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逃げ道はひとつじゃない  作者: 他紀ゆずる
逃げ道はひとつじゃない
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 あの日から、3日と開けずにあたしは近衛氏の家に通ってる。

 そりゃあもう、彼の関心を引く為に涙ぐましい努力をしながら長い通学時間の合間を縫って、ただひたすら愛しい近衛氏に会う為に…。


 って、そんな訳あるか!!

 脅されてんのよ、あの極悪人スマイルで!

「僕はね、社会人なんだよ。学生と違ってとーっても忙しい毎日を送ってるんだ。その僕がだよ、貴重な時間割いていて君に会いに行くなんて時間の無駄だと思わない?惚れた弱みって言うじゃない。だから来るよね、毎日」

 行けるかーっっっ!!

 家から30分の道のりを通うんだぞ、いくらお祖父ちゃんが平沢さんごと車貸してくれたって、学校には宿題やテストだってあるんだから余分な時間なんてないんだ。

…でもね、それを言ったらさ。


「じゃあ、住む?僕の部屋に」

 可愛らしく聞かれてもね…せめて家って選択はできないもんでしょうか。

 一足飛びにあんたの部屋って大人の常識からして、どうなの?力抜けるわ、ホント。

「今日も遅いわね、バカ息子は」

 並んだ食器を前に、おば様は申し訳なさそうにこちらを見る。

 学校から直行すると丁度ご飯の用意をする時間になるもんだから、花嫁修業も兼ねてあたしはおば様と食事を作るのだ。

 この家では家政婦さんの仕事は掃除と洗濯で、食事の用意はおば様がするのが常なんだそうな。その庶民感覚は大いに同調できるから、お母さんとそうしていたように並んで台所に立つのが習慣になってしまった。

 仕事してる男どもは7時を回らないと帰ってこないしね、暇つぶしと親交を深めるため、結構時間の有効利用なんだよ。


「もう馴れました。それに隆人さんにいじめられてるより、おば様と話してる方が何倍も楽しいですから」

「あら、そう?」

 にっこり笑った顔が本当に嬉しそうで、こっちまでつられて笑顔になる。

 実際、一日おきに通ってるこの家で最も長い時をおば様と過ごしていた。

 おかげで近衛氏の悪行三昧、たーっぷり報告できたし、あれと25年付き合ってきたおば様もわかってる分、あたしの感情にシンクロしてくれたりで、近衛氏とより仲良くなっちゃったわよ。あはは。

「そうだ、早希ちゃん宿題やっちゃったら?」

 リビングのソファーに置きっぱなしになってるカバンを思い出して、あたしはおば様のありがたい申し出に顔が引きつるのを自覚するんだ、これが。

 できるなら忘れていたかった…今日はしこたま数学の課題を出されていたんだっけ。

 よりによって大っ嫌いな数字の羅列~。

 帰ってからって言いたかったけど、おば様気を遣ってくれたんだよね。自分のナイスアイディアに至極満足そうに頷いてるしさ。


「…じゃあ、お言葉に甘えて」

 無駄話してる方がなんぼか楽しいけど、そうしていたところであいつらが消えてなくる訳でなし、ここは一つ諦めるのが身の為とヒラヒラ手を振るおば様を後にリビングに向かう。

 しかし、自力で何とかなるのか?どこがわからないかもわかんないような教科相手に。

…あの様子じゃおば様は教えてくれないんだろうなぁ。困ったなぁ。

 分厚い教科書と、真っ白なノートを前に考えることさえ放棄したあたしは固まっていた。いつもは平沢さんに教えてもらうんだけど、今日はお祖父ちゃんに呼ばれて帰っちゃったし、うーん。


