1-9 野々垣 鳥子
宴もたけなわ。
というには少しばかりまだ早い。
せめて、鳥子さんの新作手品が終わってからだろう。
唇に薄いルージュを引く妖艶な鳥子さんは、特徴あるソンブレロという帽子を左手に、自作であろう林檎の剥製を右手に持ちこう言った。
「さて。本日はお日柄もよく、と言ってももう夜になってしまったのだけど、とにかく私のためにお集まりくださったみなさんこんばんは」
「こんばんは」
従順にあいさつを返す僕達。
「とは言いつつも、べつにこの手品のために集まったわけではないのだと思うわけですが、そんな雰囲気を醸し出してくれるみなさんに感謝しつつ、ほんの少し驚きを提供してあげましょう」
「よっ、鳥子」
もうぐたぐたに酔っぱらっている美咲さん。
彼女が、いの一番に歓声を上げる。
鳥子さんはそれに右手を上げて応え、飄々とした表情をほころばせていく。
そして、そのまま林檎を持つ右手を掲げて言う。
「それではみなさん、私の右手には林檎がありますね」
林檎をこんこんと額で叩く鳥子さん。
「これは本物ではなく置物の林檎なんですが、何か物足りないと思いませんか。と言うよりかは、何かがあってぴったしくる感覚というのがありますでしょう」
なんだろうか?
などと考えるまでもない。
ここにいる誰もが、それをわかっている。
「もちろん、みなさんなら言わなくてもわかっていると思います。ウイリアム・テルというブランドを立ち上げている私にとって、矢の刺さっていない林檎というのはその価値が半減してしまうに等しい代物ってことを。ところで竹内さん」
「はい?」
「あなたの膝には何かありませんか?」
竹内さんが自分の膝を見る。
「あれ、なぜこんなところに」
「ありますね」
「矢があるの?」
来るときに軽い打ち合わせをしたのだろう。
しかし、竹内さんのあまりの大根役者っぷりに笑いがこみあげてくる。
それくらい下手だった。
「竹内さん」
「はい」
「それを私に渡してください」
「どうぞ」
竹内さんが、慎重な動作で矢を渡す。
「ところでみなさん、この矢には一つの使命があるのを理解してください。それは私の機嫌を損ねないために、この林檎を貫通していなくてはいけないってことです」
「えー鳥子」
「なんでしょう」
「その林檎って、置物だからムリなんじゃ……」
美咲さんは納得できないとばかりに、声を上げる。
「うん、絶対にムリだよ」
「それはごもっとも。しかし、この種も仕掛けもないこのソンブレロの中に林檎を入れると」
「えーマジで! もしかして!」
美咲さんがさらに声を荒げるのも無理はない。
なぜなら、今回の手品は大掛かりだ。
いつもやるカードマジックとは規模が違う。
もう誰もが予想はついていると思うのだけど、きっとこれはソンブレロの中に入れれば、矢が刺さっているという構図。
しかし、本当にそんなことがありえるのだろうか。
そして手順は、予想通りに進んでいく。
「――それでは林檎の次に、矢を入れましょう」
だがそこで、僕は重大な欠陥に気がついた。
「鳥子さん」
「はい」
「その矢は帽子の中に入らないよね」
僕に指摘されても、顔色一つ変えない鳥子さん。
むしろそれどころか、よく気づいてくれたとばかりに見つめてくる。
「心配いらないですよ。ついでと言ってはなんですが、この帽子には復元作用がそなわっているのです」
「復元作用?」
オウム返しをする美咲さん。
その言葉の意味がわかっていないのか不思議な顔をする。
「で、なんだい?」
うんうんと周りもうなずく。
結局、みんなの要望もあって、鳥子さんは説明をしはじめる。
「復元作用とは、簡単に言うと壊れたものを元通りにすることですよ」
「へぇ、てかホントにそれ手品か」
「はい、手品ですよ」
笑顔を絶やさない鳥子さんが、余裕の表情で頷いた。
「それでせっかくですので坂本くん、この矢を細かく折ってください。一本なので簡単に折れると思いますが」
僕に矢を渡す鳥子さん。
僕は鳥子さんに言われたとおり、矢を細かく折っていく。
「はい」
「ありがとうございます」
鳥子さんは、折れた矢を林檎が入っているソンブレロの中に入れ、黒い柄のハンカチをかぶせる。
そしてそのハンカチに手をあてがい、念を唱える。
これらの動きを、なんの不自然のない様子でこなす。
手品にタネが仕込まれているとしたら、僕達には見破ることのできない完璧な動作。
なにせ、タネがあるかどうかすら疑わしくなるくらいだ。
「さて、みなさん」
「はい」
「物事を為すには何事も時間というのが必要ですね。目を見開いてこの帽子を見つめるのはいいですが、少しばかり時間をください」
そう言いつつも、鳥子さんの表情は変わらない。
好奇心でいっぱいの僕達は、いまかいまかとその帽子を見つめる。
「はい、そろそろ変化した頃合いでしょう。それでは全員を代表して竹内さん、ハンカチを取って見てください」
指名された竹内さんがさっと素早くハンカチを取り、僕達はソンブレロの中を見れば――、
「えっ?」
「おーすげぇ」
もはや、感嘆の声しか上げられない。
なんなんだこれは。
「すごいですね」
「すごい」
直も声を上げている。
「すごい。すごい。これ、すごいな」
美咲さんにいたっては、すごいを連呼しちゃっている。
「どうやら成功したみたいですね」
成功もなにも、大成功に違いない。
なぜなら、ソンブレロに入っていた林檎には、さきほど折ったであろう矢が刺さっていた。
もちろん、帽子には何の欠陥もない。
少なくとも、確認できる範囲での違和感は何もない。
「それで、この手品は使えそうですか?」
「使えるに決まっているじゃないか」
おもわずみんなつっこんでいた。




