1-5 モラトリアム
バスは話している間にいつのまにかやってきた。
待っていた時間は五分くらい。
乗車整理券を受け取り、僕達はバスに乗り込む。
バスの中は人が少なく、どこの席でも座り放題だ。
「私、窓側な。で、春坊は隣」
「はい、わかりました」
美咲さんの勧めで、後ろの二人席に腰を落ち着ける。
座った瞬間、バスはガソリン音を響かせて出発した。
「春坊」
「何ですか?」
「ガムいるかい?」
美咲さんがポケットからガムを取り出す。
「ガムですか」
「そう、ガムだよ。昨日本屋で買っておいたのが余ってんだ」
「そうじゃなくてですね。美咲さんはガムあまり好きじゃなかったような気がしまして」
「だから春坊に貰ってくれと言っているわけさ」
そう言ってガムを渡してくる美咲さん。
「でも、ガムを買うなんてほんとに珍しいですね。美咲さん」
「あーそうだな。でも男にふられた後はさ、普段しないことをしたくなるんだ」
「そうなんですか?」
僕は疑問を投げかけたが、そういえばそうだったと思いだす。
前に美咲さんがふられた時も同じようなことがあった。
「そう。たとえばガムを買ってみたり、インディカ米を食べてみたり、通学路を変更してみたり、ラッタッタを乗り回してみたり」
「ラッタッタ?」
僕は首はかしげる。
すると美咲さんは、目を丸くして言う。
「春坊はラッタッタも知らないのかい」
「はい」
「私の大学の友達が譲ってくれたスクーターのことだよ」
その言葉で僕は合点がいく。
「あの古いイエローのバイクのことですか」
「そうそ」
「けど、美咲さんはバイクの免許持っていましたっけ」
「春坊、オマエは本当にバイクのことに関しては知らないんだな。私が乗っているのは自動車の免許だけで乗れるやつなんだ」
「へぇ」
僕は驚く。
てっきり、自動車とバイクの免許は別物だと思っていたからだ。
「今度、後ろに乗るか?」
「え、乗せてくれるんですか?」
「まあ、交通違反になるけどな。原付だし」
「ダメじゃないですか」
それから美咲さんと僕は、不思議な語感であるラッタッタの由来について話した。ラッタッタとは、昔やっていたCMから派生してきたらしい。
「あ、僕、次で降ります」
「そうかい」
バスは都立公園前、イチョウ並木、学校の前を通り、綾の家の近くへと来ている。
「春坊。私がボタン押すからな」
「いいですよ」
「ほんとだな?」
「はい」
僕は嘆息する。
「美咲さん。なんだか子どもみたいですね」
「何言ってるんだい。私も春坊もまだ子どもじゃないか」
「え、美咲さんは大人じゃないんですか?」
「そうか?」
美咲さんが不思議そうにかしげる。
「あ」
それよりも、つい最近どこかで聞いたセリフだなと思う。
けど、思いだせない。
「ていうか、モラトリアムなわけさ」
「モラトリアムですか」
「そう、モラトリアム」
そう言いつつも、美咲さんがボタンを押す。
バスは止まる旨のアナウンスをはじめる。




