
「わわっ、ルーちゃん。えへへ~、舐められちゃいました~」
ルーは再びフヨフヨと飛ぶと今度は、俺が抱いたままのユウナのお腹のうえに下りたかと思うと、顔を寄せて小さな舌で唇をペロペロと舐める。
嫌な予感がすると、やはりユウナが聞き覚えのある大人の女性の声で喋り始める。
「しばらくぶりだな。無事に卵が孵ったようで――ほう、もう懐いたのか。その子がちゃんと飛べるようになったら、一度、私の所に来るが良い。では、その子を頼んだぞ」
【純潔の女神】アルティミスは勝手に喋るだけ喋ったらサッサといなくなったようだ。クタッとしたユウナを【聖獣】のルーが心配そう覗き込んで、その白磁器のような頬をペロペロと舐める。
「あ……ああ、ありがと。もう大丈夫よ」
しばらくして目を覚ましたユウナがわずかに微笑むと、【聖獣】ルーは安心したのかコロンの膝の上に再びフヨフヨと空中を歩いて戻っていった。
しかし、それにしても相変わらず【純潔の女神】アルティミスのユウナの扱いが雑なのは、頭に来るよな~。
「それにしても【純潔の女神】アルティミスの神力は、ここまで届くのか」
「恐らくは、そのための【聖獣】でもある」
無表情で何でも無いことのように、でも少しお疲れの様子でユウナがつぶやく。ああ、前にそんなことも言ってたな。
「ふう~。とにかくこの世界でも女神を別にすると前代未聞だとは思うが、【聖獣】を【使い魔】にしてっしまったらしいから、コロンはこれからもよくよくこいつの面倒をみてやるんだぞ?」
「はいっ、ハク様。ルーの面倒はコロンがみましゅ」
「はあ~、頼むな。下手に変な真似をすると、【純潔の女神】アルティミスが今度は文字通り本気で飛んで来そうだからなぁ」
小さな【聖獣】ルーを抱き締めてニッコリ笑う小さなコロンは、自慢の白銀の狐耳をピンとし、フワフワしっぽをフリンフリンと振っていて、その姿はすっかり小さな母親の風格で思わず苦笑してしまう。
すると、ニヤ~っと笑った妖精のフィが、ボソッとつぶやく。
「ところで、ハクローは何時までユウナを抱き締めてるのかしら?」
「「え?」」
そういえば、ユウナの部屋から転移して来たからユウナをお姫様抱っこしたままだった。我に返って珍しく顔を真っ赤にしたユウナが、手足をバタバタとさせ始める。
「く、クロセくん、お、下ろして。お、お願い、下ろして」
「無茶言うな。寝間着のままで、芝生の上に下ろせるか。さあ、部屋に帰るぞ」
「むぅ~、ハクローくん。何か胸がザワザワしますぅ~」
可愛い頬をぷっくりと膨らませてルリが、ツンツン脇をつついてくる。ので、小さくため息をつくと、できるだけ優しい声になるようにして。
「じゃあ、一緒に部屋に来てユウナの着替えを手伝ってやってくれるか? コロンは一応は拭いたけど、念のためにルーを風呂に入れてやってくれ」
「はいはい~。私も一緒にお風呂に入れたい~」
「はい、姫様。ここは隅々までピッカピカにしてあげなくてはならないでしょう」
嬉しそうに目をキラキラさせたミラとクラリスが、どうも【聖獣】ルーと一緒にお風呂に入るつもりらしい。チラッとアリスを見ると、プイッとそっぽを向いて。
「わ、私は……別に。そうね、今朝はちょっと汗をかいたから、私もお風呂に入ろうかしら、ねぇ?」
「ねぇ、って。はいはい、分かりましたよ。それじゃ、もふもふブラシセットはベッドルームに出しておくから、誰か風呂上がりにブラッシングしてやってくれ」
「はいは~い。もふもふは、私がやりた~い!」
そう言って、元気にルリさんがピッと手をあげる。曲がっていたご機嫌は、ちょっとだけ直ったようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ニャア~」
「「「「わきゃああ~~! 可愛いぃ~っ!」」」」
ルリがユウナを着替えさせて、コロン達がルーをお風呂に入っている間に、【時空錬金】を使って錬成したのがこれだ!
