1-5 直の趣味
綾とは、月極駐車場と都立公園の入口があるいつもの交差点で別れる。
「じゃあね、春、直」
手を振って去っていた綾は、次の曲がり角のところですぐに見えなくなる。そして彼女は、そこから大通りに出てバスに乗る。
公立の中学生なのにバス通学をする綾。
彼女は二年前からずっとこうしている。
彼女の母親が再婚して、家の中で迷子になるような大きい豪邸に住みはじめてからは、この通学が習慣になっている。
話によると、車での送り迎えを断わっているとも聞く。
「春、買い物」
「あ、そうだった」
綾と別れた後、家の方角へ向かおうとする僕に直は言った。
なので、僕達は都立公園の入口へと向かう。
都立公園でショートカットして、スーパーに行くのがいつも通っていく道。ここの都立公園の、自然林を嗜むハイキングコースを利用する。
後、この都立公園は運動施設も数多くあり、今もテニスボールの行き交う音が響いている。
「ところで直」
「ん?」
「今日は何買うの?」
「しらたきとか」
「しらたき?」
「白菜とか」
「白菜」
「それと、ホウレンソウ」
「あ、ホウレンソウか」
それで、今日の夕飯が鍋だと確信した。
ちなみに我が家では鍋が多く、同じ荘の知り合いも二人だけで住む兄妹に気を使ってくれるのかよく鍋を食べにやってくる。
一人は飯のタネ、もう二人は話のタネを持ってきて。
「ということは、美咲さん達がくるんだね」
「ん。やってくる」
「じゃあ狭い部屋だから、少しちらかっているものを片付けないといけないな。みんな気にしないと思うけどさ」
「うん」
「あ、それと今日は、僕に料理を任せて」
そう言うと直は、無表情ながらも恨めしそうな顔をした。
「春」
「そんな顔してもダメだよ」
「挑戦したい」
「それは僕が食べるときだけ」
「……」
やっぱりがっかりしている。
ほんとに、そんな直を見るのはしのびない。
でも、ダメなものはダメだ。
「どうしても?」
「もっと上手になってから」
「うん」
そう、なんでも完璧な妹で家事も上手なんだけど、料理だけはあまり上手くないという不思議な属性がある。
たとえば、お米を研ぐときに洗剤を使ったり、隠し味に致命的な調味料を入れるというわけではないんだけど、直の手にかかればなんとなく味気ない料理ができてしまう。
もちろん原因は不明。
「じゃあ私、いつもみたいに片付けする」
「うん、お願い」
「春が散らかしたのにな」
「ごめん」
こうして今日の夕飯が決まった。
おかげで、俄然買い物にやる気が出てくる。
僕達は都立公園のハイキングゾーンを抜け、道路に出る。放置自転車が置いてある空き地の角を曲がると、最寄のスーパーはすぐそこ。
「あ」
「直?」
「あの、春」
「どうしたの?」
「ネコ」
「ほんとだ」
空き地の方に目を向ける。
すると、たしかに小さなネコがいた。
直が駆け寄っていくと、やけに人懐っこいしぐさで鳴いてくる。
「みゃー」
直が泣き真似をして、気を引こうとする。
「ほら、直行くよ」
「春。ちょっと待って」
「ん? なんか珍しいことでもあった」
「うん」
「どこ?」
「このまだら」
見ればこのネコは、グレーと黒が混ざったような変わったまだらをしている。
形も珍しく、特徴が多い。
「ちょっと書かせて」
「しょうがないなあ」
「ありがとう」
珍しい何かを見ると、すぐにスケッチをしたくなる直の習慣。
ブレザー徽章付近の小さなポケットから、手持ちサイズのスケッチを取り出し、さらさらとデッサンを開始する。
こうしてデッサンをしているあいだ、手持ちぶさたになってしまう僕。だから直の素早く書かれるネコの絵のずっと見ているが、やはり上手。
とにかく直は、ありのままに描くのが上手い。
写実的、とでもいうのだろうか。
物体の割合とか配分が、とにかく正しい。
「できた」
直がつぶやくと同時に、タイミング良くネコが去っていく。
「どう?」
と、僕に絵の出来を見せてくる。
どうやら、自分でも会心の出来らしい。
無表情ながらも少々誇らしげな感じの直。
僕は、そのままの感想を述べる。
「上手いね」
「ん」
「上手すぎる」
「ありがとう」
やっぱり直には、どんな事柄でも見透かしそうな視線とともに、どんなものでも正確にとらえてしまう瞳がある。