第3章13話 異世界のサーファー
「それじゃ、そろそろ海に入ろうか――あれ? フィはどこ行った?」
みんなの日焼け止めもようやく無事に塗り終わって――いや、クラリスだけはいつの間にか一人で塗り終わっていたんだが、どうやったのかその謎はお姫様の侍女筆頭だからということにしておくとして。
やっと海に入る段になって、妖精のフィが見当たらないことに気がついた訳なんだが。
「あー。あそこで七色に輝く虹色の水飛沫を上げているのは、もしかしなくても?」
「ええ、フィちゃんですねぇ~」
【遠見の魔眼】持ちのアリスの指差す方向に目を向けると、ルリが諦めたようなため息をつく。
少し遠浅の、さらに白波の向こう側でマリンブルーに染まる真っ青な海上を、七色に分かれた虹色の水飛沫を上げて疾走する何かが嫌でも目に入ってくる。
「凄いスピードだぞ。【加速】してないか、あれ?」
「ええ、してますねぇ。しかも、Lv1って感じではありませんよ」
「はい、姫様。でもでも、まるで『虹色の閃光』のようで――あれはあれでアリかと、うへへ~」
お姫様なミラが真面目に状況分析しているというのに、侍女筆頭のクラリスは虹色の閃光を煌かせて海上を舞う妖精の姿に良からぬ下心と一緒に釘づけだ。
「フィ、かっちょいーでしゅ~」
「ま、まあ、ともかく近くまで行ってみるとするか」
金色の瞳をキラキラさせているコロンからタマゴを受け取ると、少しの間だけテディベアぬいぐるみのビーチェに預けて荷物番もお願いする。
おお、また親指をグイッと上げるポーズをして見せてくれる、男気に溢れたクマさんのビーチェ。
俺もノースリーブのパーカーを脱いでシートの上に放るといつものサーフパンツだけになって、ユウナの『車椅子』を浮かせて押しながら楕円の石だらけの特徴的な波打ち際に向かって歩いて行く。
「(姫様、姫様っ、あれ見て下さい! 初めて見ましたが、クロセ様って脂肪がちっとも付いて無くて、無駄な筋肉すらも無く、それでいて鋼のように引き締まった……ああ、あの割れた腹筋に触れてみたいぃ~)」
「(これ、クラリス。ちょっと怖いですよ。それよりも涎を拭きなさい。確かに、どうしてあそこまで絞り込まれた肉体をされているのでしょうか?
それに、あの――左腕のトライバルと言われていましたが、【時空魔法】の呪文術式が編み込まれた魔法陣が瑠璃色に輝いて美しいです!)」
「(まあ、ハクローの身体はボクサーで言うとライト級に近いかもしれないわねぇ。サーファーって、結構体力というかスタミナ使うらしいから、かしら?
それにしても、最近じゃ全然太陽にあたっていないはずなのに、ちっとも日焼けした肌が白くならないわねぇ)」
「(アリスおねーちゃん、さーふあーってお腹すくの? ハク様にごはん作ってあげた方がいいでしゅか?)」
何かみんながこしょこしょとヒソヒソ話をしている横を抜けて、ユウナの『車椅子』を【波乗り(重力)】で浮かせたそのままに本当の波打ち際に乗り上げて、文字通り海に浮かせてみる。
「ほら、ユウナが見たがっていた海だぞ。デッカイだろ? ずっと向こうの果てまで全部が海なんだからな」
「うん、凄いね。思っていたよりも、ずっと綺麗。私も海、好きかも」
「そうか、良かったな」
アメジストのように透き通るような紫の瞳をキラキラさせながら、嬉しそうに足の先を海水につけてみるユウナをみながら、自分も波打ち際に足を浸けてみる。
遠くには白波も見えるがそれでも結構な遠浅なので、足元をくすぐる波は優しく気持ちがいい。足の裏の砂を攫われるのとはまた違った感触だ。
久しぶりの波の感覚に、つい頬が緩んでしまう。もう随分と、この感じを忘れていた気がする。鼻腔をくすぐる、塩の香りまでも何だか懐かしい。
そんな風に波打ち際でニヤついていたからか、ルリが優しく手を握ってくれていた。ふと目をあわせると、紅い瞳を細めながらも柔らかく微笑んでくれる。
「初めて見ました、ハクローくんがそんなに嬉しそうに笑うところを」
そうつぶやくと、もう一度しっかりと手を握り直してくれる。でも、これって俺の指の間にルリの指が絡むように握られていて――恋人つなぎとかドラマなんかで言ってたような気がするんだが。
「そうか?」
「はい。いつもはもっと、哀しそうに笑っていますから」
そう言われて、もう一度ルリの紅い瞳を覗き込むと、その瞳の奥にくゆらせて光るものにようやく気づく。
「そうだったか? 悪いな、気を遣わせたようで」
「いいえ。嬉しいのですよ、ハクローくんが幸せそうに笑うのを見るのは」
そう言って、綺麗な宝石のルビーのような紅い瞳を泣きそうなぐらい細くすると、とうとう涙を浮かべてしまう。
