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「広いお家だね、お父さん♪」
「そうか?なんか照れるなぁ」
褒めてないんで赤くなってあたしを小突くのは止めて下さい。嫌みです。気づいて。
ご立派な日本家屋はゆうに家の三倍はありそうな広さで、この畳が二十枚も敷いてある(待たされて暇だから数えたのよ)座敷だけでリビングとキッチンが入っちゃう。
ここが噂の父の実家である。
日曜日の朝9時にお父さんとここへ来るのが祖父母の指定だったそうだけど、只今9時半現在お二人はまだお出ましにならない。
1時間も電車に揺られて来てやった息子と孫を、延々待たせるのがここん家の家風だってんなら、花嫁修業とやらはするだけ無駄じゃないのかね。こんな常識は世界中探したってまかり通んないはずよ。ってかあたしが通さないね!
「帰る」
唐突に立ち上がったあたしはお父さんを振り返りもせず、縁側に続く襖を力の限り開けた。
失礼を失礼で返すことに躊躇いはない。だけど派手な開閉音を期待したのに、数枚連なってるそれは音もさせずにきっちり一枚分スペースを作っただけだった。
ちっ、大音響でもしたら怒りが伝わってすっきりしたってのに、家まで持ち主と一緒でいけ好かないったら!
「お、落ち着いて早希!そんなことしたら大変なことに…」
「たいした躾ですこと」
慌てふためくお父さんの声に重なるように聞こえたおばさんの声。
妙に気取った神経に障る声の持ち主は、視線をやらないでも正体がわかった。
「おばあちゃん」
初めて会うのに他人のような気がしないのは(いや、他人じゃないけど…)顔がお父さんそっくりなせい。
光沢のあるアヤメ柄の着物姿で白銀の髪をほつれ一つ無く結い上げた六十くらいのばあさんは、鈍色の同じく着物姿の老人の後ろから睨むようにあたしを見ている。
何がムカツクって、それが世間一般では綺麗って呼ばれる容貌をしてることだろう。
ええ、うちの父はね、結構格好いいんですよ。あたし全然似なかったけどね…ふんっ。
「お祖母様とお呼びなさい」
高飛車に言った声に絶句した。
お祖母様…今の時代にお祖母様ってあんた…マンガじゃないんだから。
「中に入りなさい」
今度は老人が命令。これがじいさん…こっちもお祖父様と呼ばないと怒るのかな…。
しかし二人揃って高圧的と言うか威圧的と言うか、お父さんこのお家捨てて大正解よ。
「早希」
脱力しきったあたしにお父さんが声をかけてきた。見やれば情けない顔で言う通りにしてくれと訴えかけている。
はいはい、怖いんですね自分の親が。穏便に済ませたいから反抗するなと言いたいんでしょう?了解ここは譲りますよ、その後は知らないけどね。
納得してあたしは黙って踵を返すと、元いた場所に戻った。
礼儀作法なんか無視して胡座でも組みたい気分だけど、それはしない。これ以上躾がなってないなんて両親を侮辱されるのはまっぴらだ。お父さんもお母さんもきちんとあたしを育ててくれたんだってとこ見せないと申し訳ない。
背筋を伸ばし、正座して畳二枚分前に座った祖父母と正面から視線を合わせる。
火花が出そうな見つめ合いの中、口火を切ったのは深々と頭を垂れたお父さんだった。
「ご無沙汰しております」
聞いたことのない凛と通った声にお祖父ちゃんが鷹揚に頷く。
「元気そうでなによりです」
返事を返したのはおばあちゃん。
相変わらず笑顔の一つも無かったけれど、表情は大分柔らかくなってる気がした。
そりゃ、久しぶりに会う息子だろうし嬉しかったんだろうけど、いつもその顔してればいいのに。ちょっとは怖さが減るのにさ。
「娘の早希です」
促すようにこちらを見たお父さんに習って、あたしも頭を下げた。
そんなことしたくないけど、何となく雰囲気に飲まれちゃったよ…。情けないな、自分。しっかりしろ、自分。
「今日からお前は風間の跡取りだ。どこに出しても恥ずかしくない教育を受けてもらう。そのつもりで」
うっわぁ、偉そー。何様だぁ?つーか、前置きなくいきなり?!教育とか何にも聞いてないんですけど?!
言い返してやろうと顔を上げたのに、お父さんに押さえつけられた。いつにないその強い力に、喉まで出かかっていた文句がつかえる。
「よろしくお願いいたします」
離せ!くそ親父、ってか何勝手にお願いしちゃうかなぁ?今度こそ異を唱えようとしたのに、絶妙のタイミングでくちばしを突っ込んだのはおばあちゃんだ。
「早希の面倒は私が見ます。あなた方の接触は一切禁じますから、心しておいて下さい」
「親に会うなっての?!」
馬鹿力を振り切って頭を上げたあたしは、思わず叫んだ。
冗談じゃないわよ!籠の鳥じゃあるまいし、行動の制限まで受けるなんて聞いてない!
隣を睨むと、お父さんも困惑に顔を曇らせていた。どうやら誰もこの辺のこと、詳しく聞いてなかったらしい。
「短期間で風間家の娘としての礼儀を、覚えなくてはならないのよ?ましてやすぐにも婿を取ろうというのに、今更親もないでしょう」
「むこぉ?!」
聞いてない!全然初耳だよそれ!
どうなってるんだとお父さんを振り返ると、明後日の方向を向いてる。その横顔に流れる冷や汗は…これに関しては知ってたな?!
「そんなの知らない!何で十六で結婚よ!」
「美咲さんには、お話しておきましたよ。よい婿が見つかったので、孫を一人欲しいと」
お母さん!あんた何にも言わなかったじゃない!
犬猫じゃあるまいし、欲しいっていわれて素直に娘差し出してんじゃないわよ!あたしの人生なんだと思ってんの!
「すまないな、早希。きっと幸せになるんだよ」
待て、待て待て待てー!!元はあんたの責任じゃんか!父ちゃん、笑って誤魔化すなー!!
「いいですね、早希。頑張るんですよ」
いいわけあるか!人の人生を大の大人がよってたかって決めるんじゃない!
「いーやーだー!!」
叫び声は虚しく、無駄にでかい家の中にいつまでも響いていた。