2 世壊漂流
次に意識をはっきりと取り戻したのは、見知らぬ場所だった。
見知らぬ……?
自分自身の思考に疑問を抱く。
知らないはずなのに……何故か俺はこのような場所を知っているような既視感がある。
とはいえデジャヴなどはよくあるといえばある話だし、そもそも知識として知らない場所であるのだから既視感があろうとなかろうと状況に変化はない。
見知らぬ場所で目を覚ました人間がまずすることといえば自分がどこにいるかの確認だろう。
例に漏れず、俺も周りを見回そうとして視線があるモノに縫いとめられた。
それは巨大なアーチを描いたオブジェで、俺はその前で無防備に倒れていた。
そのオブジェは表現のしようのない奇妙な形だ。
現実の構造物としてはあまり……というか全然見ないような建築構造をしている。
建築物に詳しいわけではないが、いわゆる有名どころのゴシックでもバロックでも近代建築でもないことはわかった。
何よりも特徴的だったのはアーチ状に囲われた鏡面のような部分が様々な色の光彩を放ちながら蠢いていることだ。
似ている現象に例えるならシャボン玉の表面の変化に近いかもしれない。
シャボン玉のように、プリズム現象を起こしているかのように、光の分光が行われているのだろうか。
いや、違う。
表面部分そのものが発光している?
これは分光などの自然な物理現象とはいえない。
あくまで光を分光しているのであれば物理は物理なのかもしれないが。
発光体がよくわからないものを物理といっていいのだろうか。
それは、物理幻想とでもいうべき現実とはかけ離れた構造物だった。
「気がついたか」
「…………?」
起き上がり、隣を見ると先ほどの騎士がいた。
「……まだいたのか」
「まだとは何だ、敬意を払え。私が貴様を導いてやろうというのだ」
導く?
「それはありがたい。見知らぬ土地に1人ってのはともかく、ここは少なくとも俺の知っている日本ではなさそうだ」
周りを見渡せばそこは俺の知っている場所、日本のようで日本ではない不可思議な場所だった。
少し先に街のようなものが見える。
その街は日本の街のようにビルが立っていたが、ほとんどの建築物がぼろぼろになっているし、一部のものは植物も生い茂っている。
その荒廃具合から、ここは日本でないと思わせるには十分だった。
ここが仮に外国ならば日本の領事館に事情を話して保護してもらうという選択肢はあるが。
果たして近くに領事館があるかどうかも怪しい。
こんな場所が外国とも思えない。
そもそも今が何時かはわからないが、太陽が出ているにも関わらず少し薄暗い。
こんな事があり得るのか。
「さすがに察しがいいな。ここは貴様の世界とは別の世界……もうひとつの『世壊』だ」
などと思っていると黒騎士がおかしなことを言い始めた。
別の世界?
何を冗談……といいたいが黒騎士の口調が大真面目であることに不安を覚える。
俺の知っている街とは似ているようで違う空気の匂い。
髪をなびかせるようにくすぐってくる風に、俺の知っている世界の太陽と同じような太陽もある。
どこからか聞こえてくるなんだかよく分からない雑音。
俺の知っている世界と同じようなものもあるが、違うものも多い。
それだけならまだ希望はあったが。
俺の後ろの門のような変な構造物、なるべく考えないように見ないようにしていたそれがどこまでも現実ではないことを主張していた。
よくあるファンタジーの設定だとここから俺は出てきたのだろう……な。
異次元を渡って別世界に来たってところか。
冗談じゃない。
「夢ってことは……ないのか……?」
「まだ寝ぼけているのか。これが、此処こそが貴様の……いや桜井葦人の『現実』だ」
「俺としてはこの世界に用事はない」
確かに異世界ファンタジーというものは興味あるし、冒険してみたい気持ちもないではないが。
何の準備もなしに放り出されるとか洒落にならない。
準備……。
ああ、そうか。
「それでは、俺はそろそろ帰ることにしよう。短い間だった上にもう会うこともないとは思うが、お疲れ様」
準備が不十分なら一旦帰ればいいのだ。
右手を上げ、騎士におざなりな挨拶をし、俺が出てきたであろうと思われる門へと足を向ける。
「理解がよすぎるというのも問題だな。それ以上進むようなら、ここで貴様を斬る」
いつのまに剣を抜いたのか、気づけば俺の喉元に黒騎士の禍々しい大剣が突きつけられていた。
……っ!