【聖獣】ルーがピョンピョンと跳ねながら前足で必死に追っかけているのは、不規則に自走するボールにフワフワしっぽを飾りに付けたオート猫じゃらしだ。
異世界らしく動力は電池ではなく、小さな無属性の【魔石】のクズ破片を使用しているエコな設計となっている。
次にコロンが持っているのが、釣り竿の先にフワフワしっぽがついてる猫じゃらしだ。コロンが竿を振るたびに絶妙なテンションでビヨ~ンと跳ねるので、【聖獣】ルーもピョンピョンと前足を振り上げてジャンプを繰り返している。
そしてミラが持っているのが、大自然が産んだ日本伝統の天然猫じゃらしであるエノコログサ――に酷似した雑草っぽい猫じゃらしで、これが【聖獣】ルーの目の前でフリフリすることで、必殺の光速・猫パンチを見ることができるという優れものだ。
そしてそのいずれもが【物理強化】してあって、【聖獣】の強靭な咬みつき攻撃にも破壊されることなく耐え続けるという――うう、実はこれはさっき一度みんなに説明したのです。
ところが、何とあのアリスさんが、いつもの台詞「話しが長い」の一言で止めるかと思いきや。
【聖獣】ルーと猫じゃらしで戯れるのに忙しく、まったく無視されてしまって遂には最後まで説明を完了してしまうという――これはこれで、何か絶望的に敗北感が半端無いのですが。ぐすん。
そうしてしばらくすると【聖獣】ルーは遊び疲れたのか、俺が錬成した猫タワーのてっぺんで、グデェ~っとお昼寝すると、ようやくアリスが「そう言えば、ハクロー。さっき、何か言ってたけど」とか聞いてくるので、思わず壁に向かって床に『の』の字を書いてしまう。
「ハク様、どんまい」
そんな俺の肩をポンポンと叩いてくれるのは、やはり心のオアシスであるコロンさんでした。
「ありがとう、コロン。これぐらいのことでは挫けたりしないよ」
そう言って、ちょっとだけ元気を取り戻してから、今度はシルバーを取り出して魔力を込める。ミスリルに錬成して、ルーの前足のサイズに合わせたアンクレットを作るのだ。デザインは代り映えしないがみんなとお揃いの翼を広げたものだけどね。
そして【時空錬金】のレベルがLv5になっているので、実はスロットも五個に増えているのだった。
「アリス、付与魔法はいつもの【魔力制御】、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】として、新しく五個目は何がいい?」
「そうねぇ、フィにもあげるなら、この前の海の【加速】かしらねぇ」
「ああ、あれかぁ。ルリできるか?」
「おねーちゃんに、まかせて! ちょい、よっと、ほっ、とお、やあっ、できたよ!」
実は二つ作ってあったので、その内のひとつを妖精のフィに渡す。
「ほら、フィも【加速】スキルを覚えたみたいだから、これがあるともっとスピードアップできると思うぞ」
「ハクローが付けてよ」
とか言って、スタイルのいい細い右足をスッと出すので、サイズを微調整しながらそっと足首に付けてあげる。
「どうだ? きつく無いか? 緩すぎても困るけど、痛いのは駄目だからな」
「うん、へいき。ありがと」
「ああ、よく似合っているぞ」
「フィちゃん、かわいいですよ」
「格好いいじゃないよ」
「コロンも似合うと思うでしゅ」
「そうですね、スタイルが良くて足が長いので、とてもよく似合っていますよ」
「はい、姫様。これは、なぜ今まで気がつかなかったのか、不覚です!」
みんなからお褒めの言葉をいただいて、ちょっと嬉しそうな妖精のフィはわざわざユウナの膝に飛び乗ると下から覗き込む。
ユウナは少し恥ずかしそうに俯きながらも、わずかに微笑みながらしっかりした声でつぶやく。
「……フィ、よく似合うわよ」
「うん、ありがと。えへへ~」
そうして、妖精のリリス=フィはやっと満面の笑みを浮かべて見せるのだった。