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赤燈の街  作者: 漱木幽
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 マリアベルが唯一得意にしている魔術は『花火』だ。

 その名の通り上空に鮮やかな大輪の火花を散らすというもので、実用性は皆無。あえて誰も習得しないような、趣味や娯楽に通ずる魔術である。

『花火』には奇妙な癖があって、見栄えをよくするにはそれなりの工夫が必要だった。不思議なことに、マリアベルは火花が散るタイミングや色合いなどを巧く調節する技術がある。皮肉なことにそれは天性のもののようで、魔術が使えるようになってから間もなく、彼女は美しい華を夜空に咲かせていた。

 ……しかし所詮は実用的ではない魔術だ。

 天性の才能を持っていても。そんなことでは意味がない。周りの反応でもわかるように、その才能は―― 本人のマリアベルでさえも―― 誰が求めていたものでもない。

 午後の実習をいつもの通り惨憺たる結果に終わらせたマリアベルは、すぐには家に帰らずに住宅街の合間に作られたささやかな広場へと向かった。

 家々の合間にひっそりと存在しているその場所は、マリアベルにとって自宅の次に心を落ち浮かせる事が出来る場所だった。中心には誰が造ったともしれない奇妙なかたちのオブジェ。その前にはベンチがぽつりと置いてあるだけのひどくさみしげな広場であったが、それだけに子供が遊び場にするということもなく、落ち着いて過ごすことが出来る。

 ふらりとこの場を訪れたマリアベルは、何をするでもなくベンチに腰掛けて、円を描くように敷かれた前の回る石畳をじっと見つめていた。

 遠くの高い柱に取り付けられた時計は、もうすぐ宵口を告げようとしている。もっとも、夜しか存在しないこの世界では、時間など実質スケジュール管理のものでしかなく、肌や目鼻で感じるものではなくなっている。

 このあとにさっぱり予定がないマリアベルには、消灯時間以外に気にすることはなく、それまでにはまだたっぷりと時間がある。

 ――さて、どうしよう。

 吐きだした息が白く濁り、立ち昇っていく。街の気温は小さな誤差を除いては変わることがなく、かつて季節が存在していた頃の、真冬のような気温が続いていた。

 マリアベルはマフラーに顔を半分うずめると、カンタスに言われたことを思い出して心を緊張させた。

 情けをかけてくれるのには感謝したいが、それにしたって無駄なことだ、と思う。なにせマリアベル本人にほとんどかぶりついていこうとする意志がなく、落第もやむなしと考えているからだ。

 仮に今回の試験を無事突破できたとして、その先は――? アカデミー高等学年での生活はまだ半分も残っている。だんだんと増していく習得難度を思えば、姑息に今回をしのいだとしても、今回のような状況に陥る機会は増えていくだろう。それならいっそ、自分の才能には見切りをつけてしまった方がいい。

 しかし、カンタスが言っていることも、もっともなことだ。女性は一般的に男性の数十倍魔術に対する適性があり、さらに言えば「稀有な男性の魔法使いであり、アカデミー学長のマーベリック」の孫娘のマリアベルに魔術の才能がなく、くわえて落第したとあれば、アカデミーの笑いものどころの騒ぎではなくなってしまうかもしれない。

 祖父が軽んじられるのも厭だったが、祖父と引け合いにされて自分が馬鹿にされるのも厭だった。

 耐えようとしても投げ出そうとしても、先に在るのは予測もできないような苦悩の連なりしかないように思えた。

 この街には逃げ場がない。世界にはこの街しか存在していないのだから。

 どうやってうまく生きていけばいいんだろう。ただ白い息を吐き出しながら、マリアベルは建物の煉瓦の目を視線でなぞる。

 赤橙色の街灯からも取り残されたようになっているこの場所では、人々がとっくに忘れた夜の恐怖を、不意に思いだすことがあった。早く眠らなくてはならない。朝になれば誰かが傍にいてくれる―― 身震いするような孤独の隙間に、寒さばかりが滑りこんでくる。