「危なっ! 危ないだろうがっ!!」
俺を帰らせないつもりか!
「貴様が人のいうことを聞かんからだ」
「それくらいで人を斬ろうというのは少々乱暴すぎる」
「五月蝿い男だな。いいから黙って私のいうことを聞け」
「その言動は完全に脅迫だ」
だが、彼の態度で俺はこの門を通れば帰れるであろうことが推察できた。
なら、いつでも帰れるだろうし少しくらい話を聞いてもいいか……?
「仕方ない。話を聞こう。で、貴方のことは何と呼べばいい?」
「ふむ……そうだな。私のことは黒騎士とでも呼ぶがいい」
「…………」
まんまですね。
別に本名が知りたいわけではないが、そのまますぎて反応に困った。
「で、黒騎士、俺はここで何をすればいい……何をさせたいんだ?」
「それはだな……」
黒騎士の言葉をさえぎるように轟音が聞こえてきた。
音のした方向を見ると少し先にある街から聞こえてきたもののようだ。
いったいなんだ……?
「まさか……これは、やつらの襲撃か……!」
ファンタジー的には賊の集団とか悪の組織的なものがいてしかるべきなのだろうが、ここでも例に漏れずそういうものがいるらしい。
「行くぞ、桜井葦人よ。やつ等の専横を阻止するぞ」
俺がここに連れてこられたのはそういう目的なのだろうか。
「いや。俺、武器も何もないわけで」
「武器なら先ほど渡したろう」
「武器? 武器ってあのカードのことか? 持ってはいないな……」
カードは俺の手に吸い込まれるように消えたままだ。
そもそもカードでどうやって戦えというのか。
カードを武器にして敵を斬ったりするのはファンタジーだぞ……ってファンタジーだった。
しかし俺にそんな技術はない。
「…………時が来ればわかる。いいからついて来い」
「…………わかった」
問答している時間も惜しいとばかりに黒騎士は爆発音のあった方向へ駆け出していく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その光景を見たときに思ったことは……、あぁ、紛れもなくファンタジーで異世界なんだなぁという場違いな感想だった。
背に羽が生えている女性たちが黒いスーツを纏い、上空からこの街を見下ろしている。
数多の翼を持つ女性たちが街を囲むさまは、宗教画のように神々しい光景と言えなくもない。
ただし、その目は皆一様に冷たく機械的であり、どこか無機質な印象があった。
その天使とも言うべき存在が街を破壊して回っている。
街の住人だと思われる人たちが天使の襲撃により逃げ惑い、殺されていた。
嬌声、悲鳴、怒号。
聞いていて薄ら寒くなるような不協和音が奏でられる。
その行動を、神の教え…………天使の福音というにはあまりにも残酷だ。
天使の武器は主に銃のようで、無機質なその弾丸が街の人々を撃ち貫いていく。
足を失ったもの、手を失ったもの、頭を吹き飛ばされたもの、
腹を撃たれたもの、内臓がはみ出しているもの。
死んだ母親の隣で泣いている少年。
恋人の死体の横で必死に恋人の内臓を元に戻そうとしている女性。
イタイイタイと今にも息絶えそうな吐息で呟いている少女。
天使が行った結果とは思えないような惨状だ。
その光景を正しく認識したとき。
あまりにも非現実的な光景に麻痺していた感情が解凍される。
現実感がないせいか、天使たちに恐怖を感じる前に憤りを感じていた。
「お前らっ!! 何をやっているっ!!」
「…………?」
天使たちのリーダーと思われる女性が俺たちを見下ろす。
「貴方は……『ゲスト』のようですね。やはりこの近くに『ゲート』があるということですか」
ゲスト? ゲート?
