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近衛氏とのやり取りをお祖父ちゃん達に説明してから、一月近くが経っていた。
難航する覚悟で始めた説得だったのに、意外なほどあっさりと二人は結婚話を白紙に戻してくれちゃって、なんだか拍子抜け。
「早希が好きな人と一緒になりたいというの、はわかりました。他にも候補を捜しましょう」
これがあのお祖母ちゃんの台詞だよ?信じらんない!!
でもね、わかったんだ。
2人ともやっと会えた孫娘が逃げないように、必死だったんだって。お祖父ちゃんはもとより、お祖母ちゃんも始めの頃よりはたくさん話してくれるようになると、ぽろぽろ本音が零れ出すんだよ。
お父さんが出て行ってしまってからどんなに寂しかったのかとか、時折お母さんから送られてくるあたし達姉妹の写真を大切にしまい込むくせに、わだかまりがあって連絡できなかったとか。
聞いてるこっちが泣けるようなこと呟くの。
自分達の息のかかった男と結婚させてしまえば、孫娘を手放さずに済むと思ったなんて、2人が茶飲み話に言った時、あたし誓ったもの。絶対にここで暮らすんだって、ひ孫どころか玄孫だって見せてあげるって。
そんなことがあった翌日、お父さん達が訪ねてきた。
お姉ちゃんが泣きながら謝ってくれて、家族みんなであんたに会わせてくれるよう日参したって教えてくれて。
あたしがこの家に住むって宣言したから、お祖父ちゃん達が家族の出入りを許したんだよね。みんな幸せな笑顔になれた。三世帯揃って。
でね、だからこれも新しい日常。
「これ有希。もっと丁寧に」
あれからあたしと一緒にお祖母ちゃんに指南を受けているお姉ちゃんは、大きなため息をつくと茶筅を置いた。
「もうだめー。手が痺れてきちゃったよ」
ぶんぶん手首を振る仕草はお茶の優雅さとはかけ離れていたけど、お祖母ちゃんは苦笑を浮かべただけで何も言わない。
あたしのお稽古が厳しかったのは近衛氏の所に挨拶に行く為だったらしくて、余裕を持って教わるようになってからはそう厳しい先生じゃないんだよね。
わかっちゃいるけど、理不尽だ。
和やかにお茶を点ててる2人を眺めながら、あたしは平和で退屈な時間にため息を禁じ得ない。
なんつーか暇、なのよね。
和解が済んでから逃げる必要もなく、近衛氏も現れない。同じ事の繰り返しで張り合いが無いのだ。
戻りたくはないけど目標のある毎日は充実してて楽しかったし、彼の顔が見れないのはちょっと寂しいような…最後に見た冷たい表情が気になってしょうがないような…。
会ったこともない小娘との婚約だって楽しんじゃう計算高いサディストが、会話の中で初めて見せた本当の顔。
うん、あれはきっと近衛氏の地だよね。
自分のことを話したがらないのは何か事情がある、その謎は最後に交わした言葉にヒントがあるんだ、絶対に。
あの夜から、気付くと近衛氏の事を考えてる。
自分で断ち切った縁なのに、離れて見ると何も知らない謎の男はなんと興味深いことか。綺麗な顔して秘密主義で二重人格、学校で先輩後輩だったなら憧れの人物になっただろう彼を、手に入れてたのに手放した。
その判断に間違いはなかったって断言できるけど、反面こうも思うんだよね。
もったいない、すんごく損した気分だわ。どこまでも追いかければ良かった、手に入るまで何度だって挑戦したら心ごとあたしのものになったかも知れないのに。
最後の最後で見せてた顔、あの本当の近衛氏にまた会ってみたい。それまでずっと隠してきたモノをあそこで見せるなんて、あきれ果てるほど性格が悪いよね、あの人。
興味は、恋の始まり。うっかり踏み込んでドツボに嵌ったあたしは、好奇心に負けた。
性格悪いがどうした。顔が良けりゃプラマイゼロ。
認めるわよ、好きだって。
「ちょっと早希、さぼってないで真面目にやりなさいよ」
悔しさに歯がみしてたあたしを現実に引き戻したお姉ちゃんは、何とか様になったらしいお茶を誇らしげに突き出していた。
飲めって?はいはい、わかりましたよ。
「頂きます」
お祖母ちゃんに怒られないよう、覚えた作法を活用してできるだけ急いで、できるだけ上品に、一服ちょうだいする。
「ごちそうさま!ちょっとお祖父ちゃんと話しあるから、ごめん」
茶碗を置くと一緒に立ち上がった背中にこれってお叱りが飛んだけど、今は胸の中に灯った小さなやる気を実行する方が先。振り返らず、走り出す。
好みのタイプなのよ。逃がした魚は鯨並だったの!だからもう一度釣り上げてやる。謎を解くの。
邪な決意を秘めて、あたしはお祖父ちゃんの書斎へ向かった。猛スピードでね。
逃げるのは、もうやめたわ!