5 咎識愛無
「メイド喫茶で~す。よろしくおねがいしま~す」
日も暮れ始めた秋葉原のメインストリートでメイドさんたちが自分の店の宣伝用のチラシなりティッシュなりを配っている。
これも、もうこの街の風物詩と言っても過言ではない。
「そろそろ帰るか?」
「ええ、それがよいでしょう。そろそろ日も暮れる頃合ですので、姫様のように見目麗しい女性が出歩くには少々物騒になっていきます」
「え~? まだ遊びたいのですよー。ましゃごんと葦人君がいれば危険なんてないのです」
「んなこといっても、ダメだろ。あんまり遅く帰ると家族が心配するだろうが」
「家族……ですかぁ……。ん。そうですね。家族に心配かけたらいけないのです」
「さらに言いますと姫様。私はこれから所用がありまして、一緒に付いてまわれません」
真砂は何か用事があるようだ。
「ああ、そか。そういえば。それならしょうがないですねー」
鈴音も納得し、一通り『元祖』秋葉原を周ったし、十二分に遊んだだろうということで解散と相成った。
ちなみに『元祖』と言ったのにはわけがあり、それは今の……2099年時点での秋葉原という呼称が秋葉原区全体を指しているためである。
現在は2099年……西暦も21世紀を終えようとしている世紀末だ。
ここで俺の住んでいる秋葉原という街について簡単に説明しておくと、元々の秋葉原は環状線秋葉原駅周辺の電気街を指していた。
戦後、電気街として発展してきたこの街は次第にオタク文化発信の街として栄えるようになったが、そこから……政府や東京都の様々な政治やら経済やらが絡んだ思惑や策略などにより旧千代田区やその周辺何区画かを整理した後、全く別の場所へ隔離し、現在の東京秋葉原区という区が出来上がったらしい。
ぶっちゃけ俺の生まれる前の話だし、詳しいことは俺も良くわかっていない。
要は、オタクが多く住んでいる街という認識で間違いはないだろうと思う。
ただ、それが住みたくて住んでいるのか、ここに住まざるをえないという違いはあるかもしれないが。
秋葉原区は、隔離された街だ。
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メイドさんのチラシ配りや何らかのイベントの呼び込みなどなどこの時間でも秋葉原は騒がしい。
白いスーツを着た男や普通のサラリーマンやランドセルをしょった子供、コスプレのような格好の女性たち……様々な人たちとすれ違う。
これでもかというくらい人がごった返していた。
「……………………ん?」
かさり、と足に何かの違和感を感じる。
見てみると何かの封筒が落ちていた。
色々な人がすれ違っていくので断定はできないが、おそらく先ほど横を通っていったスーツを着ていた男の落し物の可能性が高い。
たしか手に何かを持っていたし、色合い的にも大きさ的にもこの封筒っぽかった。
失くすと困りそうだ、そう思って拾い上げて渡そうとしたときには、白いスーツで目立つはずの男は既にどこにもいなかった。
仕方なく封筒から何かの情報がないかと見てみると。
…………? どういうことだ?
封筒には切手があるわけでも住所が書かれているわけでもなく、
ただ『桜井葦人様へ』という文字のみが書かれていた。
これは拾わされた…………ということになるのか?
そもそもあの男、何故俺の名前を知っている?