「何をやってるんだ」

 不毛な思考を破って、ひょいっと覗き込んできたのは大嗣さん。

「びっくりした!脅かさないで下さいよぅ」

 いつの間に帰ってきたんだか、気配もさせずに近寄るなってのよ。

 ネクタイを弛めながら努力の跡さえ見えないノートを取り上げた彼は、バクバク言ってる心臓をなだめているあたしに、冷めた一瞥をくれてよこした。

「これは、やってないんじゃなくて、できないってところか」

「…苦手なんですよ」

 ええそりゃーもう、他の教科も決して得意じゃありませんが数学は特に、ね。

 悔し紛れに言い訳てみたのに、頭上からは盛大なため息。


 通ってみてわかったけど、ここの家の人達は他人に厳しいのよ。自分にはもっと厳しいみたいだけどね。

 こりゃまた、努力が足りん!とか叱られるんだろうなと、覚悟した上からは、予想外に親切なお言葉が降ってきた。

「どこがわからないのか考えておけ。着替えたら見てやる」

 ををっ?教えてくれるの?

 返事も聞かずに出て行った大嗣さんは、あの日以来いい人の仮面を付けなくなった尊大な態度だったけど、近衛氏よりはわかりやすい親切をくれる。

 そう何度も遭遇した訳じゃないけど、さり気なく食事の片づけを手伝ってくれたり、お茶を入れてくれたりと気配り上手なのよね。さすが、長兄。

 わかんないところか…教科書1ページ目からって言ったら怒るんだろうな…。


 とはいえ嘘ついたってどうなるもんでもないから、リビングに戻った彼に正直に白状したらば、意外にも懇切丁寧な説明が返ってきた。

「公式は覚えてるんだ、応用は数をこなすしかない」

 やってる自分がイライラするくらい同じ場所で詰まってるのに、大嗣さんの気は長い。

 怒りもせず繰り返し説明をしてくれるんだもん、近衛氏の数倍はいい人よね。

「バカは努力で直すしかないぞ」

…鼻で嗤う、この辺は血の繋がりを痛感するけど。

「できたー!!」

 普段の倍の早さで、強敵数学は撃沈した。

「毎日繰り返せよ」

 疲れ切った大嗣さんも撃沈寸前で、それでも笑顔でいられるなんて偉い。

 お姉ちゃんにもよく教わったけど、あの人気が短いから怒鳴るわ喚くわ、仕舞いには投げ出すわで最後まで側にいてくれた事なんて皆無だったもん。

 実の姉でもそれなのに、赤の他人にここまでできるなんて人間ができてるのか年の功なのか、ポイント高いぞ。

 格好いいな、大嗣兄ちゃん!


「教えるのうまいですね」

 教科書をしまい込みながら言うと、ちょっと顔をしかめた彼は将彦がなぁと呟いた。

「お前なんてもんじゃないんだよ、今説明したことも聞き返してくる鳥頭で、そのくせ諦めが悪いからしつこくて。あいつに教えてるうちに忍耐が身に付いたんだな」

 ああ、わかる~っと頷いちゃうのは失礼なんだろうけど、妙に納得。

「隆人さんには教えなかったの?」

「あれが俺に弱みを見せる人間か?」

 誰にも見せないな、きっと。


 お世辞にも弟達を褒めてるとは言い難い口調だけど、その顔は優しく暖かいんだもの、可愛がってるんだね、二人を。少しうらやましくなるくらい。

「隆人さんと結婚したら、あたしのことも大事な妹にしてくれる?」

 大嗣さんの懐の中は居心地がいいんだろうと思ったら、ついそう声に出していた。

 身内として護ってもらうのは気持ちがいいに違いない。態度はLでむかついたこともあったけど、長年染みついた兄としての習性から来てるならしょうがないと納得できる寛大さもこの人の中には共存してるんだ。

 断られたらどうしようなんて考えていたのに、大嗣さんはあたしの髪をかき混ぜながら嬉しそうに微笑む。

「当たり前だ。大事な弟の嫁さんならそりゃあもう猫可愛がりしてやるぞ」

 そこでふっと考えた彼は、余計な一言も付け加えてきた。

「俺と結婚するって言うならもっと可愛がってやるけどな」

 ニヤリと上がった唇に、頬が引きつる。

 この間の一件であたしには愛想尽かしたんじゃなかったの?いーえそれより近衛氏は怖くない訳?

