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司と零次はビルの屋上に来ていた。
「pHはここを狙撃場所として使ってたんだよ」
零次の話を聞きながら、司は周りの景色をじっくりと見た。
しかし、特に見覚えのあるものはなかった。
「何も思い出せねえって顔だね」
「狙撃は昼間からやるものなのか? 夜だとまた景色も変わるはずだ」
「それが昼間からもやってたんだよ。ここからあそこのビルにいた人物を狙撃してるよ」
零次が指差した先を司はじっくり見た。
それからスナイパーライフルのスコープを取り出し、今度はスコープを通してそのビルを見た。
しかし、何も思い出せなかった。
「無理みたいだ」
「何をすると思い出すんだろうね?」
「ある日突然閃きのような形で思い出す事もあるだろ? 記憶のメカニズムについてはまだ謎が多いんだ。そう簡単にはいかない」
司はスコープから目を離すと周りに目をやる。
ここはオフィスビルで複数の会社が借りているらしい。
そのまて、お互いに面識がない者も多いようで、途中で調達したスーツを着ているだけで簡単に中へ入れた。
それだけでなく、通常は入れないはずの屋上も零次の手により簡単に入れ、入ってしまえば誰もやって来ない。
狙撃をするという目的を持っているなら、ここは適した場所だと司は感じた。
「他にもこうした場所があるのか?」
「スナイパーは狙撃場所をいくつか確保するものなんだよ。標的が決まったら、何処から標的を仕留めるかという事をまず考えるでしょ? その何処からってのを考える時に選択肢が多い方が楽だしね」
零次の意見はごもっともだったが、加代子を助けた時の事を考えるとpHにとって狙撃場所を確保する事はそれ程重要ではなかっただろうと司は考えた。
pHの記憶を持っているというだけで1キロ離れた標的も狙撃する事が出来た。
それ程の技術があれば、ある程度は何処にいても標的を仕留める事が可能だったはずだ。
そう考えるとpHが狙撃場所として確保していた場所は他のスナイパーに比べれば少なく、場合によっては頻繁に使用していた場所もあるのではないかと思われる。
そして、そうした場所に行けば、何か思い出せる可能性が高いとも考えられる。
「そういえば、根本的な話になるんだけど……」
零次はそこで少しだけ言葉を切った。
「pHって今どうしてるんだろうね?」
考えてみれば、司がpHの記憶を持っているからといってpHはもう死んでいるという考えには繋がらない。
pHは今も身を隠して何処かに潜んでいる可能性があるため、零次がそんな疑問を持つのも無理はない。
そして司自身、pHが死んでいるかどうかわかっていない。
「もしかしたら何処かで普通に生きてて、司を利用してるのかもしれねえよ?」
「どういう事だ?」
「今、全員がpHの記憶を持ってる司を狙ってるから、その分他に対して集中出来ねえはずでしょ?」
零次は自信に満ちた表情で続ける。
「つまり司を囮にしてpHが裏で動いてるんじゃねえかって事」
「そうだとしたらpHは何をする気だ?」
「多分、シヴァウイルスを入手しようとしてるんじゃねえかな?」
「それなら俺を囮にしたりしないで早いうちに入手した方が良いんじゃないか?」
「早いうちに入手出来たんなら、そうしただろうね」
零次の言葉の意味が司はわからなかった。
「どういう事だ?」
「シヴァウイルスを入手出来る時期がまだ来てなかったんじゃねえかな? だから入手したくても出来なかったって事」
「そんな事ありえるのか?」
司の質問に零次は首を傾げる。
「十分ありえるんじゃねえかな? そもそも司にpHの記憶を持たせた理由ってのを考えた時、理由として妥当なものってそんなにねえじゃん。今言った囮に使うためってのと……」
そこで零次は司の事を窺うような目で見た。
「司自身がpHの記憶が欲しくてやったとかかな」
それは暗に司を疑っていると宣言しているようなものだった。
今まで、司は零次が裏で何か動いているように感じていた。
その理由は自分の事を調べているためではないかと司は推測した。
「でも、それは違うのかもね」
「え?」
「pHが死んだって記憶、司は持ってねえって事でしょ? 死って大きな事だし、はっきりと意識出来ねえ可能性はあるけど、何となく死んだってのは自覚出来るはずだからね」
零次の言葉に司は特に何も返さなかった。
死ぬ瞬間の記憶について、どのように記憶されるのかといった研究が何処かでされていた。
その結果、その記憶はほとんど認識出来ないような小さな記憶として残る程度だといった結論が出ていた。
つまり零次の言う通りpHが既に死亡し、その記憶も含めた形で司が記憶を持っていたんだとしても、司がそれを認識出来る可能性は少ないのだ。
しかし、司はそういった情報を零次に話さない事にした。
「てか、とりあえずどうする? もう少しここにいる?」
「……いや、移動しよう。ここにいても手掛かりはない」
「了解」
零次は特に文句を言う事もなく、司の意見を聞いた。
司は念のため、もう1度だけ周りの景色に目をやったが、やはり何も思い出せない事を確認すると零次に続いてその場を後にした。