誰かわからない相手から送りつけられた封筒。
封筒は軽く、何が入っているとも予想がつかない。
正直、気味が悪い。
これが他者に向けた封筒ならば開けることも躊躇うが、この場合、明らかに俺に渡すつもりのものであるため中身を検めることにした。
…………何のために使うのか良くわからない小さな鍵が入っていた。
近いものといえば小箱を開けるような小さな鍵だ。
他には何もなくこれでどうしろというのか。
鍵にあう鍵穴を探せとでも言うつもりか。
「白いスーツの男がさっきいたと思うんだが、どこにいったかわからないか?」
「知り合いなのです?」
「いや知らないが、落し物を拾った。鍵だからなくすと困るだろうと思って」
できれば、事情を説明してもらいたい。
「なるほどー。確かに白スーツは目立ってたし私も覚えてるのです。
でもなんだか急いでいたみたいで、その人はもういないですねー。人ごみにまぎれて、どこいったかはよくわからないのです」
「そうか。仕方ないな、帰る途中で警察に届けておこう」
封筒に鍵を戻し、しまいこむ。
俺に渡すつもりだったとしても落し物は落し物だ。
警察に届けておいて間違いということもないだろう。
途中で万世署があるため、少し寄っていくだけだ。
「ん。それがいいのです」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあ葦人君、また明日学校で」
「ああ、またな」
俺は学校の寮で暮らしているため、ここで2人とは別々の道になる。
「最近は秋葉原も物騒ですので、お気をつけください」
「そうだね、レアカードを盗まれないように気をつけてくださいね。それはきっと、アポカリプスの世壊を救うために葦人君に授けてくれた『母』からの贈り物なのですから」
ロールプレイなのか何なのか大真面目にゲームの設定を引用してきた。
「そうだな、初回プレイにレアを引けるなんて何か運命染みてるよな。大切にする」
「『この街では想いが現実になる』んだし、大切にしたら応えてくれるかもしれないのですよ~」
前にもこの街では『想いが現実になる』という噂があることを鈴音は言っていたな。益体のない都市伝説だが、鈴音はこういうスピリチュアルな話を好む傾向がある。
「んじゃ、またね!」
「じゃあな~!」
手を軽く上げ、2人と別れる。
しばらくして電子と欲望の街、秋葉原を背に万世橋を渡りはじめる。
(万世橋な…………)
万の世を結ぶ橋……とでも呼ぶのか。
マンガ、ゲーム、同人誌、フィギュアや模型、電子機器、コスプレ、ギャンブル、ドラッグ、風俗、飲食。
物欲、金銭欲、性欲、食欲、名誉欲、英雄願望に変身願望。
おおよそ人間が満たしたい欲望を全て叶えるためにあるような街。
この街で叶えられない妄想など存在しないかのようですらある。
この街は人々の妄想によって発展していった結果、こうなったと言ってもおかしくはない。
秋葉原が人々の欲望を飲み込んでいったのか、人々が秋葉原を欲望によって作り変えたのか。
様々な欲望を詰め込めるだけ詰め込んだようなこの場所は、妄想の数に応じてその在り方が変わる街と言ってもいい。
その世界に繋ぐ架け橋としての万世橋。
なるほど、万世橋とは言いえて妙なものだと思う。
本来、どのような意味があったのか知らないが、これほどに今日の秋葉原を繋ぐ橋のネーミングとして相応しいものもないのかもしれない。
色々な世界…………今日はまさに異世界に迷い込んだような体験をした。
昔、『あいつ』と『友人』と『妹』と一緒にやっていたゲーム。
今となってはどんなゲームだったか朧にしか思い出せないが、雰囲気や世界観はそっくりだった。
あの頃はもっと純粋ですぐにゲームにのめり込んでいたものだった。
どことなく郷愁を感じながら万世橋を渡っていると…………。
「やあ、我輩の親愛なる主人公」
いつの間にか。
考え事をしていたためか、それは唐突に現れたように見えた。
そこにいたのは夕日に照らされ、まるで世界に取り残されたかのようにぽつんと存在している少女。
薄紅色……薄いピンクの髪を異常に伸ばしている少女は――その華奢な体躯に似合わぬ無骨なアタッシュケースを椅子代わりにし、足を組んだ状態でこちらを悠然と見ていた。
少女には現実味がなく、どこまでも希薄で、しかし確固として存在を主張している。
そんな混沌とした印象。
「ゲームオーバーした気分はどうだい?」
その少女の言葉は芝居がかっており、内容の不明さも合わせて一瞬自分に話しかけているということに気がつかなかった。
この時間にしては珍しく人通りが途絶え、この場には俺とその少女しかいない。
この赤く染まった世界に俺とその少女しかいないような錯覚を覚える。
だからこそ、その少女が話しかけているのは紛れもなく自分であるのだが……。
「…………誰だ?」
誰だ、と聞いてから記憶の片隅に何か引っかかるものを感じた。
「…………君は我輩のことを尋ねたのかい?」
「ああ、そうだけど」
「旧知の間柄のはずなのに相手が自分を知らなかった場合って君はどう思うかな?」
「それは、切ないな」
少女は俺の問いに答えず、さらに問いを重ねる。
問いの内容からして俺と少女には面識があるのだろう。
こんなうざったい話し方をする人物……。
現在の知り合いにはいないが、そういえば昔に……似たようなやつが……。
あれは…………誰だった?
「もしかしたら『君』と『我輩』は出会っていないのかもしれないけどね」
「…………?」
まるで旧知の人物であるかのように振舞っておきながら、この台詞である。
「勘違いということか?」
「勘違いではないよ。単純に君が忘れている可能性だってある」
なんだか面倒な人物のようだ。
こういった会話にどこか懐かしさを覚えているあたり、俺が忘れている可能性は高い。
だが、思い出せないのは何故だ。
昔の友人関係が思い出せない。
子供のころの記憶というのはここまで曖昧なものだったか?
