71
窪田は煙草を吸いながら考え事をしていた。
今頃、司はリライトを終え、シヴァウイルスのデータが何処にあるかを突き止めているかもしれない。
しかし、そんな事よりも窪田はpHが持っていたイレイザーの機密情報がどうなったかの方が気になった。
その機密情報というものが具体的にどんなものなのか、窪田は知っている。
それはpHが果たそうとしていた事を自分が果たすために必要なものだ。
「また吸ってるのか?」
そんな声が聞こえ、窪田は笑った。
「煙草の税金で国の財政は助けられてるんです。これは排除しないで下さいよ」
その時、窪田は過去に戻った気がして当時の受け答えを再現した。
しかし、我に返ると慌てて振り返った。
「お前の健康を考えれば排除したいけどな」
そこに立っていたのは司だった。
ただ、話し方はpHそのものだった。
「……今のは?」
「待たせてすまなかった。本当に排除するべきものを今から排除する。協力してくれるか?」
窪田は驚きを隠せなかったが、何が起こっているのか理解すると頷いた。
pHが姿を消した日、仕事に向かうpHに窪田は会っていた。
pHは今回の仕事をイレイザーとして行う最後の仕事にすると話した。
そして、戻った後に果たすべき事を果たすと言っていた。
pHの言う果たすべき事。
それはイレイザーの排除だ。
存在している事が危険だと思われるものを排除するというイレイザーの考えには賛同している。
しかし、本来は排除するべきではないものまでイレイザーは標的にしていると常日頃感じていた。
それはイレイザーの中心にいる者達が原因だ。
彼らはここから出る事なく過ごしているため、世の中がどうなっているか理解していないのだ。
それにも関わらず、彼らは標的を決めては下の者に指示を出してしまう。
そして、いつしかイレイザーは単に殺人を繰り返すだけの組織に成り下がってしまっている。
今、最も排除するべきものは他でもないイレイザーだ。
pHはそのように考え、窪田も同意したのだ。
「やる事は覚えているか?」
「はい、メインサーバの停止とメインシステムにある自爆装置の起動ですね?」
ここは何者かに占拠された時の事を想定して自爆装置が備え付けられている。
しかし、それを起動してからすぐに爆発する訳ではない。
まず、10分後に外のゲートが閉まり、さらに3分後に爆発する仕組みだ。
また、自爆装置の起動と同時に警報が発信されてしまうのも問題だ。
それだけの猶予があれば、排除したいと思っている者達を含め、全員が外へ逃げてしまう。
そうした事態を防ぐため、メインサーバを先に止めて警報を含めた各連絡の発信を行えなくするのだ。
「私はメインサーバを停止させれば良いですね?」
当初から窪田がメインサーバを停止させ、自爆装置の起動はpHがやる事になっていた。
自爆装置を起動させるために必要なパスワードをpHから教えてもらっていない事もあり、それは変わらないと思っている。
「いや、俺がメインサーバを停止させる。お前が自爆装置を起動させるんだ。そのためのパスワードも教える」
「え?」
想定外の事を言われ、窪田は驚きを隠せなかった。
本音を言えば、自分の手で自爆装置を起動したいと思ってはいた。
しかし、それは叶わない夢だと諦めていたのだ。
それが意外な形で叶う事になり、窪田は興奮を抑えられなかった。
「これがパスワードだ。メインシステムへの侵入方法は既に教えているが、覚えているか?」
「はい、覚えています!」
「今から丁度10分後にメインサーバを停止させる。頼んだぞ」
手渡されたメモを窪田は強く握り締めた。
そして窪田はメインシステムに急いだ。
窪田はそのまま何の問題もなくメインシステムに侵入出来、自爆装置を起動させる準備もすぐに終わった。
そうして窪田は携帯電話を片手に約束の時間まで待ち続けた。
そして時間になると同時にメインサーバが停止した事も確認し、自爆装置を起動した。
同時にタイマーが表示され、カウントダウンを始める。
窪田はそれを見て、大きな感動を持った。
とはいえ、ここに残る訳にはいかないため、窪田はすぐここを後にする事にした。
そして気付いた。
メインシステムがあるこの部屋のドアがロックされ、外に出る事が出来ないのだ。
窪田は侵入した時と同じ方法で出ようとしたが、それでも無理だった。
自爆装置を止める事も出来そうにない。
そこで窪田は笑いながら、その場に座った。
自爆装置を起動させた者は逃げる事が出来ず、犠牲にならないといけないのだ。
そこでpHはこの事を知っていたのだろうかと窪田は考える。
最も答えはすぐに出た。
自爆装置を起動させるためのパスワードを知っていたぐらいだ。
確実に知っていたはずである。
そこで窪田は違和感を覚える。
pHの性格を考えれば、自らが犠牲になる事を選択したはずだ。
こうして窪田を犠牲にするような事をする訳がない。
そして窪田は肝心な事を思い出した。
窪田に自爆装置を起動させるよう指示した者はpHではなく司だ。
考えてみればpHは近接戦闘を得意としていなかった。
つまり、健斗等を相手に圧倒していたのは司自身の実力という事になる。
平凡な大学生であるはずの司にそれは不釣合いなものだ。
しかし、本当に恐ろしい事は別にある。
自爆装置の起動を指示された時、窪田は司から何の悪意も感じなかったのだ。
裏の世界で生きていれば様々なタイプの人間と出会う。
その中で窪田は愉快犯と呼ばれる存在が恐ろしいと思っていた。
しかし、司は愉快犯でもない。
言ってしまえば、何の感情もないのだ。
何の感情もないにも関わらず、彼は今、イレイザーの排除を達成しようとしているのだ。
感情のない彼が今後どんな行動を取るか、窪田は見当も付かない。
もしもシヴァウイルスを手に入れたとしたら、彼は何のためらいもなく世界中にウイルスを広げてしまうかもしれない。
そうした考えを持ったところで窪田は司を信用した事ではなく、殺さなかった事を後悔した。
そこでふと窪田は凛の事を思い出した。
先程、外へ向かっていたため、凛が爆発に巻き込まれる事はないはずだ。
そして高野俊之の娘としてシヴァウイルスを司の手には渡さないかもしれない。
そんな期待を持てる事が嬉しくなり、窪田は笑った。
ただ、凛に対して1つだけ心残りがあった。
それは凛をイレイザーに誘った理由を言わなかった事だ。
「イレイザーを変えてくれる気がしたんだ」
聞こえる訳がないと思いつつ、窪田はそう呟いた。
高野の遺体が発見されてから数日後。
窪田は何か手掛かりを探そうと高野の遺体が見つかったあの場所へ行き、そこで凛に会った。
そして何となく声を掛け、凛が高野の娘である事を知った。
凛をイレイザー等から守るために誘ったという理由もある。
しかし、1番の理由は凛の目に惹かれたからだ。
凛の目は固い決意に満ちていた。
それが何となくpHの目に似ていると窪田は感じた。
そして、凛がイレイザーを変えてくれるかもしれないと期待したのだ。
期待通り、凛はイレイザーを敵に回すような行動に出ただけでなく、結果的に上の者の意見を変えるきっかけを作ってくれた。
その事が窪田は嬉しかった。
家族や愛する者を持たないため、最期の時に幸せを願いたくなるような人はいないだろうとずっと思っていた。
しかし、残された僅かな時間を使って、窪田は凛の幸せを願う事にした。