俺が召喚されてきたということをわかっているような口ぶりだが……。
「まさかフレイアが来ているとはな…………。このようなことは即刻やめろ」
「貴方に指図される謂れはありません、来訪者を導くものよ。私たちは主命を最上の行動原理として動くモノ」
フレイアは俺に銃口を向ける。
「それは……ゲストの抹殺を含みます」
…………っ!!
逡巡もなければ、感情もなく。
あっさりと一発の弾丸が俺を貫いた。
「ぐっ!! あああああああっ!!」
腹が熱い!!
痛さよりも異常な熱を腹に感じる!
「即死をさけましたか」
フレイアは冷静に俺の状態を分析する。
撃たれる直前で反射的に体が反応したのは不幸中の幸いだった。
ただし、このまま放っておいたら死ぬことを予感させる出血量だ。
「次で終わりです。来訪者を導く者共々滅ぼして差し上げましょう」
フレイアが合図すると天使の集団が上空から俺たちに銃を向けてくる。
ひとつでも避けきれなかったというのに……この数は反則だ……!!
容赦もなければ、慈悲もなく。
絶望感に目が眩む。
嘘だろう。これで、終わりなのか。
あの時、問答無用で門から帰ればよかったか。
死ぬのは……いやだな……。
体から流れていく血とともに体の動きも思考も鈍っていくのがわかる。
「桜井葦人……! 使え!!」
「……使えって…………何を……だ……」
「貴様にとってはこの状況はピンチでありチャンスであるのだ!! 使え『アルカナ』を!!」
何を……言っている……。
「では、貴方に魂の救滅を」
フレイアの合図とともに黒服の天使たちの一斉掃射が始まる。
……せめてもの抵抗としてだろうか、俺は無意識に右手をフレイアに向けていた。
全てがスローモーションのように時間が止まって見える中。
その瞬間。
突如として俺の右手が光る……!
これは……なんだ……?
朦朧とした意識の中で右手が光っていることを認識した。
その光の飛沫とともに1枚のカードが現れ、
そのカードに描かれていた少女がこの『世壊』に顕現する。
その少女は感情を感じさせない挙動でもって天使たちの弾丸を迎え入れた。
『――――運命は交換される』
少女の声かはたまた俺の妄想か。
頭の中に声が響く。
そして……。
俺に向かっていた死の運命は入れ替えられる。
すなわち全ての弾丸が俺には届かず、
俺を貫いたであろう弾丸は撃ち手を貫く結果になった。
因果は捩れ、反応も対応も許さぬ結果だけが現出した。
黒服の天使たちはフレイアを残し、天から堕ちていく。
それを見届け、あっさりと俺の意識は途切れた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「理解したか?」
例の夢のような曖昧な場所で俺と黒騎士は対峙していた。
理解って何をだ。
「貴様の運命だ」
運命というものはよくわからないが……、あの女の子が……アルカナというのか?
……その能力を使って俺を助けてくれたってことは覚えている。
「そう、それは少女の能力でもあり、今は貴様の能力でもある。
これからの貴様の運命にその『運命交換(Akashic experiments)』が助けになるだろう」
運命と来たか……。
「貴様はさきほどの経験を経て、何も思わなかったのか?」
そんなことはない。
街の惨状には憤ったし、フレイアには恐怖も感じた。
今ではよく生きていたもんだと安堵を感じざるを得ない。
「今、同じことがあった場合、貴様はどうする?」
それでも……やはり、俺は同じことを感じるし、どうにかしようとするだろう。
「それでいい。忘れるな、その想い。運命に抗うその意思を…………」
「貴様の運命に屈するな――――」