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自分の愚かさを痛感した後、お祖父ちゃんとおば様に結果報告するため降りたリビングでは、当事者抜きの白熱バトルが開催されていた。
「だから、隆人ではダメだと言ったでしょう?」
でっかい紅葉に氷嚢当てながらしかめっ面してるのは、長男。
「始めから、僕に任せてくれれば良かったんだよ」
老人と母相手に髪をかき上げて自分を作ってるナルシスト、次男。
「わかってたわよー。だから今日はあなた達に家にいるように頼んだでしょ?」
悔しそうに歯がみして、舌打ちまでかましたのは策士のおば様。
「会わせるんなら、最初から大嗣君にしとくべきだったか…」
妙に納得してるお祖父ちゃんって、あんたら一体人の身内にどんな話を聞かせたのよ。
殴られるほど嫌われた長男の方がいいとお祖父ちゃんに思わせるなんて、いらんところに頭使ってんじゃないわよ!
「…ちょっ…!」
部屋に入ってきたあたし達に気づかないほど、円陣組んだ話し合いに没頭してる連中に一言もの申してやろうと前に出かけたのに、伸びてきた手に口をふさがれ阻止されてしまった。
睨み上げると、実に楽しげな表情で近衛氏が愚か者達を見守っている。
企みいっぱいの愉快な瞳でね。
うーわ…やばそう…。
「大嗣兄さん、大丈夫?」
巧妙に作られた心配声を背後からかける様は、聞いてるこっちが鳥肌もの。
顔つきだって小さい子が不安に心痛める図になっちゃってて、あんた誰だつーのよ。
「あ、ああ、降りてきたのか」
ぷぷぷっ!振り返った大嗣さんってば!めちゃめちゃ動揺して顔引きつらせて、こっちがまともに見られないでいるのよ?あの自信満々ヤローが。
もちろん将彦さんも御同様で、いきなり立ち上がっちゃった。その後どうするつもり?
おかしいほど狼狽える兄を尻目に、近衛氏はまだくさい演技を続けるつもりらしい。
おずおずと4人に近づいて、お祖父ちゃんの前に跪くと、その手を取らんばかりの勢いでまくし立て始める。実に哀れっぽくね。
「すみません、僕が至らないばっかりに会長に心配をかけてしまって。早希さんともじっくり話し合いました。僕の努力次第で彼女も結婚を考えると言ってくれましたから」
…あんた、生粋の嘘つきだわ…。真顔で嘘八百並べ立てるなんて感動もんよ。しかもそれに真実みを持たせられるとは、天職詐欺師だろ?
お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、近衛氏との婚約を解消した訳、知ってるんだよ?それを何が僕次第で、だ。あたし次第で兄ちゃん達に引き渡すってのが真実じゃん!
こっちにだけ死ぬほどの努力を求めたけど、自分が頑張るつもりなんて爪の先ほどもないくせに。
ばらしてやる!ホントのこと言ってやる!…って気合いは、振り返った近衛氏の絶対零度の視線で霧散した。
曰く『口を開いたら殺す』って無言の脅し。
…お願いします、初めて会った頃程度の意地悪で勘弁して下さい。あんたの本性丸出しは苦手通り越して怖いんです。
あたし、選択間違えたよね、絶対。
果てしない後悔の海に沈み込んでるこちらを無視して、近衛氏は優雅な微笑みのまま、兄退治に手をつけようとしていた。
狙いを定めたのは、ひきつった大嗣さん。
「早希さんが兄さんに悪いことしたって、ずっと言ってたよ」
いえ、全く全然思ってないです。むしろすっきりしたくらいで。
「僕しか考えられないのに、兄さんが『結婚してやってもいいよ』なんて言うから動揺して思わず叩いちゃったって。許してくれるよね?」
うまいなぁ。あたしがどの辺りで怒ったのかちゃんと指摘しながら、こちらに悪意はなかったって周囲にさりげにアピールしてるよ。
おば様なんかすごい目で大嗣さん睨みつけてるもんね、口が達者で性根の曲がった、嫌な弟だねぇ。
感心しきりで二人を眺めていると、降参した大嗣さんがあたしに向き直って頭を下げた。
「すまなかった。随分尊大な物言いをした」
まず一勝。ぴくぴくしてる頬は気になるけど、怒りの要点がわかってもらえたならそれでいい。
和解のハンドシェイクで悔しそうな大嗣さんと仲直りしてる隙に、近衛氏のターゲットを変えている。
「将彦兄さんは登場が悪いんだよ。僕たちが話してるの盗み聞きはまずいでしょ」
うん、大嗣さんも同罪だけどね。ここで硬直してるからわかってるでしょ。
「それにいきなり手の甲にキスはないよ。早希さんは兄さんみたいに女性慣れした男の人に会うのが可哀相なくらい、純粋で擦れてないんだから、驚いて当然じゃないか」
ピクリと上がったのは、お祖父ちゃんの眉。
将彦さんは必死に言い訳を捜そうと口を金魚みたいにしてるけど、無駄ね。
近衛氏の言い方は、お祖父ちゃんに将彦さんを女にだらしない人物と思わせる可能性が大だもん。いや、あの顔は断定しちゃった感じかな。
「ごめんね、次からは気をつけるよ」
しゅんとしちゃった将彦さんは、ちょっと可哀想だった。
話術一つで兄二人とお祖父ちゃんを黙らせた近衛氏って…敵に回すのは止めよう。あたしなら、命の危険が襲ってくるに違いないもん。まだ、生きてたいです。
「早希ちゃん、上二人の失態は謝るわ。でも、本当にこれでいいの?」
手駒のできの悪さにあからさまな失望を見せつつも、おば様は近衛氏に騙されてはいなかった。
さすが母親と言うべきか、近づいてあたしの手を取りながら本気で心配そうな顔して小声で囁くんだもん。
「あの子、タチが悪いわよ。兄さん達を陥れた巧妙さは誰彼構わず発動するんだから」
知ってますぅ…、ってか既に被害者ですぅ。
この際おば様に洗いざらいぶちまけて、この男の性根をたたき直してもらおうかなんてチラリとでも考えたのが悪かった。
声に出す前に後ろから抱擁という名の拘束を受けたあたしは、大切なチャンスを横から攫われてしまったのだから。
「お母さん、人聞きの悪いこと早希さんに吹き込まないで下さい。僕の努力が無になるじゃないですか」
してないじゃん、欠片も!こういう奴に限って地獄耳って、神様人が悪いよ。
善人は圧倒的に不利だ。抜け道さえありゃしないっ。
「ね、早希」
…惚れた弱みってやーよね。
綺麗な顔に浮かぶ悪魔の微笑みにさえも、思わず心臓が高鳴っちゃうんだから。
「これでいーです…」
泣き笑いになりながら、おば様に頷いたあたしは、世界で一番のバカ者かもしれない。