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境界

作者: のこのこ

 幼いころ奇妙な経験をした。今でもふとした拍子に思い出す。まるで御伽話のような出来事。あれは夢だったのか、それとも現実だったのか……。しかし、暗闇の中で「彼」が私を引っ張って導いてくれたあの手の温もりは、はっきりと覚えているのだ。



   *



 家族で旅行に出かけた時のことだ。宿泊先の旅館の女将さんが「近くの神社で縁日が開かれる」と教えてくれたので、「部屋でゆっくり休みたい」と言う母に我が儘を言って連れて行ってもらったのが事の始まりだった。

 大都会のど真ん中では、縁日、と言うより神社そのものがない。縁日というものは都会に住む私にとって、テレビの中の存在であった。それが旅先の、それも旅館の近くにあるのだから行ってみたいと思うのが普通だろう。私は幼心にも、普段味わうことの無い「非日常」を求めていたのだと思う。

 神社につくと、そこには思っていた通りの「非日常」の世界が広がっていた。提灯の温かみのあるオレンジ色の光。ふわふわの綿菓子。屋台から漂うソースの香り。射的の音。至る所に並んだこけし。人々のはしゃぎ声と熱気。母に林檎飴を買ってもらった時には、もうすっかり縁日の独特の雰囲気に酔いしれていた。それがいけなかったのだろう。握っていた母の手を離してしまっていたことに、私は全く気付かなかった。時すでに遅し。やっと気付いたころにはもう母の姿は見えなかった。

 ぐるりと周りを見渡して、母を探そうとした。しかし、私の目に飛び込んできたのは人の壁のみである。私の背と同じくらいの高さの壁、低い壁、うんと高い壁。それでも必死で母を探そうとした。

「おかあさーん! どこー!?」

 大声で母を呼んだ。だが、母は見つからない。

「おかあさーん!おかあさーん!」

 人の壁の隙間を縫うように走った。それでも母は見つからなかった。



   *



 どのくらい走ったのだろうか。ふと足を止めた。はあはあと息が切れて苦しい。大声で叫びながら走り回ったのだから当然だ。私はすうっと深呼吸をして、辺りを見渡してみた。

 ―――静かだ。静かすぎる。いや、それだけでは無い。先ほどまで人がごった返していたのにもかかわらず、誰もいないのだ。そこらじゅうに規則正しく並んでいた屋台でさえも、無くなっている。あるのは、どこまでも続く暗闇だけ。

 誰もいない。何もない。おかしい。こんなのおかしい。ここはどこ?

「おかあさん……? どこ……?」

 小さく呟いた声は、闇に吸い込まれていった。

 誰もいない、一人ぼっちの世界。永遠に続くかのような孤独の暗闇。がたがたと足が震え、その場に崩れ落ちた。

 私はこのままずっと、家族のもとへ帰れなくなるのだろうか? 絶望しかけたその時、どこからかシャーン、シャーンと高く澄んだ鈴の音が聞こえた。

 思わず音が聞こえた方に顔を向けると、遠くからぽつんとした青い光がこちらに向かってくるのが見えた。

 光が徐々に近づいてくるにつれ、それが提灯の光だと分かった。提灯の青い明りは冷たく、だがどこか温かみがあった。

 提灯の明りは持ち主の姿をぼんやりと照らす。持ち主は華奢ではあるが、体格からして青年だろう。彼は不思議な格好をしていた。水色を基調とした、神社の神主のような、着物のような服。腰に小さな銀の鈴を着けている。長い黒髪は高い位置で結わえていた。

 やがて近づいてきた青年は私の前に来ると、膝立ちになった。

「お前はどこから来た? 何故ここにいる?」

 青年の問いに、首を振った。

「わからない。わからないの。おかあさんとお祭りに来たら、離れちゃって、それで……」

 そこまで言うと、うっと喉を詰まらせた。この暗闇の中で私の他にも誰かがいたという安心感からか、それとも母がいないという心細さからか、ぽろぽろと涙があふれてきたのだ。

「つまり迷子ということだな。この時期になるとたまにいるのだ。ほら、泣くでない」

 さあ、お前の場所に帰るぞ、と彼はほっそりとした青白い手を私に差し伸べた。その手を取り、ゆっくりと立ち上がる。立っているはずなのに、宙に浮かんでいるようなふわふわとした不思議な感覚が私を包み込んだ。



