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窪田はイレイザーの本拠地に来ていた。
今日は呼び出しを受けた訳ではなく、自ら来た形だ。
面倒な手続きを手早く済ませ、窪田は上の者達がいるあの部屋に入った。
「今日はどうしたんですか?」
「あなたの方から来るなんて珍しいですね」
「また神野司を逃したようですけど、どういう事ですか?」
窪田はそれらを無視するように軽く頭を下げた後、口を開く。
「シヴァウイルスのデータが何処かに残されている可能性があります。手掛かりは神野司が持つpHの記憶だけです」
上の者を睨むように見た後、窪田は続けた。
「神野司を殺さずに捕まえる事を推奨します。私達が排除するべき対象はシヴァウイルスです」
「違います。pHはこのイレイザーを潰す手段を持っている可能性があるんです。pHが最も放っておけない存在です」
「その通りですよ。pHはイレイザーの標的を殺さずに逃がしていましたが、それはイレイザーに対する裏切り行為です。そんな者の記憶を持っている神野司は排除するべきです」
「それよりも死神を生きたまま確保しませんか? 上手く利用出来れば大きな戦力になりますよ?」
いつも窪田はこうした理不尽な主張を否定せず、黙って聞いていた。
しかし、今回は違った。
「本当に排除したいのはpHの記憶ではなくpHという事ですね? それでは教えます。pHは生きています」
その言葉に上の者達は驚いた様子を見せる。
「神野司が言っていました。pHの記憶はイレイザーから逃げ切るための逃走ルートを考え出したところで終わっているそうです」
「その逃走ルートというのは……」
「具体的にその先は教えてもらえませんでした。しかし、神野司が嘘を言っているようには見えませんでした」
これらの事は全て窪田が考えた嘘だ。
しかし、上の者達は完全に話を信じているようで驚きを隠せない様子だ。
「神野司を殺してしまってはpHが何処にいるかも、シヴァウイルスのデータが何処にあるかもわからなくなってしまいます。私はイレイザーとして神野司を殺さずに確保するべきだと考えます。事情を話せば神野司も凛も抵抗しないはずです」
上の者達はプライドの高い人物だ。
そのため、こちらがいくら正論を言っても聞いてもらえない事がほとんどだ。
窪田はその事をよく知っている。
この先に言うべき言葉も既に決めていた。
「しかしながら全ての判断はあなた方に任せます。私は引き続き神野司を殺しに行きます」
そう言いながら窪田は上の者達に背を向け、部屋の出口に向かう。
「殺してしまってから確保をお願いされても出来ませんので、その点はご了承下さい」
最後に頭を下げ、窪田は部屋を出た。
そのままイレイザーの本拠地も出ると健斗が待つ地下駐車場に向かった。
健斗は今日も車で待機していた。
「どうでしたか?」
「わからない。それでも出来る限りの事はした」
窪田は健斗に詳しい事を話していない。
イレイザーを裏切るような行為に出ているという事すら話していない状態だ。
しかし、健斗は窪田が何をしているのか気付いているのかもしれない。
そんな事を窪田は何となく思った。
とはいえ、実際にその事を聞いて確かめるつもりもなかった。
それは窪田が考え過ぎているだけの可能性もあるためだ。
「これからどうしますか?」
「何の情報もない状態だ。少しの間、待機になるだろう。今のうちに休んでおこう」
「わかりました」
司の話では明日、シヴァウイルスのデータを回収出来るとの事だ。
それはつまり、明日になれば忙しくなる可能性が高いという事も表している。
そこでふと窪田はpHの事を思い出した。
pHが何処かで生きているかもしれないという考えはやはり消えない。
司を追う事でpHが今どうしているのか。
それは既に死んでしまっているという事でも構わない。
自分が探し求めた答えが見つかれば良いと窪田は考えた。