「ありがとうな。ルリには感謝してるんだ、本当。こっちの世界に来てからいつも傍にいてくれて、ありがとう」
「はい――でもそれは私の方こそ、なんですよ?」
そうして、小首を傾げるように微笑むので、白雪の様な肌をした頬を涙が伝ってしまう。
その時突然、パシャ、っとルリと俺の顔に海水がかけられて――振り向くと、海にくるぶしまで浸かったアリスが腰に手を当てて、人差し指をこっちに向けていた。
「せっかく、海に来たんだから、あ・そ・ぶ・わ・よ!」
そう言って、ニカッ、っと笑うのだった。どうやら、ルリの涙は見なかったことにしてくれたようだ。ありがたい。
「ああ、そうだな。それじゃあ、まずはこれを」
俺もできるだけ明るい声でそんなことを言いながら、【時空収納】から準備していた物を色々とポロポロ出し始める。
「定番のビーチボールだろ? 浮き輪に、フローティングマット、黄色いアヒルたいちょの浮き具、大きなバナナボートにもちろん空気入れも取り揃えております。
これはビニール材のように見えますが、実は非常に細い炭素繊維を多重に編み込んで作った特殊な防水仕様になっていて、大きく形状は変化させられませんが【物理強化】で材質の強度も十分確保されています。そして、極めつけはパラセーリングを」
「ハクロー、話が長い。ってパラセーリングって言った?」
さっきと違って、バッサリ切れずに食いついて来るアリスさん。ふふん、いつもいつもぶった切られ続けてはいられないのだよ。
「はい。こちらにございます。ドーン!」
「おおー!」
取り出したパラセールに紅と蒼のオッドアイを輝かせるアリスさん。しかし他の人達、特にこの世界のみんなには何か分からなかったようで――それでは、と。
錬成の要領で、ズバッと一瞬にしてボールと浮き輪には空気を入れてから、ポーンとみんなに投げて渡す。
「わわわっ」
スイカのデザインをしたボールを受け取ったルリが、わたわたとお手玉をしてそのまま抱きかかえて海に浮いてしまう。
おお、見えないはずの白く長いウサ耳と白い丸しっぽがプカプカとしていて、まるでスイカにしがみ付いて海を渡ろうとしている因幡の白兎――違った、雪ウサギのようだ。
次に向日葵の柄のフローティングマットはミラに渡して、横になってもらって乗り方を教える。
「わきゃー! これは気持ちいいです~、何だかセレブになった気分ですぅ~」
「コホン、姫様。第一王女姫殿下であらせられる姫様は、究極のセレブですよ?」
「わーん、そうでした~」
そして、『車椅子』からユウナを抱き上げると大きな浮き輪に、ポスッとお尻を入れて、プカプカと浮かせる。波がほとんと無いので、転覆する危険もないだろうが見ていないとな。
「あ……わぁ~」
浮き輪から出した脚をパシャパシャさせながら、嬉しそうに笑ってくれるユウナ。ちょっとは、喜んでくれたようだ。
「それからほら、これはフランにピタリだろ?」
そう言って、巨大な黄色いアヒルたいちょを渡すと同時に、ガバッとまたがったかと思うと嬉しそうに、ニヘヘ~と笑って足でパシャパシャと海面を叩く。
「アリスはこれを装備してやるから、ちょっと待ってね――これで後は風魔法で風を起こすと、その浮力で」
ササッとパラセールを、真紅のビキニだけで素肌が剥き出しの身体にちょっとドキドキしながらも装着してやっていると、アリスがピコンッと頭の上に見えない電球を浮かべる。
「【ウィンド】! いやっほぉ――――っ!」
【無詠唱】の下位風魔法でパラセールの下に風を起こすと浮力を発生させて、あっという間に海上から上空へと引っ張られるように上昇して行ってしまった。
「おおー、流石はアリスだ。後はコロンだな。よし、それじゃこれに乗ってみ?」
そう言って、全長が5mほどもある大きな黄色いバナナボートに小さなコロンをポンと乗せる。
その先頭に括りつけられている紐を掴んで、【時空収納】からサーフボードを取り出すとバシャンと水面に放って片足を乗せてニヤリと笑う。
「【波乗り(重力)】!」
叫び声と同時に、まるで発射された弾丸のようにサーフボードは海上を水飛沫を上げて疾走して行く。
「わきゃああああああ!」
すると、紐に引っ張られてコロンの乗ったバナナボートも当然のように、真っ青な海上を切り裂きながら水飛沫を撒き散らして駆け抜ける。
「きゃあああああ! ハク様、楽しーい!」
大きなバナナに掴まったまま、小さなコロンが嬉しそうに満面の笑顔を浮かべてくれる。
「そうか! よかったな! まだまだ、飛ばすぞ!」
そうして、ズドンッとギアを入れるとさらにもう一段階加速する。
「いきゃあああああ!」
それでも時期的に人の少ない浜辺に、小さなコロンの絶叫がどこまでも反響する。
