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ちんぷんかんぷんのメニューから顔を上げたあたしは、楽しそうにこっちを見ている近衛氏にそれを突き返した。
アルファベットばっかり…いや、もしかすると英語ですらないのか?が並んでる紙切れを、解読するだけの脳は持ち合わせてないっつーの。こいつ絶対知ってて渡しやがったな。
「好きな物を頼んでいいんだよ」
睨み付けてやればどう誤解したのか、親切ごかして薄ら寒い笑顔で言われたから、つられてにっこり返してやった。
「生憎とフランス料理なんて食べたことないんで、好き嫌い以前の問題でして」
一瞬顔を顰めて不快を表してたから、あたしの嫌味、通じたらしい。
だいたいここって女子高生が食事に来るような場所じゃないでしょうっての。
周り見てみな?めかし込んだ老夫婦やら、エリート然としたカップルやら、お子様なんていないんだから、場所考えて連れてきてよね。
「なんだか不満そうだね」
不満だらけじゃー!って叫びたかったけどここじゃあつまみ出されるだろうからなぁ。それに、目の前の鉄面皮は、その程度じゃ眉1つ動かさないだろうし。
仕方ないんで溜息に似た深呼吸の後、入店以来の疑問を零す。
「ここへは嫌がらせで連れてきたの?」
至極穏便に、けれど確信をもって聞いてみた。食事でまで遊ばれちゃかなわないから。
ところが、嘘くさい笑みを引っ込めた奴は、被害者面して言うのだ。
「ひどいな、あの家じゃ和食ばかりだろうと気を遣ったのに」
「そんならファミレスのが理にかなってんでしょうが」
「…?女性と食事するのに、ファミリーレストランじゃ失礼じゃないか」
ずれてる、ずれてるよ、世間様一般から。
でも、ま、それが本当ならひどい誤解をしたことになるわけで、いや、元はといえば疑われるような性格をしている近衛氏に大半の責任はあるわけだけど…転嫁行為というのは良心がしくしく痛んじゃうからなぁ。
いやだけど、きちんと両親に教育された娘としては、頭を下げなきゃなるまい。
「ごめんなさい。ずっと意地悪されてたからちょっと疑った。けどフランス料理はちょっと…和食を食べ続けるよりつらい」
てなわけで、己の非は素直に認めてさっさと謝る。ついでに不満もため込まず、さっさと吐き出すに限る。
それから、目の前に並べられたまばゆいばかりの銀器を視線で示して、あたしは不思議そうこっちを見ていた近衛氏に苦笑する。
テーブルマナーはまだ、お祖母ちゃんから教わってません。
「ああ、そうか」
ありがたいことにやっと、事の次第を理解してもらえたらしい。
せっかくのご親切でもねぇ、相手見なきゃ。あたしは所詮、あんたの常識では量れない世界に住んでる人間なんですよ。にわかお嬢なんです。
「庶民は外食するのに、こういうところ来ないんだ」
ひがみでもなんでもない、正確な情報を与えると、近衛氏もちょっと困ったように笑った。
だって、いないでしょ?ちょっとそこまで、フランス料理食べに行く中流階級って。今は空前の不景気だしね。
「こちらこそ悪かったね。女性は大抵この手の店を喜ぶものだから、つい」
自嘲気味に言った近衛氏は、今度はちゃんと本心から悪いことしたって思ってるのがわかる顔してる。だからってわけじゃないけど、この件に関してはちょびっと同情的になっちゃったわけで。
「住んでる世界が違うってお話の台詞じゃないけど、こればっかりは理解しようがないもんね」
知り合ってから初めて、相手の立場に立った意見てのを、言ってしまった。
「僕は確かにいじわるだけど、君をバカにしようとした訳じゃない」
そのおかげなのか、ひどく誠実な真顔で断言する彼に、あたしは笑って見せる。
「わかってる」
近衛氏なら、もっと自分が楽しめそうないじわるするもんね。何て言うか人をからかうにしても、もっと品よくやるって。どっかの三流ドラマよろしく、見え見えな手段でおとしめたりしない。
他人に恥をかかせてほくそ笑む卑屈な満足は、余程品性下劣でないと愉快だとは感じないものだ。短い付き合いだけど彼がそんな人間でないことは、なんとなくわかった。
「出ようか?」
ほら、ね?声を潜めて、気遣ってくれる辺り、近衛氏は性根から腐っているとは思えない。
だから心配げに聞いてくるのに首を振ると、あたしは突き返したメニューを取り返して再び開く。今度は一人で見るんじゃなく、テーブルの真ん中にでんと置いて二人でのぞき込めるように。
「チャレンジ精神は大切だし、自分じゃ読めないけど、解説付きなら選べるでしょ」
「…優しいね」
「期間限定なんで、せいぜい堪能して」
店を替えてくれようとしたその心遣いに免じて、あたしはここで食事をする覚悟を決めた。
苦手な雰囲気だけど、正面には逃走を誓った相手がいるけど、今回は許す。
「でも次回は安心して食事ができるとこにしてよね」
「…次回もあるんだ」
微妙な間を開けて意地悪く歪んだ口元に、失言を悟った。
まずーい!つい雰囲気で言っちゃた、無いぞ次は無い!おかしな期待するな!
貧血を起こしそうなほど激しく首を振ってるのに見ないふりで、したり顔の近衛氏はメニューを説明し始めた。
これ、これなんだよぉ、こいつのいじめは。人の揚げ足取りやがってー。悔しがらせやがって~っ。
「肉にする?魚介類がいい?」
完全にお楽しみモードに入っちゃった近衛氏には何を言っても無駄で、諦めに支配されたあたしはおとなしく食べたい物を決めたのだ。
あくまでイヤイヤだからね。決して敗北した訳じゃ、ないから。念のため。
結局適当に頼んだのに、さすがは一流店。どれも結構なお味で、マナーもさり気なく悪魔がフォローしてくれたから、美味しく頂くことができた。
なぜだか会話もはずんだし。内容は学校のことだったり、家族のことだったり、あたしのことはかなり聞き出したくせに、自分についてほとんど話して無いじゃないかと気付いたのは、デザートをほおばる頃。
「一つくらい質問に答えなさいよ」
ザッハトルテを味わいながら、数ある質問をするりとかわす、むかつく男を睨みつけた。
「いいよ、一つだけね」
えらそうなそのセリフに、開いた口がふさがらないとはこのことだろう。
どーしてこー秘密にしたがるかなぁ。やましいところでもあるんか!…ってまくし立てもこの調子じゃ返事しないんだろうな。邪気の無い笑顔浮かべて、頑ななんだから。
「…家族構成」
このくらいはいいだろうと見上げると、近衛氏は小さく頷いた。
「祖父母に両親、兄が二人と妹」
「4人兄妹、だから婿養子にこれるのか」
「三男じゃ期待もされないからね」
…えー、あんたの性格って起業家向けだと思うけど。
騙し合いなんて得意分野だろうに、近衛氏は兄達は優秀だよって笑ってる。
隠してるな、なんか大事なことを。…食えないヤツ。
「妹さんていくつ?」
答えやしないこと聞いても仕方ないから、当たり障りのなさそうな質問をしてみた。
1つだけって言ってもこれくらいならいいでしょう。つーか、普通の人間なら話しのついでと口にするはずだ。それが会話、カンバセーションってもんじゃないか。
「僕より3つ下だよ」
当然、近衛氏も流れに乗ってするりと口にして。
「へえ…ってあなたの年知らないじゃない、あたし」
なめてんのか!
「二つは答えない」
自分の年まで教えない理由って、なにさ…?