12
司達は凛の言っていた目的地に到着していた。
「俺を仲間にして正解だったでしょ?」
零次と合流した後、数分だけ身を隠し、それからすぐに移動を再開した。
零次の話では監視カメラによってこちらの位置が知られてしまうとの事だったが、3人は監視カメラを避けずに電車で移動した。
それにも関わらず、イレイザーやガーディアンと思われる者に遭遇する事なく、ここまで辿り着いてしまった。
「尾行されてるって事もなさそうね……」
「さっきも言った通り、魔法が掛かってるから安心してよ」
零次は魔法という言葉を使い、具体的に何をしているかは話していないが、どうやら自分達が見つかる可能性は格段に下がっているらしい。
「それじゃあ、入って」
凛はそう言うと門を開ける。
「ここは何なんだ?」
凛が言っていた目的地というのは、何処にでもあるような建物だった。
「元は何処かの企業が使ってたんだけど、その企業が倒産して使われなくなった建物よ」
「それでも持ち主は存在するだろ?」
「個人的な知り合いから譲り受けて、今の持ち主は私だから安心して。と言っても所有者の名義は私になってないし、組織に見つかる心配はないから」
3人は中に入ると奥の部屋へ行った。
そこは元々オフィスとして使っていたものをそのままにしているのか、机と椅子が並び、パソコン等も置かれている。
司は一息吐くと自分が置かれている状況等を改めて考え直す。
「質問しても良いか?」
「ええ、良いわよ」
「イレイザーや……さっきいたガーディアンという組織は何故俺を狙っている?」
凛は司の質問に対し、何から話すべきか迷っているようで少しだけ間が空いた。
「……あなたと言うより、あなたが持っている記憶に問題があるの」
「記憶?」
思い返せばガーディアンからも記憶が目的だと言われた。
しかし、司はまだどういう意味なのか理解出来ていない。
「でも、その記憶を完全な形で持ってる訳じゃないみたいね。イレイザーやガーディアンについては本当に知らないんでしょ?」
「ああ、知らない」
「それじゃあ、何処から話すべきなのかな……。以前、イレイザーにpHと呼ばれる人物がいたのよ」
「pH?」
司はそれが水素イオン指数を表す記号だと気付いたが、特に関係ないと考え詮索はしなかった。
「pHは優秀な狙撃手でイレイザーの仕事をいくつもこなしていたの。それが1年前、突然姿を消してしまって今も行方はわかってないのよ」
その話と自分の関連性がまだわからなかったが、司は黙って話を聞く事にした。
「まあ、イレイザーのやり方に納得出来ずに姿を消す人なんて珍しくないし、既に亡くなっている可能性が高いと考えて初めはイレイザーも構わなかったの。でも、ある日pHが殺したはずの人物が生きている事がわかって、さらにイレイザーの機密情報をpHが持ち去ったらしい事も明らかになったのよ。それでイレイザーは万が一pHが生きていたとしたら危険だと判断して行方を追い始めたの」
零次は興味がないのか話を聞かずに携帯電話を操作し始めたが、司は特に気にしなかった。
「イレイザーも記憶に関する研究を進めていて、記憶の保存については優れた技術を持ってるの。それだけでなく潜在記憶の操作……簡単に言えば洗脳に近いんだけど、そうした事も昔は行っていたみたいで、pHに対してもそれが行われていたのよ」
そこで凛は自分の中でまた頭を整理しているのか、話を止める。
「まず、脳にマイクロチップを埋め込む等して常に記憶を保存するようにしていたの。命の危険もある仕事だし、何かあった時に他の人がそれを確認する事で引き継げるようにね。あと、潜在記憶は知ってる?」
「ああ、知っている」
潜在的な記憶として、本人が意識する事は少ないものの大きな影響を持つ記憶が潜在記憶だ。
具体的にいえば、習慣や癖といった形で潜在記憶は現れる。
「その潜在記憶の中にトラップを仕掛けたの」
「トラップ?」
「閃きに対しても潜在記憶が影響を与えるでしょ? そうした閃きを操作したの。逃げたとしても本人が気付かないうちに自らの居場所を知らせるためにね。まあ、今はそんな面倒な事、止めたみたいだけど
「具体的には何をしたんだ?」
「ある特定の文字列を自らのパスワードとして登録するようにしたのよ。組織では定期的に様々な場所に登録されているパスワード等を取得してるから、そこでその特定の文字列を見つければ、すぐに居場所まで特定出来るって事よ」
そこで司は1つだけ心当たりを見つける。
「昨日、アミューズメントパークへ行った時にID登録をしている」
その時、司はパスワードを設定する際、頭に浮かんだ文字列を使った。
思い返してみれば、その文字列をパスワードとして使った事は1度もなく、またその文字列が浮かんだ理由もよくわかっていない。
「初めはpHが姿を見せたんだと思ったんだけど、あなただとわかって単なる偶然だったんだろうで片付けようとしてたの。でも、そこで今日の論文発表があった……」
そこで司は凛が何を言いたいのか理解する。
「俺がそのpHという人物の記憶を持っているという事か?」
「そういう風に考えられてるみたいね。私は半信半疑だったけど、さっき銃の扱いを見て信じる事にしたわよ。でも、何でpHの記憶を持つ事になったか心当たりはある?」
凛は探るような目で司の事を見ていた。
