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近衛氏は食事中も静かでね、その後もあたしのことなんか振り返りもしないで出てっちゃったから、不思議な展開になってるの。
聞いて驚け、将彦さんと食後の紅茶だぞー!!
…想像するだに、頭抱えちゃうでしょ…?
「随分静かなんだね、早希ちゃん」
日の落ちた庭園で、むせ返るバラの香りに包まれながら芸能人顔負けのオーバーアクションと、一応見合った美貌。
裏舞台を知らなかったら、うっとりしないと失礼なシュチエーションなんだけどさ、おば様情報だとバラ園は将彦さん専用で、彼が自腹を切って造って尚かつ普段の手入れも本人がしてるんだと。
くそ暑い真夏でも三つ揃いを離さない優男が、麦わら帽子に長靴で庭仕事だよ?笑う通り超して唖然呆然、自分を演出するためにそこまでするとは頭が下がるよ。
だからさ、おとなしいんじゃなくて感慨にふけってたの、あたしは。
「何て言うんですか…バラの香りに哀愁漂うと言うか、侘びしさ感じてるんです」お金持ってるんだから、庭師くらい雇おうよ。
優雅にカップを口に運ぶ将彦さんのナルシーぶりに悲しい目を向けるんだけど、本人は全く気付いてないみたいでさ、
「乙女の感性は、やはり鋭いんだね」
と微笑む訳。あなたの努力に切なくなってるんだよぉ、気付けって。
頭上に漏れる光の中で、全く心配してない近衛氏が見える気がする。
大嗣兄ちゃんと一緒のあたしを異常なまでに嫌がるくせに、将彦さんがお茶のお誘いをかけて来た時、無言で2階に上がった彼の心情が手に取るようだ。
どれだけ一緒にいても、将彦さん相手じゃ恋愛感情がわかないって…。
「暗くなってしまったけれど、明かりが届く範囲の花だけでも見て回らないかい?」
あたしの感想にすっかり気を良くした将彦さんが、テーブルを回り込んできた。
全身にラメでも被ってんじゃないかってくらい、歩く彼の後ろにはキラキラ目映い輝きがくっついてくるの。
錯覚、幻想よ、しっかり早希!
「さ、お手をどうぞ」
差し出された手のひらを無視する訳にもいかず、あたしはそっと指先を乗せた。
意外にもヒヤリと冷たいその感触に、心地よささえ覚えてしまったのは不覚よね。
だって将彦さん、さすがに気障を自称するだけあって、エスコート上手なんだもん。
手を繋いで回るのはちょっとって考えを読み取ったように、軽く曲げた肘にあたし指を導き、ゆっくりとした歩調で歩き出す。
コンパスの違いでついていくのに困ることがないよう、きちんとあたしの歩幅に合わせてね。
悪かったわ、ナルシーなんてチラリとでも考えて。あなたはちゃんと紳士だわ。
「手前にはいつでも楽しめるように、四季咲きのバラを集めてあるんだよ」
生い茂る緑のなか、淡い照明に浮き上がる色とりどりの花たちは、よく見かける八重咲きのゴージャスさんからお目にかかったことのない花弁の少ないモノまで本当に豊富で、世話をしてる人の愛情が感じられる。
「この白い花がアイスバーク。別名白雪姫の名をもっている。そっちの藤色のバラはブルームーン。カップのようなピンクのプリティジェシカ。ホワイトクリスマスにほら、あのクレマチスに似たムタビリスは咲いている花の色が変わるんだ。あじさいみたいだろ?」
嬉しそうに花々を紹介していく将彦さんは、子供みたいにピカピカの笑顔で、微笑ましくて、このバラ園は彼の演出のために造られたんじゃないなって確信をあたしに持たせた。
「バラ、好きなんですね」
途切れた説明にぽつりと声を乗せると、将彦さんは幸せそうに頷く。
「ああ、美しく、気高く、そして強いんだ。品種改良されたモノは害虫や病気に弱いんだけど、原種は華やかさで負けても強さとその可憐さで目も心も楽しませてくれる。日本人も多くの品種を作り出しているし、ハマナスは原種としてあまりにも有名だしね」
オタクの域に入っちゃってるけど、憎めないなぁ。花好きに悪い人はいないって言うし。
「それでローズガーデンを作ったんですか?」
「庭に植えたのは、僕が切り花が嫌いだからだよ」
意外な言葉にあたしは将彦さんを見上げた。優しく花弁に触れていた彼は、僅かに赤くなった目元を隠すように闇に視線を移すと、こちらを見ることなく言葉を紡ぐ。
「枯れ落ちるまで僕たちに安らぎをくれる花を、人の手で散らせてしまうなんて最大の罪だ。朽ちた花は次の世代をはぐくむ糧となるのに、その機会さえ奪ってしまう切り花が僕は大嫌いなんだよ」
どうしよう…今まで一度も思ったこと無かったけど言いたい、これは彼に言わないと。
「将彦さん、かっこいい…」
お馬鹿だけど、マジで頭痛を覚えちゃうパフォーマンスをしちゃうけど、この人いいじゃない。兄にも弟にも一歩もひけをとらないいい男だったんだわ。
麦わら帽子も長靴も、むしろそのギャップが素敵よ!
夜の闇に騙されたのか、むせ返る香りに酔わされたのか、この際どっちでもいい。
花に優しい男、ブラボーよ!
「じゃあ、僕の妻になるかい?」
「………」
いやぁ、前髪掻き上げて白く輝く歯をちらつかせられても…そう来るのは間違い。
飛躍しすぎないようにと、厳重注意を促そうとした時だった。
覚えがあるわ…この冷気、この殺気。
全力で逃げてみたら捕まらずにどこまで行けるかしらね…。
「兄さん、そろそろ中に入らないと蚊にくわれますよ」
ムードにそぐわない、それこそどうでもいい忠告で将彦さんを牽制した近衛氏は、腕にかけられたままだったあたしの手を乱暴にひったくると、絶対零度の微笑みで周囲を凍り付けにした。
「ゆーっくり話をしようね、早希」
有無を言わせぬその威力、最近頻繁に降臨する恐怖の大王は動けないあたしを引きずって、ずんずん室内に入っていくのだった。
第一級警戒警報発令、少女が一人絶体絶命。