 また泣きたくなった。ほんとはずっと泣いていたかった。

 理解を失い、自信も失い、家族もぬくもりも失った。何が残っているだろう。すべてが早すぎたのではないか。悔やんでも仕方のないことばかりが口惜しい。

 マリアベルは熱くなり始めた目頭をつまみ上げるようにして空を仰ぐ。漆黒の空中では街灯の光よりも淡い光の塊が帯のように連なって浮かんでいる。

 ――いっそ、あのなかのひとつになれれば。皆勝手にありがたがってくれるし、全部同じようにしか見えないから、自分がどうだとか、そんなややこしいことを考えなくても済む。

 そんなことを考えていた時だった。

 マリアベルが見守る中、赤燈たちは突然意志を持ったように流れていく方向を変え、次第に渦を形成していった。それはこの世の終わりのような光景で、マリアベルの背筋を寒さが引き起こすものとは別の悪寒が駆け廻る。

 空の一点で収束し始めた紅燈の群れは、徐々にひとつの大きな塊になろうとしていた。

 幾人がその光景を目の当たりにしただろうか。――そしてその幾人が、はからずもこの光景釘づけにされていただろう?

 太古に虚無のスクリーンと化した空に、圧倒的な数の赤燈。マリアベルはこの時よりほかに、この星代わりの淡い発行体にこれほどの存在感を感じたことはなかった。

 やがてすべての赤燈を吸い込んだ大いなるひとつが、大きな輝きのもとに誕生する。マリアベルはそれに太陽の幻を見た。……しかし。

 しばらく空中でぎらぎらと瞬いていた幻の太陽は、まるで魔法灯がぱっと消えるようにあっけなく、小さく爆ぜた。

 スケールの大きさの割には音もなく、呆気ない幕切れにマリアベルは動揺したが、それよりも今、それは完全な漆黒に立ち戻ってしまっている。シャボン玉のようにはじけた太陽もどきは、自分が吸収した無数の赤燈たちを返してはくれなかったのだ。

 やがて街灯が消えれば、この世界は完全な闇に支配されるだろう。身震いがした。

 ざわざわと普段は静かな住宅街から、困惑の声が聞こえてくる。それによって我に帰ったマリアベルは、最後に目にしたものをしっかりと思い出すことが出来た。

 赤燈の収束は、マリアベルからそう遠くない場所の上空で起こった。最後に幻の太陽がはじけてしまった後、「何か」が吐き出されて落下するのを、彼女は見たのだ。点のように小さな何かが、だ。視認出来たのは奇跡に近いだろう。

 周りの喧騒は徐々に、近くにいる者たちを巻き込んだ会議に発展しつつあった。慌ててベンチから立ち上がると、マリアベルは吐き出された「何か」のもとに向かってみようと考えた。

 人々が動揺して空を見上げている中、入り組んだ路地を駆け廻って「何か」が落ちた場所を探した。大まかな位置はわかれど、詳しい場所はわかるはずもない。勘を頼りにして、マリアベルは根気よく脚を動かした。

 マリアベルが独りで路地を探しまわっている間、人々はぞろぞろと街の中央の煉瓦の塔の前に集まりだしていた。誰が最初にそうしたのか、あとからあとから人がついて歩いて、瞬く間に広場は人々で埋め尽くされてしまった。マリアベルは何度も広場に向かおうとしている人間とすれ違ったが、なにが起こっているのかも、彼らがどこに行こうとしているのかもわからなかった。――いや、知るつもりがなかった。彼女はなぜか、赤燈の塊が吐きだしたモノに強く惹かれていた。あるいはそれを探しだすことが、自分の使命のように思ったのかもしれない。

 陳腐なことを言えば、マリアベルはあのときに運命を感じていた。

 それはあやふやなものであったが、なぜか確信に訴えるものがあった。マリアベルは自分が何か」に対してどんな確信を持っているのかもわからないまま走りだしていたが、それはついに疑問になる前に氷解した。


 ――どこをどう走ってきたのかは覚えていない。気付けばマリアベルは、自宅の前で立ち尽くしていた。

 マリアベルの自宅は両隣りの棟の間に肩身狭く収まっているかのような、少し窮屈なイメージのある家だった。そう大きくはないが、マリアベルがひとりで住むには十二分の広さがある。