 冗談だよねって見上げた瞳は人の悪い光を宿すばかりで真意が掴めない。


 さて、どう返したものかと考えあぐねている時、背後に漂う邪悪な気配。

「兄さんと2人で、楽しそうだね?」

 ぎゃーっっ!!何その地を這うような声は?!近衛氏、近衛氏よね?

音がするんじゃないかってくらい硬い動きで振り返ると、そこには小首を傾げて佇む天使が…目が据わってるよ、あんた!

「遅かったな、隆人」

 気にする風もなく声をかけた大嗣さんは邪悪な波動もなんのその、不機嫌マックスの弟に歩み寄るとポンと肩に手を置いて、ニヤリ。

「誰かさんが僕に仕事を押しつけて帰ったからでしょうに。空いた時間で早希と何してたの?」

「数学を教えてただけだよ。な?」

 振らないで!冷戦はそこだけでやって頂戴!

 傍目には仲良く会話してるようだけど、二人とも目がギラギラしてて怖いんだって。


 微かに頷くことしかできないあたしなんて見ちゃいない。

 お互いに威嚇の視線でにらみ合いながら、恐怖の会話は続いていく。

「殴られた時は腹も立ったが、話してみるとなかなか可愛いじゃないか、あれは」

「人の物あれ呼ばわりしないでほしいな」

「まだ、お前のものじゃないだろう?俺も、もう一度参戦するか」

「敗者はおとなしくしてるものでしょう」

「家にそんな性格の人間はいないのは、知ってるだろ?気を抜いてると攫ってくぞ」

 高笑いしながら退場した大嗣さんによって心臓に悪い話は一応終止符が打たれたんだけど、やばい空気はそのまんま。どころか矛先が残された人間に限定されちゃった分、身の危険を感じるのは何故?


「…早希?」

 視線で人が殺せるなら、あたし死んでる。ヒットポイント0よ。ゲームオーバー。

 なのに更にとどめを刺そうと、近衛氏の怒りの波動がずんずん近づいてくるわけで。

 数歩で殺傷距離まで来た彼は、両手であたしの顔を固定すると強制的に氷の視線とかち合わせた。

「兄さんに勉強を教わるの禁止ね。君の面倒は僕が全部見るから」

 いえ、それおっかないからいやですぅ。

「恋を始める気があるなら、裏切るなっていったでしょ?僕は兄さん達に早希をあげる権利を持ってるけど、君に選択権はないんだよ」

 うーわー、めちゃめちゃ横暴。人間には基本的人権があるはずなのに、あたしには認められてないっての?

…って声にできるはずもなく、震える返事をするのが精一杯だった。

 激しく間違ってる気がするなー。

「じゃ、食事にしようか。母さんが呼んでる」

 全面降伏がお気に召したのか、近衛氏は手を離すとあたしを解放してくれる。

 やれやれ、こんなの選んじゃった自分が恨めしな。大嗣さんの方がマジお買い得じゃん、近衛氏の忠告聞いとけばよかった。

 緊張疲れで重い腰を上げると、先に行ったとばかり思っていた彼は振り返ってあたしを待っていた。

 こういうさり気ない優しさに騙されたんだよね、わかってるんだけどさ、嬉しいからバカだ。

 浮かれた気分でへろへろ近づくと、近衛氏は先に立ってドアまで開けてくれた。

 いーなー、女の子扱いされるって。


「早希は一人にすると、兄さん達と仲良くしちゃうみたいだからね。ずっと側にいてあげるよ」

…普通、喜ぶべき言葉だよね、これ。でもさ、なんでだろまずい気がすんの。

 監視付き?この先ずっと監視付き?!


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