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勉は歩きながら携帯電話を操作していた。
今まで勉の携帯電話にはメルマガや広告メールが届く程度で、友人とメールのやり取りをする事は全くなかった。
しかし、昨夜連絡先を交換した麗美から頻繁にメールが来ているため、それを返そうと歩きながらでも携帯電話を操作している形だ。
「随分と楽しそうだね」
そんな声が聞こえ、勉は顔を上げる。
声がした瞬間、勉は誰がそこにいるのか何となくわかっているつもりだった。
しかし、実際に声を発した人物を見ても勉には全く見覚えがなかった。
「麗美ちゃんと上手くいってるみたいで良かったよ」
そこまで言われたところで勉は気付いた。
「もしかして、零次さんですか?」
「あ、そっか。イメチェンしてたんだったね」
イメチェンという言葉に違和感を覚えつつ、それ以前に零次がここにいる理由が勉にはわからなかった。
「今日はどうしたんですか?」
「ああ、この大学を爆破したいって人から依頼を受けて、下見に来てるんだよ」
「え?」
勉は訳がわからず固まってしまった。
「なんて言うのはジョークだよ。今日は女子大生をナンパしようと思って来たんだよ」
「はあ……」
その理由も勉は納得いかなかったが、深く詮索はしない事にした。
「でもここ、良い場所だね」
「そうですか? 古い建物ですよ?」
「新しい建物より、古い建物の方が趣があるじゃん」
「そうですけど……」
当然、これまでに何度か改修されたりもしたそうだが、古くなった事でガタが来ている場所は多くある。
例えば、壁の至る所にシミ等がある事はしょうがないとして、屋上では金網が古くなり外れてしまう危険があるとして立ち入り禁止にしている程だ。
とはいえ、屋上に通じるドアが開けっ放しのため、一部の学生は普通に屋上へ行っている。
それだけでなく、水道管が破裂して噴水のようになってしまっているのを2回程見たりもしている。
この大学が研究を行っている者達への援助を優先している結果といえるが、勉を含めた援助を受けていない多くの学生にとっては迷惑な事である。
「でも丁度良かったよ。ちょっと協力してくれね?」
「何ですか?」
昨夜の事もあるため、協力するつもりではいるものの何を頼まれるのか勉は不安だった。
「ここ、コンピュータールームがあるよね? そこのパソコンにこのSDカードを差して、中に入ってるソフトを実行してくれれば良いんだよ」
零次はそう言いながらSDカードを差し出す。
「ソフトって何のソフトですか?」
「ちょっとした動作テストをするソフトだよ。実行してから数分で完了メッセージが出れば問題ねえから」
「わかりました」
多少の疑問は残るものの勉は零次の指示に従う事にした。
そしてSDカードを受け取るとコンピュータールームに入り、空いていたパソコンの前に座った。
ここは普段、自習を行ったり論文を作成するために活用され、勉も時々利用している。
今は昼食を取っている者が多いため利用者は少ないが、多い時ではパソコンが足りなくなってしまう程、人が来る事もある。
勉は零次から受け取ったSDカードをパソコンに差し、中に入っていたソフトを実行する。
ディスプレイに途中経過を表すゲージのようなものが表示され、勉はしばらくの間、それを眺めていた。
それから数分が経過したところで零次が言った通り、完了した事を伝えるメッセージが表示された。
勉は少しだけ様子を見て、動作が完全に止まったようだと判断してから、SDカードを外すとコンピュータールームを出る。
零次は廊下で携帯電話を操作していた。
「終わりました」
勉はSDカードを零次に返す。
「ああ、ありがと。助かったよ」
零次は軽く頭を下げた後、小さな箱を取り出す。
「お礼にこれやるよ」
「何ですか?」
「今日、麗美ちゃんに会うんでしょ?」
「はい、麗美さんと同じコンビニでバイトしようと思っていて面接を受けに行くんですけど、今日も麗美さんはバイト入っているそうなので……」
「だったら手ぶらじゃダメでしょ? これ、ペンダントだからプレゼントしてあげなよ」
零次は箱を開けると中に入っていたペンダントを見せてきた。
「良いんですか?」
「この前、デートする前に用意したんだけど、ドタキャンされて無駄になっちゃったんだよ。だから活用出来るんならそうした方が良いと思ってね」
「それじゃあ……すいません、ありがとうございます」
ペンダントのデザインも良く、麗美へのプレゼントとしては最適だと感じたため、勉は頭を下げた後、ペンダントを受け取った。
「それじゃまた」
零次が行こうとしたが、そこで勉は聞こうと思っていた事を思い出す。
「あ、すいません!」
勉の声を聞き、零次は足を止める。
「どうしたの?」
「今、何か起こってるんですか?」
「ああ、別にそっちには関係ねえから……」
「昨夜、同じ大学の人を見たんですけど、車の後部座席で眠っていて……麗美さんも一緒にいたんですけど、何処かへ連れて行かれているように見えたと言っていて……」
麗美はこの事を執拗に心配し、今日もメールで気にしている事を伝えてきた。
そこに零次までやってきたため、勉も何かあったのではないかと思い始めていた。
「同じ大学の人って誰だよ?」
「……小泉加代子さんなんですけど」
「え?」
その時、零次は明らかに驚いているかのような反応を見せた。
それから何か考え込むような様子を見せる。
「あの……?」
「ちょっと待っててね」
零次はそう言うと携帯電話を操作し始める。
「小泉加代子って、神野司の彼女だよね?」
「はい、そうみたいですけど?」
零次が何を知りたがっているのか勉にはわからなかった。
「多分、イレイザーじゃねえし、ガーディアンの方が彼女を捕まえたって事かな……」
「捕まえたって、どういう……」
「てか、何だこれ?」
零次が別の何かに気付いたようで、勉の言葉は途中で遮られた。
「俺達がここにいるって情報が流れてるじゃねえかよ」
「あの……?」
「勉はこれ以上裏の世界には関わらねえ方が良い」
勉は裏の世界という言葉が心の中に深く残った気がした。
ただ平凡な大学生として過ごしていた勉の前に何の因果か零次が現れた。
そのおかげで憧れの女性であった麗美と仲良くなり、勉の暮らしはこれから楽しくなっていくのだろうと思っている。
そしてその中には零次もいるのだろうと勉は勝手に思っていた。
謎の多い人物ではあるが、事あるごとに自分の前に現れ、自分にはない発想を次々と出しては時に困らせ、時に助けてくれる。
勉は零次がそんな友人になってくれると思っていた。
しかし、裏の世界という言葉を聞き、零次とはそうした関係になれないのだろうと確信した。
まだ会ったばかりだが、勉は自分と全く異なる零次に憧れに似た気持ちを持っていた。
そのため、零次と一緒にいられないという事は残念だった。
「それじゃまた」
しかし、零次は最後にそう言った。
勉がその言葉を理解した時、既に零次は背を向けて走り出していた。
その背中に向けて勉には伝えるべき言葉があった。
「はい、また会いましょう!」
その声に返事をするように零次は左手を軽く上げた。
勉の気持ち等、零次は気付いていないかもしれない。
しかし、零次が『また』と言った事も、自分の言葉に答えてくれた事も勉は嬉しかった。




