タモリを称える会
その高校に“タモリを称える会”が発足したのは、ある年の新入生が、自分の入りたい部活動がなかったが為にてきとーに申請を出したのがそもそも始まりだった。
その新入生の意図は、本当を言えば“必ず部活動に所属しなければならない”というその学校の校則に対する抗議活動的意味合いが強く、だから本人ですらもその申請が通るなどとは思っていなかった。しかし、その申請は通ってしまったのだった。
「いや、ほら、少ないけど、金貰えるし、部活動の顧問ってな理由で、昼に録画しておいた“笑っていいとも”を観れるだろう。なら、ありかな?と思って」
と、後に語ったのは、その申請を通した主犯格の教師、鈴森先生である。
こんな変な部活動の申請が通れば、自ずから注目が集まる。そして、その結果として他に入る部活動がなくて困っていた生徒達数名が、その“タモリを称える会”に入部届を出してしまったのだった。
大方の予想としては、どうせ真面目に部活動なんかやらないだろうと見られていたのだが、それに反して彼らは真面目に部活動を行った。一つには、真面目にやらなくては生徒会に睨まれるという事もあったが、もう一つの理由に、その会はそれなりに楽しかったという事がある。
“笑っていいとも”を観終った後で、今日のタモリさんのここが良かった、あそこが駄目だったなどと議論する。他に入りたい部活がなかったとは言っても、それでもタモリさんを好きでもない人間は、“タモリを称える会”などには入らない。そして、一口に“好き”と言っても様々な“好き”がある。個人個人の微妙な違いが議論を呼び、度々、討論にまで発展してしまったのだった。そして、その討論は楽しかったのだ。
やがて二、三か月が経つと、“笑っていいとも”だけをカバーすればいいのか? それだけではタモリさんの一部を語るに過ぎず、とてもじゃないが“タモリを称える会”とは呼べないのではないか? という疑問の声が上がり始めた。それで、各自が様々なタモリさんの番組を録画し、部室にて鑑賞。やはり同じ様に、タモリさんについて議論するという日々が始まった。
この頃になると、顧問の鈴森先生は生徒達についていけず、距離を置くようになったらしい。そして、その事が、この会の後の暴走に繋がっていったのだった。
タモリ倶楽部。ブラタモリ。ミュージックステーション。この辺りは当然、カバーする。そのうちに、会では過去の主要な番組まで見始めるようになった。その頃、『オレたちひょうきん族』が見られる部活動として、会は評判になっていたらしい。
そうして一年が過ぎ二年目に入ると、新人も何人か入部し、雰囲気も変わる。そして、そこで異変が起こり始めた。
サングラス。
部活動の一環として、何故か彼らはそれを所持するようになったのだ。
これにはこんな経緯があったらしい。一年生の一人が、タモリさんと同時に出ていたビートたけしに大笑いをし、「やっぱり、たけしは面白い」などと言ったらしいのだ。それに激怒したのが二年生。
「ここは、“タモリを称える会”だ!」
と、大騒ぎをし、何故かタモリさんに対するオマージュだなんだと言って、サングラスを持つ事を部活動のルールにしてしまったのだった。
サングラスを持っている事を教師に咎められても彼らは、「これは部活動です」と、そう言って抵抗をした。
「やっぱり一番は、サングラスをかけながら王道の“タモリ倶楽部”を鑑賞する事だな」
などと言いながら、彼らは部室内で全員、サングラスをかけて、テレビを観ているのだという。明らかにテレビが観にくくなりそうな気がするが、疑問の声を上げる者はいなかった。
そこに至って、学校の内外から“タモリを称える会”の存在意義を問う声が大きくなっていった。まるで宗教や胡散臭い自己啓発セミナーの雰囲気が出始めていたから、それも無理もない話だった。
その当時を振り返って、メンバーの一人は、実を言うのなら、内心では“自分はそれほどタモリを好きだった訳じゃない”と思っていたと後に告白している。しかし、それを口に出せないし、会を脱退する事も頭に浮かんでこなかったらしい。彼らは、会の雰囲気に呑まれてしまっていたのだ。
そのうちに会には圧力がかかるようになる。PTAや親達も動く。そして、遂には“タモリを称える会”への部費の割当てを失くす事が決定したのだった。もちろん、それは学校側から部活動として認められていない事を意味していた。
顧問の鈴森先生は、それに抵抗しなかった。
「いや、だって無理だよ。あいつら、なんか変だったし」
というのが、その証言。
弾圧をされれば、抵抗をするのが世の常。学校側から認められていなくても、彼らは会を続ける… かに思えたのだが、そうはならなかった。それについて、メンバーの一人に聞いてみたところ、こんな証言が得られた。
「いや、正直、もうタモリ、飽きてたし…」
一年以上も毎日のようにタモリさんの番組を見続ければ、流石に飽きる。至極当然の話だった。会のメンバーは、それぞれ無難な部活動に散らばっていき、実質、“タモリを称える会”は消失をしたのだ。
それでも、その後、メンバーの何人かは個人的にサングラスを持ち、会の一員である事を誇示していたようだったが、それも時間が経つとなくなっていった。
会を離れ、当たり前の人々に囲まれ、タモリについての議論もしなくなると、それが変な行動である事に自ずから気付いていってしまったのだ。
恐らく、“タモリを称える会”の経歴は彼らの中で黒歴史として、これからの彼らの人生を苦しめる事になるだろう。
そうして、“タモリを称える会”は、その残滓すらも完全に消え去ったのだった。
……この話を書き終えた今、作者は久しぶりに『タモリ倶楽部』でも観てみようかとそう思うのだった(因みに、僕はあの番組が、タモリさんの番組の中じゃ、一番好きです。いえ、おしりではなく。おしりではなく!)。
空耳、アーワー
観てやりましたよ、タモリ倶楽部。