「すまない、思い出せないんだ」
「思い出せないのかい?」
「ああ」
「ふむ…………そうか。まぁ、データですらコピーしたり色々やっていれば破損することもあるのだから、
人の記憶というものはもっと破損しやすくても不思議じゃないのかもしれないね」
白魚のような……というと語弊があるか。
病的に白い指先を顎に添え、思案する少女。
「とにかく我輩と君は昔ながらの知り合い設定だ。そういう前提で少し会話をしようじゃないか。構わないかな?」
「少しくらいなら」
設定とか言うあたり秋葉原の住人なのだなと思わせる。
俺が秋葉原にいたころの知り合いなのだろう。
この少女がまるで知り合いのように振舞っているから昔の友人なのだろうと思っているが、そうでない可能性も残ってる。
あまり人を疑いたくはないが、詐欺やらナンパの手口にこういった手段があるのであまり信用もできない。
「そもそも知り合いというならまず名前を教えてくれないか? それで思い出せるかもしれないし」
「仕方ないね。我輩の名は『咎識愛無』。君の親愛なる友人だよ」
「咎識……」
口に出して呟くと思った以上にするりと戸惑うことなく発音された。
「友人というのはちょっと違うのかな。『友人でもある』が正解かな」
「友人でもある?」
「君は我輩と契約し、『世界を共に分かち合った』。そんな契約関係にもあったんだけどね」
「…………!?」
その言葉を聞いたとき、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受け、記憶の樹枝が繋がった。
「あ、ああ! 咎識か!!」
「だから我輩は咎識愛無だよといってるじゃないか」
なんで思い出せなかったのだろう。
自分のことを『我輩』とか言う変人だったのに。
かなり期間も開いていたし、桜井家が秋葉原から引っ越して完全に連絡が途切れていたわけだし、素直に記憶の彼方に忘却していたのだろう。
この少女は…………彼女は俺が昔にやっていたという『ゲーム』、その開発者にして俺の友人。
小学生のとき既に天才的なクリエイターだった少女、咎識愛無だ。
「久しぶり、元気にしてたか?」
「…………? 久しぶり…………今、君は久しぶりと言ったのかい?」
俺の言った久しぶりという単語に何故か食いつく咎識。
もしかしたら、久しぶり……と言ったことが気に食わないのか。
咎識が俺のことをどう思っているのかはわからないが、人によっては久しぶりなんて旧友に会ったような反応は気に食わないという人もいるかもしれない。
過剰反応だと思うのだが、咎識は変な性格をしていた。
だとしたらそういうこともあるかもしれないな。
子供らしくない子供だったことは記憶にある。
咎識の反応から微妙に懐かしさを覚えながら言いなおす。
「久しぶりというか…………とにかく元気してたか?」
「ふむ…………なるほど、そういうことなのかな。それにしても君はまた元気かと気楽に聞いてくれるものだね」
「気楽にって、気楽に聞かないことのほうが少ないと思う言葉だろう」
なんでまたそこに噛み付いて来るんだ。
それくらい気楽に聞かせてくれよ。
「これで重病だとか不治の病を患っているとか、大変な事件に巻き込まれているとか、余命数十分だとか言われたらどうするつもりなんだい?」
「お大事にとか、気をつけてとか言う」
「桜井葦人はなんと薄情なんだろう。仲の良い素晴らしい友人である我輩にそんな病院の受付のお姉さんのような返答を返すつもりだったなんて。
まるで君の妹のような対応だ。冷たいじゃないか」
俺には妹がいるのだが、彼女はどこか冷めているところがあるので確かにこんな対応をしてもおかしくはない。
「仮定の話だしな。どちらにせよその話が嘘だと丸わかりだし、真面目に対応することはないな。
重病人だとしても事件に巻き込まれているのだとしても、こんなところでこんなに悠長に会話してることがおかしい」
「ふむ。重病人ならば確かにこんな出歩くことはできないだろうね」
「では、そもそも元気だったか? というのはどういった範囲での質問なのだろうね」
また何か変なことを言い始めたぞ。
「肉体と精神ともに健康的で健やかであるという意味では我輩はか弱い存在なのであるからして風邪も引くし怪我もするから常に元気だったとは言いがたいね」
「そして現在進行形として我輩は半分元気で半分死んでるといってもいいかもしれないよ」
「半分でも元気ならいいことだ」
「君にしては正しいことを言ったね。世の中には半分も元気でない人がいっぱいいるのだからそういう意味では我輩のような虚弱体質な人間でもそれはそれで良いことなのだね」
咎識はこれが自分だといわんばかりに両手を広げ、アピールしてくる。
「だいたい元気で、おおよそ病気で、まるで生きてて、ほとんど死んでるよ。現在現実で結構虚構な我輩だ」
わけがわからない。
「プラスとマイナスでゼロということか」
存在できてないなこれ。
「そう、ゼロだ。ゼロなのだよ。というわけで我輩が作ったアポカリプス#0はどうだったかな? あれは我輩が昔作ったゲームをバージョンアップして作ったものなのだけど」
アポカリプス#0。
まるで料理を作った人が試食してもらった人に感想を求めるかのような態度だ。
やはりアレは咎識が作ったゲームだったのか。
微妙に気になっていたことが解決した。
「またきつい難易度を設定しやがってと思ったさ」
「人類に挑戦してみようかなと思ったわけだよ」
人類の敵がいるぞ!
