6 現実怪奇
気がつくと、耳がよく聞こえなくなっているし、俺は元の場所から何メートルも離れた場所で倒れていた。
あたり一面に火薬の匂いが漂っている。
何が……起こった……!?
全身に異常がないか確認するが、鼓膜以外の問題は特にないようだ。
って、咎識はっ!?
目の前から消えてしまった友人を探す。
と、ふと火薬の匂いに混じり、髪を焦がしたような不快な匂いが混じっているのに気がつく。
その匂いを探って視線を動かす。
俺の倒れていたところから数メートル先に『それ』は転がっていた。
距離が離れていたから、その存在に気がつかなかったのか?
それとも、あまりに変わり果てていて脳が『それ』を認識しなかったからか?
それはまるで子供が無邪気に人形で遊び散らかしたかのようで。
人形は紅い絵の具を塗りたくられ、無残に千切られ放り出されていて……、片付けを考えていないかのようにあたりには人形の一部や紅い絵の具を飛び散らせて……。
少女は……全身が焼け爛れ、肉がこそぎ落ち、人体を構成するパーツがおもちゃの人形のように無造作に千切れ飛んでいた。
人形の中にあるのは綿だけれど、人の中に詰まっているものは……。
人体標本でしか見たことのないような物体が腹部の辺りからその重さに耐えられなくなったかのようにずるりずるりとはみ出していて、
足なんかは枯れ枝をぽきりぺきりと曲げるように複雑に捻じ曲がって…………所々白い物体が突き出て、頭……顔は……もう……なんだか子供の落書きのようにぐちゃぐちゃで赤黒く塗りつぶしたようで……。
「あ、…………な、なぁ? 咎識、だ、大丈夫か……?」
ひどく白々しい台詞が口から発せられた。
自分の発した言葉とは思えない。
あんな姿で、大丈夫なわけないだろっっっ!!!
どう見ても死んでいる!! 死んでいるに決まっているッ!!
この状態で人間が生きられるわけがないっ!!
これは……屍骸……だ……!!
あのときのゲームのような非現実じゃない……これは現実の死体だ。
脳が状況を正しく認識した途端、強烈な吐き気を覚える。
「うっ…………ぐ…………」
これが咎識だというのであれば、それに吐き気を覚えている自分を許せない。
この凄惨な光景と普段絶対に嗅ぐことのない匂いを振り払い、耐える。
どういうことなんだ……!!
なんでこんなことに……あのアタッシュケースが爆弾でそれが爆発した……!?
そして手錠によって繋がれた咎識は逃げることができなかった?
状況の展開についていけない。
混乱した頭でどうにか冷静さを保とうとする。
手錠……鍵?
握り締めていた鍵を見る。
この鍵が……あの手錠の鍵?
だとすれば咎識が死んだのは……、咎識のいうことを真面目に取り合わず、冗談だと思っていた俺のせい……なのか……!?
いや、そもそもこの鍵があの手錠を開く鍵だったのかもわからない!
もしもこの鍵が違う鍵なら意味がないじゃないか……!
俺のせいではない……!!
断じて俺のせいでは……!!
「…………?」
近くに咎識が繋がれていた手錠が落ちている。
あの爆発の衝撃に歪みもせず耐え切り、不吉なまでにその存在を誇示していた。
この手錠に触るのは、現場保存から見ればやってはならないことなのだろうが……。
のろのろと、なるべく指紋がつかないように拾い、鍵穴に鍵を差込み、…………回す。
カシャンッ!
「…………………………あ…………ああ……開い……た」
開いてしまった……。
俺の…………、
俺のせいだ……!!
咎識が助からなかったのは……助ける手段があるにも関わらず、すぐに動かなかった俺のせいだ……!!
「う…………ああああああああああああああああッッッッッ!!!!」
ちくしょう……!! 畜生……!
ちくしょうちくしょうちくしょおおおおおぉぉぉッッッっっ!!!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
心の中で叫び続ける中、別の声が聞こえる。
違うだろうがッ!!! 桜井葦人!!!
何をやっている……!! 桜井葦人!!
貴様はここで叫んでるだけか!?
いいや違うッ!!! そうだ……!! ああ、冗談じゃない!! 許せるわけがない!!
昔の知り合いが死んで悲しいと思うことより、助かったことに安堵している自分も許せない……。
だが! 何よりも俺の目の前でこんなことをしやがったヤツを許せるわけがない!
今も、この秋葉原のどこかでほくそ笑んでいると考えるだけでハラワタが煮えくり返りそうだ!!
ならば、叫んでる場合ではないはずだ!
自問自答しながら冷静さを取り戻していく。
「ああ!! やってくれた……!! やってくれやがった……!!
「どこの誰だかしらないが……首根っこ引っ捕まえて、引きずり回して、絶対にぶっ飛ばす!!」
なんとしても……犯人かその共犯者につながる何かを見つける……!
この鍵を落とした白いスーツの男!
手錠の鍵なんて取り付けた犯人か共犯者か関係者くらいしか持っているわけがない……! あのスーツの男! まずはあの男を見つける……!!
警察だなんだはその後でもいい……!!
