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赤燈の街  作者: 漱木幽
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「このままじゃ、落第だ」

 カンタスはマーベリックの弟子だった男だ。三十がらみの精悍な顔つきの偉丈夫で、「魔法使い」という黴くさくて少々不健康な呼び名が、彼にはしっくりこない。

 アカデミーの中ではまだマリアベルには温情をかけている彼であるが、今度こそは―― いや、温情をかけているからこそ、マリアベルを呼びだしたのだろうが。

「落第ですか。ふぅん」

「ふぅん、じゃない! 俺は再三注意したはずだぞ、マリア。出来なくても実技テストから逃げ出すな、とな」

 マリアベルは呆れ半分怒り半分で喚くカンタスから目を離して、部屋をぐるりと見回す。

 アカデミーの教師にはそれぞれ個室が与えられ、大抵のものがそこを専用の研究室にする。中には寝泊まりするだけの寝所にする者もあるが、カンタスは完全に前者の方だ。

 カンタスは主に大地そのものを調査し、研究している。街の外の荒野に出かけていくこともあるが、太陽を無くした世界の外気は寒気と呼ぶのもおぞましいほどに冷たく、この街でさえも全体を覆う大きな魔術で寒気を防がなくては、生物が住める場所ではない。もしも世界に魔術が存在しなければ、怪物が太陽を呑みこんだ瞬間にすべての生物は滅びていたことだろう。

 そんな常識外れの寒さの中、一人の魔法使いが寒さを防ぎながら外を歩こうと考えるなら、どんなに熟達していても二十四時間以内に行動時間の限界を定めるべきである。それゆえにカンタスの情熱とは裏腹に、研究は遅々として進んでいないようだった。カンタスの機嫌が悪いのは、おそらくその所為で、マリアベルは一割か、もしくは二割か。その煽りを食っている。

 前に来た時よりも図の類が増えたように見えたのは、調査から帰って間がないからに違いない。そういえば最近見かけていなかったなと、目の前にくどくどと吐き出される説教とはまったく関係の無いことを考える。マリアベルにとってこの手の説教を受けるのは、日常茶飯事のことだった。そろそろ立ったまま眠れるようになるかもしれない。


「……おい、聞いているのか、マリア」

 そっぽを向いているのがばれた。カンタスの視線が首筋に刺さる。

 慌てず騒がず視線を戻すと、マリアベルはわざとらしく微笑んだ。

「そんなことないよ、先生」

「……まったく、おまえが落第して留年、果ては退学だなんてことにでもなれば、亡き学長に顔向けができん。頼むから少しは言うことを聞いてくれないか」

 まったく危機感を持たないマリアベルに、腕組みをしながら息を吐くカンタス。

 初めこそハイハイと話を聞いていたマリアベルも、今ではすっかり躱し方を心得てしまったようで、説教をしようが叱りつけようがまったく手ごたえがない。そういうところだけ要領がよくても困る、と悪態をつきたくなるのをどうにか我慢して、

「おまえがヤケになるのは勝手だが、こっちにはとにかく卒業させてやる責務があるんだ。……いいか、一生分のことなんだぞ。魔術には個人差があるからどうとも言えないが――」

「アカデミーを卒業できなければ一生劣等生、でしょ。聞き飽きたわ」

 悲嘆した様子もなく、マリアベルはやれやれと肩を竦めてかぶりを振った。

 もともと魔術の才能が自分にないことを知っていた彼女は、祖父の強い勧めと「後押し」が入学のきっかけだった。マーベリックは権威を振るうことを是としない性格ではあったが、当時からかなりの発言力を有していた彼の、「振るわざる力」が働いたことは言うまでもない。

 そのあたりを敏感に察しているカンタスは、たとえマリアベルが「学長の孫娘だから、落第して放りだされることなんて無いだろう」と考えているのだと思っても、決してそれを口に出すことはしなかった。真意がどうであれ、マリアベルが激昂して手がつけられなくなることが容易に予測できたからだ。それを言ってしまったが最後、もう彼女はカンタスの言葉を一言も受け入れてはくれなくなるだろう。

 しかしそんなカンタスの的外れな忍耐は結実することはない。マリアベルは心底「放りだされようがどうでもいい」と考えているからだ。無論、展望も何もない若者の無鉄砲な考えではあるが、少なくとも当の本人は今の瞬間本気でそう考えている。

 自分に見込みがないことは誰よりもわかっている。祖父の為に、祖父の衣を借りてアカデミーに通っているとまで言われながら通ってきたが、もうその必要もない。才能がないのならいっそ放りだしてくれれば良い。その方が楽。捨て鉢な考えはこの数カ月の間にマリアベルの骨の髄までしみ込んだようで、前ほど自分の無能さを嘆くことは多くなくなった。

 その代わりに、祖父のことを思い出そうとするたびに別の痛みが走るようになった。それはマリアベルが自分に諦念を示した時にサッと駆け廻り消えていく。さきほど食堂で感じたあの感覚だ。

 鋭利で心を裂いてはすぐに消えるその痛みは、悲しみとか絶望とはまったく質が異なるもののように思う。……思うだけで、マリアベルにはその正体がわからない。ただ涙が出てきそうになるのだけは、悲しみや絶望とよく似ている。ふとした拍子に駆け廻り、心をささくれ立たせて消えるのだ。ざわりと熱風に晒されたかのように肌が泡立つ感触がある。

「マリア?」

 カンタスは急に俯いて黙り込んだマリアベルの顔を覗き込もうとした。

 また涙が出そうになっていたマリアベルは、無理にそっぽを向いて声を張る。

「……なんでもない! で、どうすればいいの? どうにかすればいいんでしょ」

 一瞬見てとれた瞳の動きを訝しみながらも、カンタスは予定表を取り出してマリアベルの前に突きだす。

「四日後、おまえには実技テストを受け直してもらう。課題は―― 『植物を成長させる』だったか。まァ、それをやってもらうか…… もしくはおまえの一番得意な魔術を完璧に使いこなして見せることだ」

 出来れば前者を見せてほしいんだが、と付け加え、次いで別の場所に乱雑に積み上がっている書類の束を指さす。

「さすがに認めさせるには苦労した。俺をがっかりさせないでくれよ?」

 マリアベルが実技テストから逃げ出したのは、課題である『植物を成長させる』を巧く発動させることが出来なかったからだ。カンタスはその事情と彼女が唯一得意な魔術を知っていて、おそらく学長に話を通したのだろう。それで認めてもらえるようにと。

 カンタスは全部一人で話を通したといっているが、マリアベルにはわかっていた。これにおいても祖父の「振るわざる力」が影響していることに。――現学長にして魔術理論の権威であるデニス博士も、マーベリックに恩がある人間のうちの一人だ。

 それを思うと歯がゆかったが、マリアベルには逆にそれを突っぱねることもできなかった。

 渋々といったような面持ちで頷くと、カンタスを睨みつける。

 まったく、余計なことをして。そう大声で怒鳴りつけてやるかわりに、

「わかった。せいぜい特大の花火を上げて見せるわ。それでいいよね?」


 カンタスの額をぴしゃりと叩く音を背に受けて退室したマリアベルは、たまりかねたように少しだけ泣いた。




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