「いーなぁ、あれ。私も乗りたいなぁ」
誰のものか分からないボソッとそんな声が消えたので、バシャーッと一瞬で戻って来て緊急停止。
「ほら、乗ってみ」
そう、声をかけると。
「「「わーい」」」
いそいそとルリとミラにクラリスまでが、嬉しそうに大きなバナナボートに跨る。
後はそこで、ジッと浮き輪に乗って見ているだけのユウナも、ズボッと浮き輪から抜くとポンとバナナに乗せてしまう。
「わわっ、クロセくん。私は……みんなとは……あ」
「口は閉じてないと、舌を噛むぞ!」
そう言い放った瞬間、再び【波乗り(重力)】で加速する。バアーンッという水切音と共に辺りに膨大な水飛沫を立ち昇らせながら、五人を乗せたバナナボートは海上を滑るように疾走する。
「「「「「きゃあああああああああああああ!」」」」」
「うわはははっ! どーだ、これが異世界サーファーの本当の力だぁー!」
どっかの事務方の仕事が得意そうな天使に「それは違う」と突っ込まれそうだが――まあいい。
こうして四人の少女達と一人の大人の女性の絶叫と俺の雄叫びが、人が少ないとはいえ海岸線一帯に所狭しと響き渡るのだった。
「うわーん、ハクローさん~。私も乗せてくださいよお~。仲間外れは、嫌ですよぉ~」
しばらくして、少し離れたとこまでアヒルたいちょで行っていた、へっぽこフランが俺達に気がついて泣きながら、手を必死に振って黄色いアヒルに乗って追いかけて来たので。
「わはははははっ!」
「「「「「きゃあああああああああああああ!」」」」」
バシャーッと近くを通り過ぎて、水飛沫を頭から掛けてやるのだった。
「うきゃあー! うわーん、頭からビチョビチョになってしまいましたぁ~。えーん。ハクローさんが、いぢわるをしますぅ~」
ああ、泣き虫フランが本気泣きし始めてしまった。しょうがない。ズドドドッと泣いてるフランの所まで行って声をかける。
「ほら、泣いてないで乗れ」
「わーい、私はルリ様の後ろがいいですぅ~」
とか言いやがって、ルリの白雪のような素肌にしがみつくので一度、海に蹴落としてやった。
「ぴぎゃーっ、ハクローさんがいぢめる~。ルリ様ぁ、一度懲らしめてしてやってください~」
「てめっ! このまま、海の藻屑にしてやろうか?」
「いやーあ! もずくは嫌いですぅ~」
いや、それは違うだろ。アホの子のフランには今度、健康のためにもずく酢をどんぶり一杯食わせてやろう。
「行くぞ!」
三度、【波乗り(重力)】でズドンッと加速して水飛沫を掻き分けながら、マリンブルーに輝く海上に大きな虹を作り走り抜ける。
「ん? フランが乗っただけで、重くなった気がするのは気のせいか?」
「ギクッ! な、何を、言って、るん、でしゅか? 私が、重い、なんて、しょんな」
すると急にオドオドし始めるぽんこつフランの、その他人を寄せ付けない最強の胸部武装に、みんなの視線が集まる。
「うわーん、これは確かに重いですけど、ダイエットしても何故かここだけは減らないんですよ~。これだけで私の体重のほとんど半分の、げふんげふん」
うわぁ、ここにアリスがいなくて本当良かった。しかし、その二つの脂肪の塊が体重の半分だとすると、お前のその頭の中は本当に何も入っていない――ってか、本気で空っぽじゃないのか?
だってそうじゃないと、計算が合わないだろうに。
「あー! みんなズルい~。フィもまぜて~」
忘れた頃にやってくる放蕩妖精のフィがどこからともなく帰って来て、走っているバナナボートに乗るコロンの膝の上にチョコンと座って人差し指を突き出す。
「よしっ、行けー! ハクロー!」
「らじゃあー!」
四度目となる【波乗り(重力)】で、今度はぽんこつな脂肪の塊の重量を考慮して、【ビーチフラッグ(加速)】も多重かけしてズドドドドッと初速から最大加速して水飛沫を空高く吹き飛ばして突き進む。
そうしてジェットスキーよりも遥かに早いスピードで透き通った海を切り裂く弾丸のごとく、あっという間に視界から消え去ってしまう。
「「「「「「きゃあああああああああああああ!」」」」」」
辺りの海水浴に来ていた人々は突如として現れた、爆音と共に女性の悲鳴を伴い水飛沫を撒き散らしながら疾走する黄色いバナナに、新種の海洋魔物が出現したのかと恐れ慄くのだった。
みんなの声が枯れてしまうほど、縦横無尽に海上を走り回ってマリンブルーに輝く海を蹂躙した大きな黄色いバナナが、ようやく速度を落として浜辺まで帰って来ると。
ちょうど空からフワリとパラセールにぶら下ったアリスが楕円の石でできた浜辺に降り立って、紅と蒼のオッドアイを細めて俺達を睨みながらボソッとつぶやく。
「あんた達……何やってんのよ」
「「「「「「「え? いやぁ~?」」」」」」」