1-13 しりとり
綾の家のお風呂は浴場と呼べるくらい広かった。
イメージしている一般家庭のお風呂よりもはるかに大きくて、一人でこの浴場を使っているのを困惑してしまうくらいである。
「坂本様」
「はい、なんでしょう」
「湯加減はどうですか?」
ガラス越しからマリアさんが問いかけてくる。
「あ、ちょうどいいです」
「では、問題ないのですね?」
「はい」
と、僕は答える。
「それで坂本様。今現在の状況なんですが、ちょうど洗濯の方が終わったところです。後は乾燥機にかけるだけですね。なのでもう少しだけ我慢していただけないでしょうか」
「はい、わかりました」
「そのあいだ、私も暇ですのでお背中でも流しますか?」
「いえ、結構です」
僕は思い切りよく否定する。
「心配しなくても裸ではしませんよ。水着ですから」
「そんなこと微塵も考えてもいませんので」
「あら。では、裸の方がいいんですか?」
「違います」
「それならヴィクトリア朝のメイド服ですか。またマニアックですね」
「なんで背中を流させてもらうことが前提なんですか。こっちはそこから否定してるんですよ」
僕は息をぜいぜい切らせながら告げる。
「そうなんですか」
「はい。そうです」
「それは残念ですね」
マリアさんは落ち込んだような声色で言う。
しかし、マリアさんもいくらか調子が戻ってきたみたいだ。
いつまでも落ち込まれていては困るから、これくらいのでいいのかもしれない。
「あ、お嬢様」
「マリア」
突然シルエットが二つになったと思えば、綾まで来ていた。
何の用だろうか。
ガラス越しで二人のやり取りが聞こえる。
「お嬢様も坂本様のお背中を流しにきたのですね」
「な、何言ってるのマリアっ」
綾が慌てているのが手に取るようにわかる。
「違うからね、春」
「うん」
「それでお嬢様は何用ですか?」
「なんとなく来たのよ」
「なんとなく?」
と、僕は聞く。
「そう、なんとなく」
それを聞いて、僕は苦笑いのようなものこみあげてくる。
どうやら、綾は綾で直の口癖が移ってしまったらしい。
「後、春がさ、もう長いことお風呂に入っていて暇だと思ったから」
「うん。たしかにそれもあるけどさ」
僕はさらに言葉を重ねる。
「でも、綾も暇だった?」
「うん。それもある」
珍しく素直な幼馴染。
そして僕は、ふいに懐かしい想いに囚われる。
昔、暇になるとよくやりたがった遊びの一つに、『ん』のつくしりとりというのがあった。
しりとりをするとき、いつも省かれてしまうのが『ん』のつく単語。
それを幼心にかわいそうだと思った綾が、後ろから二番目の文字でしりとりをすることを発見したのだ。
たいしたことではないかもしれないが、幼かった僕達には物凄い発見に思えた。
「綾」
「何? 春」
「久しぶりにさ、あの遊びやらない?」
「あの遊び?」
綾が聞いてくる。
やはり、あの遊びだけでは通じないと思っていた。
けど、昔は通じていたのだから、そこに時の流れを感じてしまう。
「あのさ、『ん』がつくしりとりだよ」
「あー」
綾も思い出したみたいだ。
「やろっか、綾」
「うん。でも、久しぶりだなぁ」
綾も懐かしそうに言う。
そこでマリアさんが口を割って入ってくる。
「えっと、お嬢様と坂本様。いい雰囲気なのは結構ですが、私の存在を忘れていませんか?」
「あ」
「あ」
二人して声を上げる。
なんせおっしゃる通りだったからだ。