「とはいえ序盤の戦闘なんて君ならぽんっとクリアするだろうに」
「フレイア……だったか? なんかRPGでいうボスクラスと普通にいきなり戦闘になった。色々ゲームはやってきたが、あの難易度はちょっと無理だな」
初回のあれはチュートリアルのようなものでゲームオーバーになるものと思ったほどだ。
「フレイアが……? そうなると君は……」
「ああ、普通にゲームオーバーになったよ」
「それは運がなかったね。フレイアは生真面目な子だからね、容赦してくれることもなかっただろう」
「製作者としては無理ゲーを強いてしまったようで申し訳ないけれど、あのゲームは登場人物がそれぞれ独自に動いているものだからどこに誰がいるのかとかはわからないんだ」
さらりと凄いことを言っているが、幼少時からクリエイターとして優秀だった咎識だ。
こいつの作ったAIに散々苦しめられたこともあるわけで、独自に動く個性くらいはゲームキャラにも与えるだろうなと納得した。
「あー、それは確かに運がなかったんだな」
「これからもゲームは続けてくれるかい?」
「ああ、あれで終わりだと納得できないしな。もう少しやってどんなゲームかくらいは知っておきたい」
「ゲームはクリアされるべきだ。そしてプレイヤーは一度ゲームをやると決めたならば、ゲームをクリアできるよう取り組むべきだ」
「ゲームはクリアされるべきだ。そしてクリエイターはプレイヤーにゲームを提示する以上、クリアできるようゲームを作らなければならない」
別にこのプレイスタイルを他の人に強要するつもりはないが、俺たちはあの頃そんなことを言い合いながら咎識の作ってきたゲームをやってきた。
「それを聞いて安心したよ。お礼ってわけじゃないけれど、君がこれから巻き込まれる事件に対して予習をさせてあげるよ」
「事件……?」
いきなり何を言っている?
話が少し飛びすぎだ。
「幸いにも鍵は既に持っているようだしね」
ちゃり……とアタッシュケースと手錠で繋がれた腕を見せてくる。
これではアタッシュケースを手放すことができないだろうに。
失くさないための対策としても手錠の作りがしっかりしすぎていて物々しい。
妙な違和感。
「鍵……って、その手錠の鍵か……?」
そんなもの持ってない……と思ったが、そういえばスーツの男の落し物で鍵を拾っていた。
拾った鍵を取り出す。
これが手錠の鍵……?
そもそもこの鍵が何故その手錠の鍵とわかる?
「このアタッシュケースは爆弾でね。手錠によって繋がれた人物は逃げることができないんだ。そしてその鍵は桜井葦人。君が持っている」
「……冗談だろう?」
どういう状況かもわからないし意味もわからない。
だが……咎識の口調は真面目なもので、それが妙に不安になる。
「今はわからなくてもすぐに意味がわかるようになるよ」
まぁ、冗談だろうと本気だろうと仮にこの鍵が手錠の鍵ならば、咎識に鍵を渡せば解決するか。
そう思って俺は咎識に鍵を渡そうとするが……
「というわけで、君が『ゲーム』をクリアしてくれることを我輩は期待しているよ」
咎識は困惑したままの俺のことなど気にもせず、話は終わりだといわんばかりに――
「我輩はここで退場だ。いつか君が我輩の領域まで辿り着いてくれることを祈って」
「ゲームの再開だ――」
爆発。
閃光。
衝撃。
ドゴォオオオ……という爆音を耳が捉え、俺はそのまま意識を失った。