 その自分以外の気配があってはならない、静かな家の玄関。軒下の階段に誰かがひっそりと座っていた。

 マリアベルは見間違いかと思いこんで目を擦ったが、まず見間違えではないようだ。

 謎の訪問者は燃えるような赤毛の少年で、黒とも紺色ともつかない不思議な深みのある色の外套で以て、体のほとんどを覆い尽くしていた。年のころはだいたいマリアベルと同じくらいだろう。色が白く、ただそれほど不健康そうでもない。

 美しい少年だった。なにより体が輝いていた。――比喩ではなく実際に、赤く煌めく粒子が彼に纏わりついている。その色は他でもない、空で集まってはじけたあの赤燈の色だ。

 マリアベルはしばらく呆然として少年を見ていたが、不意にさきほどからずっと、必死になって落下物を探し回っていた理由が分かった。なんのことはない。赤燈が収束した位置は、ちょうど自宅あたりの上空だったから。

 もう少し早く気付いてもいいのに、と溜息をつきながら、マリアベルは少年から視線を逸らさずにまごまごと悩んだ。彼女の直感は、少年こそが上空から落ちて来た「何か」の正体であると云っている。

 しかし、仮に―― 百歩譲ってそうだとして。マリアベルは自分の中の突飛な思想を振り払う真似をしながら、普段なら絶対にあり得ないくらいにあれこれと腐心した。

 話しかけて良いものか否か。その前に彼は人間なのだろうか。言葉は通じるだろうか。云々。どれもひとりだけでは答えがでない問答ばかりで、考え込めば考え込むほどドツボにはまっていく。

 近寄っていくこともできず、かといってどこに離れていくわけもいかず、マリアベルはその場で右往左往を始めた。そうしているうちに、伏し目がちに石畳を見つめていた少年の方がひょいと顔を上げ、マリアベルに気付いた。

 目が合うと微笑んだ。それはマリアベルが数年間、一度たりとも向けられたことがない類の笑顔だった。戸惑いと共に心の中が澄み渡っていく感触がある。

「君はあそこに行かなくていいの?」

 少年は男だか女だかわからない外見に似合わず、低く温かみのある声音でそう訊ねてきた。

 彼の指は背の高い家が立ち並ぶ住宅街の中においても、問題なく目視できる煉瓦造りの塔を示していた。赤燈がなくなったせいで、闇が塔の頂上にすっかり覆いかぶさっている。

「あそこ? あの塔のこと?」

「うん。あれの下に集まっているよ。この街の人たちは、ほとんどね」

「どうして?」

「さぁ、わからない。みんな何かに引っ張られるみたいに、あの塔に向かって歩いて行ったんだ。――でもきっと、空が真っ暗になったからだと思うよ」

 そう言って少年は次に空を指差したが、マリアベルはその先を追わなかった。再確認するまでもなく、漆黒の空が広がっているだけだからだ。

「どうして真っ暗になったんだろう」

 この少年なら何か知っているのかもしれない。そんな無根拠の期待を抱き、マリアベルはそう訊ねる。

 右手が「結んで開いて」を繰り返していた。答えを待つ時間が一秒か、十秒か―― 緊張する。

 やがて少年は立てた膝に肘を乗せて頬杖を突くと、ニヤリと三日月のような意地の悪い笑みをつくった。

「ほんとうは、わかってるんじゃないの?」

 マリアベルは首を振ろうとして、しかし動けずに固まった。少年はそんな彼女の様子を見、「しょうがないな」とでも言いたげに軽く息をつくと、背筋を伸ばして両の手を広げた。外套に包まれていた、細くてしなやかな指が露わになる。彼の指先からは、赤く光る粒子が炎のように揺らめき立っている。粒子は彼の体から離れると、紗の帯のようになって広がる。

 ――懐かしい。なぜかそう感じた。いつの間にかマリアベルは、少年の紫苑色の瞳をじっと覗きこんでいる。

「ぼくが魔女の息子だ。そう言えば、わかってもらえるだろうか」





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