先ほど渡った万世橋を再び渡り、秋葉原に戻るべく走り出す……!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「この川は神田川。『現実』と『夢のような現実』を分ける川。
この万世橋を越えたら、桜井葦人はこの街の真実に踏み込むことになる。その真実は桜井葦人の人生を180度変える。
……君にこの街の真実を知る勇気は、あるかい?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
再び、メインストリートに戻ったときにはあの男はもういなくなっていた。
必死に周りを見渡し探してみるが、やはりいない。
(それは、そうか……目的を果たしたらいなくなるに決まってる……!)
まだ自分の店を宣伝しているほかのメイドに話を聞くも、そんなスーツを着た男がいたのかすら覚えていないと言う。
確かに白スーツといえど、メイドだのコスプレだのが多いこの秋葉原では埋もれてしまうか。
(どうする……! なにか……何か他の手がかりはないか……!?)
考えながらも、探し回り、走りまわる。
(ちっ……!)
だが、どこに行けどもあの男の姿はない。
(…………あと出来ることといえば何がある?)
街の防犯監視システムで街の至る所に設置されている防犯カメラの映像を追ってみるということを考えたが、すぐに解析できるとは思えないし、それは警察に任せるのがベターだろう。
そもそも俺にハッキング技術はない。
妹はなんかそれっぽいことをやってたような気がしたが、妹がそんなことをしていても困るので詳しく聞いたことはない。
ここで俺がやるべきは、今しかできないことだ。
例の男を見たやつがいなくなる前に聞き込みをしないと……、できれば男がどこへ行こうとしていたのかぐらいはアタリをつけておきたい。
ピリリリリリと携帯の着信を知らせる味気ない音が鳴る。
誰だろうと思いながら確認すると、鈴音からだった。
「もしもし、鈴音か? どうしたんだ? 何かあるなら手短に頼む」
少し早口になりながら応じる。
「ん。……うん。えっとね……んとね……なんていうかね……私にも良くわかってないんだけど……」
鈴音らしくもなく妙に歯切れが悪い。
できればさっさと話を切り上げたいが……、鈴音の困惑した感情がスピーカー越しにも伝わってきて俺も戸惑う。
「どうした? なにかあったのか?」
なるべくいつもの調子で先を促す。
「あのね。今から話すことは冗談でもドッキリでもないからね……?」
「ああ。わかった」
だから、早くしてくれ。と言うセリフは飲み込む。
「さっきね、葦人君と別れて、しばらくしてましゃごんともわかれたの。そのあとは1人で帰ろうとして……、誰とも会ってないの。
なのにね……」
……なぜか嫌な予感が全身を駆け巡る。
「誰にも会ってないのに……。誰にも触られていないのに……」
「気がついたら、私は見覚えのない鞄を持っていたの」
「鞄と私の手には手錠が繋がれてて、この手錠、外せないからこの鞄も捨てられないのです……」
「不気味でどうしたらいいかわからなくて……葦人君に電話したのです」
………………。
これは、一体、なんの冗談だ。
冗談なら……やめてくれ。
……鈴音の置かれた状況は咎識と全く同じものだ。
それは、つまり、鈴音のもっている鞄も爆弾なのだろう。
「あ、もしかして、葦人君の悪戯?」
鈴音は俺の沈黙と態度で俺の悪戯だと思ったのか、先ほどまでの困惑がなくなり、からかうかのような調子で聞いてくる。
「悪戯だったら良かったんだけどな」
「えっと…………どういうこと?」
「悪戯は悪戯でも極悪質な悪戯ってことだ。少なくとも絶対に俺の悪戯ではない」
「ん~。確かに、こんな悪戯は葦人君っぽくはないですねー」
「葦人君なら、悪戯は悪戯でも性的悪戯をしそうな感じですもんね?」
いつもなら。
いつもならここで俺が何か突っ込みなり逆に鈴音をいじるなりなんなりをして、鈴音がさらに混ぜっ返すパターンのはずなんだ。
一瞬、何もなかったかのようにいつも通りのやり取りをしたい誘惑に駆られる。
でも、できない。
いつものやり取りができない、それだけでこれほど息苦しい。
「鈴音。ここからは真面目な話だ。真剣に聞いてくれ」
「え……? ……うん」
俺の雰囲気が普段と違うことに気がついたのか、戸惑いつつも頷く鈴音。
「いま、鈴音はどこにいる?」
「え……と、秋葉原のAKBステーションの傍……」
「いいか、鈴音。今からすぐにそっちに行くから、それまで絶対にその鞄に衝撃を与えたり、不用意に人に近づいたりするな」
「な、なんで……?」
「どうしても、だ」
「どうしても……?」
「ああ。頼む。理由は後で……後で話すから。それまでは俺を信じて、従ってくれ」
「……………………。はい。信じます」
数瞬。
何かを考えるかのような間を空けて、鈴音は答えた。
「…………ありがとう。絶対に何も起こさせないから。信じて待っててくれ」
「はい。なんなのか良くわかってないですけど、きっと葦人君ならできます。だから、待ってますね」
通話を切る。
「次から……次へと……」
ギリ……と拳を握り締める。
眩暈がしそうだった。
俺の周りで、何が起きているのかわからなくて。
怯えていた。
まるで俺のせいで犠牲者が増えるように感じて。
怒っていた。
おもちゃのようにゲームの駒のように人の命を玩ぶ犯人に。
だが、鈴音は……絶対に、助ける…………!