   *



 私の歩幅に合わせるためであろうか、彼はゆっくりとしたペースで歩き出した。先ほど差し伸べてくれた手は繋いだままである。彼の手は温かく、母のようであった。

「ねえ、ここはどこなの?」

 一番聞きたかったことを彼に問いかけると、彼はぶっきらぼうに前を向いたまま答えた。

「ここは、『あちら』と『こちら』の境目だ」

「『あちら』と『こちら』ってなに?」

「『あちら』がお前の住む場所。『こちら』は私達が住む場所だ」

「『私達』ってことは、他にも誰かいるのね?」

「まあ、そういうことになるな」

 青年はそこまで言うと、黙り込んでしまった。ひたひたと二人分の足音と、青年が腰につけている鈴の音が辺りに響き渡る。しばらく歩いたところでふと気づいたことを彼に訪ねてみた。

「ねえ、さっき『この時期になるとたまに迷子が出てくる』って言ったよね? なんで迷子が出てくるの? 私の他にも迷子がいたの?」

「……お前はさっきから質問ばかりだな」

「聞いちゃだめ?」

「いや、そういうわけではないが……」

 彼は深いため息をついてから、口を開いた。

「なるべく分かりやすいように説明するが……お前にはまだ難しい話かもしれないぞ」

「それでもいいわ」

 彼は小さく溜息をつき、静かな声で歌うように話し始めた。

「縁日が行われる季節になると、『あちら』と『こちら』の境目が曖昧になるのだ。それが原因でまだ『こちら』に属する七つまでの純粋な幼子が境目に迷い込んでしまう。いや、引き込まれてしまうと言った方が正しいな」

「よくわからないわ」

「これでも十分噛み砕いて説明したつもりだぞ」

「もっと分かりやすく言って」

「随分とずうずうしい子供だな。まあいい。簡単に言うと、子供だけ迷子になるってことだ。」

「子供だけ? なんで大人は迷子にならないの?」

「お前は『七つまでは神のうち』という言葉を聞いたことがあるか?」

「おばあちゃんに聞いたことがある。七歳までは神様の子供なんでしょう?」

「それが正解だ」

「……やっぱりよくわからないわ」

「……すまない。説明するのは苦手なんだ」

 彼は遠い目をして、そっぽを向いてしまった。私はなんだか申し訳なくなって、「ごめんなさい」と呟いてうつむいた。

「ほら、出口が見えてきたぞ」

 彼が指差す先には、大きな鳥居があった。まだ距離があってぼんやりとしか見えないが、鳥居の向こう側には母の姿があった。

「ここからはもうひとりで行けるだろう。さあ、行っておいで」

 相変わらず彼はぶっきらぼうにそう言ったが、その目が優しかったのを今でも覚えている。

「ありがとう!」

「……もう母親の手を離すんじゃないよ。完全に『こちら』に引き込まれてはいけない」

 彼がそう言い終わるや否や、私は鳥居に向かって駆けだしていた。早く、早く母に会いたい、その一心で。



   *



「おかあさん!」

 私が大声で母を呼ぶと、母は泣きながら私を抱きしめた。随分長い間探していたのだろう。母のサンダルは泥だらけだった。

「どこ行ってたの! ずっと探していたのよ?」

「ごめんなさい……そうだ、おかあさん! 私ね、あのお兄さんにここまで連れてきてもらったんだ!」

 母にあの不思議な青年のことを話そうとして、鳥居の方を向いたその時だった。一瞬だけ強い風が私の前を走った。風が通り過ぎた頃にはもう、青年の姿はおろか、鳥居さえそこになかった。そこにあるのは規則正しく並べられたこけしだけであった。

 なぜ先ほど潜り抜けたはずの鳥居が無くなっているのだろう? 私をここまで導いてくれた青年は何者だったのだろう? 問いに答えてくれる人は、ここにはいない。

 どこからともなく、シャーン、シャーンと澄んだ鈴の音が響き渡った。

 ――そんな旅先での、奇妙な話。



   終

 

(解説)


*七つまでは神のうち

 日本民俗学が説くところによると明治期以前の日本人の生命観では「七つまでの子供」は「神の子」とされ、「この世」と「あの世(黄泉)」の中間のどちらかというと「あの世」の所属と考えて「七つまで」はいつでも「神にお返しする(間引き=子殺し)」ことが出来ると考えてきた。

お返しした子は「こけし」として祀られる。

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