司は少しだけ考えた後、自分の中にある心当たりを話す事にした。
「他人の記憶を持つ事が出来るか実験する中で俺が被験者として実験に参加した事があった」
司はその時の事を思い返していた。
実験は繰り返し行われ、その全てで想定通りの結果を得ていた。
そんな中、司も被験者として参加したのだ。
実験で使用するデータについては全てこちらで用意したもので、それ以外は存在しないと思っていた。
しかし、その中に1つだけ想定外のものが紛れていた。
そして司が被験者として参加した時にそのデータが使われたのだ。
「実験が終わった後でおかしいと気付いた。容量も大きかったし、誰もそれが何なのか知らなかった。それがpHの記憶だったのかもしれない」
「その記憶を持った後、何かしら変化はなかったの?」
「それが新たな記憶を持つ事も今までの記憶が消える事もなかったんだ。あまりにも大きな記憶を入れようとした事で元々持っていた記憶との突き合わせが出来ずに弾かれたんだと思っていた」
その考えは加代子等と相談して出たものだった。
どちらにしろ司は特に何の変化もなかったため、経過観察という形を取ってはいたもののほとんど気にしていなかった。
「弾かれた訳じゃなく、記憶として持ったものの上手く思い出せていないだけという事か……」
「イレイザーもあなたがpHの記憶を全て認識している訳ではないと考えてるみたいよ。もし全て認識出来ているんだとしたら、とっくに姿を消してるはずだしね」
そこで凛は言葉を切った。
「……ただ、今後あなたがpHの記憶を全て認識出来るようになるかもしれない。その事を危惧してるみたいよ」
「だからイレイザーは俺を殺してpHの記憶を抹消するつもりなのか?」
「反対にガーディアンはpHの記憶を手に入れるためにあなたを捕まえようとしてるみたいね」
ここまで聞き、司は自分が狙われている理由をある程度理解した。
「でも、何でpHの記憶があなた達の実験に紛れ込んだの?」
「わからない。データとして保存した記憶の管理は正人がやっていたけど……」
そこで今まで話に参加していなかった零次が口を開く。
「そのデータ、今は何処にあるの? 俺もちょっと興味が出てきたよ」
零次が突然会話に参加し、凛は少しだけ驚いた様子を見せる。
「そういえば、イレイザーはデータを追ってないわよ」
「状況が状況だから見落としてるんだろうね」
零次は楽しそうな様子だ。
「データはSDカードに入っていた。多分、まだ研究室に残っている。暗号化されていて中身の確認が出来なかったから、そのままになっているはずだ」
「そう……」
凛は険しい表情を見せる。
「そのデータを持ってくるべきだったわね。何か調べられたかもしれないし……」
「だったら大学に戻ってみたら良いんじゃねえかな?」
零次はそう言いながら携帯電話を操作する。
「何言ってるのよ? あそこに戻るなんて危険過ぎるじゃない」
「それじゃここにずっといるつもり? データから何かわかれば対策を立てられるかもしれねえよ? リスクを犯しても手に入れる価値はあるんじゃねえかな?」
凛は考えているのか言葉を詰まらせる。
そこで司は自分の考えを伝える事にする。
「俺も取りに行くべきだと思う。ここがいつまでも安全とは思えないし、自分に何が起こっているのかも知りたい」
「よし、それじゃ男2人で取りに行こうかね」
「ちょっと、本気なの?」
「いや、ジョークだよ。行くとしたら凛ちゃんも一緒に決まってるでしょ」
ふざけているかのような零次の態度に凛は苛立ちを覚えている様子だ。
「あ、でも今は無理だね」
零次は携帯電話を操作する手を止めると溜め息を吐く。
「どうした?」
「こっちの姿を見失ったから、イレイザーもガーディアンも大学の周りを張ってるみたいだよ。これじゃ難しいし、どうしようかな……」
零次はそこで自らが持っていたリュックを開け、中からコップと3本の瓶を取り出す。
その瓶の中身は酒のようだ。
「こんな状況でお酒を飲む気なの?」
「シラフじゃ頭が働き過ぎてまとまらねえんだよ。アルコールで頭の回転を鈍らせねえと」
「だからって……」
「どっちにしろ今夜は移動出来ねえよ」
零次は3本の酒を大雑把にコップへ入れると、軽くコップを揺さぶってから飲み出す。
「何飲んでるの?」
「チェックメイトマティーニってカクテル。ジンとベルモットとスピリタスを3対1対1で混ぜたものだよ」
「マティーニはもっと小さいグラスで冷やして飲むものじゃないか? スピリタスだって普通は使わない」
「あんた、酒に詳しいね。まあ、この方が酔えるでしょ? あんたらも飲む?」
「いや、止めておく」
「私も遠慮するわ」
2人が酒に付き合わないと知り、零次は残念そうな表情を見せる。
「それじゃあ、私達も少し休みましょうか。休憩室があるからそこを使って良いわよ」
その後、司は凛の案内で休憩室へ行った。
そこはベッドもあり、ホテルの一室のように感じられた。
「シャワールームもあるから交代で使って良いからね」
「そんなものまであるのか?」
「元々、泊まり込みで作業する事を想定してたみたいね」
それから、ここについて簡単な説明を受けた後、司は凛と別れた。
司はまだ自分の置かれた状況をそこまで理解出来ていない状態だ。
しかし、今は休むべきだと考え、ベッドで横になると目を閉じた。