4-5 旅の始まり(1)
日時計がある駅前で待ち合わせ。
この駅は家からバスに乗ってたどり着く場所にある。
どちらかと言えば、綾の家に近い駅だ。
なので、僕が訪れることもあまりなく、この辺りの土地勘はまったくない。
「春」
「綾」
「待った?」
「いや、今来たところだよ」
割と定番な会話に聞こえるが、正直その通りだった。
綾がこっちに歩いてくるのも見えていた。
「春、旅に行くんでしょ」
「うん」
「どこに行くの?」
「西の方だよ」
そう、東でなく西だ。
西へ、西へ。
太陽が見えなくなる方へ。
遠くへ、遠くへ。
綾が自由を感じられる場所へ。
「それでどうして西なわけ?」
「海があるから」
「海か」
綾が納得したようにうなずく。
今日の綾の様子は、ここ最近の態度と比べて軟化している。
そうすると、今までの不可解な態度がまったくわからない。
けど、それは不問にしておくべきなんだろう。
わざわざ藪蛇をつっつく必要はない。
絵里ちゃんが言っていたように、白黒つける部分ではなくて灰色にしておく部分なのだ。
「綾、行こうか」
「うん」
こうして僕達は西へ向かう電車に乗っていく。
電車の中は休日ののどかな雰囲気であふれている。
平日のように混んでいることもなく、楽に座れた。
「春」
「何?」
「あのさ、春はどうして勇気が欲しいの?」
疑問に思ったのか、綾が聞いてくる。
きっと僕が言った勇気のライオンの話を覚えていたのだろう。
あの会話は突発的に繋がっていたものだけど、僕もずいぶんと印象に残っている。
「綾」
「うん」
「それはさ、あることを成し遂げるのに必要だからだよ」
「あることって何?」
間髪入れずにまた聞く。
「あることとはあること」
「何それ。わかんない」
機嫌を損ねた綾がむくれる。
「そう思うかもしれないけど、どうしても今は言えないんだ」
「いいから言いなさいって」
「だめだよ。これだけは譲れない」
「何でよ。言ってくれたっていいじゃない」
「ごめん」
「謝ることないじゃない。春はほんとにばかなんだから」
その瞬間、電車はトンネルの中に入ったみたいでいきなり暗くなる。
すると綾が驚いたような反応をして、こっちに寄りかかってきた。
なので僕は、おもわず抱きかかえてしまう。
「は、春っ」
急いで、抱きかかえた綾を離す。
「ごめん、綾」
今度こそは深刻に謝らなくてはいけない機会。
ばかなんだからと言われても謝るのが必須である。
「べ、べつに私は春に寄りかかりたかったわけじゃないんだからね。そこのところわかってる? 私はちょっと驚いただけなんだから」
「うん、わかってる」
「わかってない」
理不尽に怒りまくる綾が、僕にとってはなんだか懐かしい気がした。
そう思ったのは、最近の綾が感情を露わにすることもなく、微妙に避けられていたせいに違いない。
ただ、電車の中だというのにあまりに気に留めていないのはまずい。
周りにはそんなに人がいないけど、何人かには確実に聞こえている音量である。
「綾、落ち着いて」
「落ち着いてるっ」
「説得力ないって」
「あるの。そんなのもわからないなんて春のばか」
さらに罵倒を重ねてくる綾。
意固地になっているみたいである。
なので僕は、こんなことを言ってみる。
「綾、落ち着かないとこうするから」
僕は抱きかかえる真似をする。
すると綾が嘘のように黙りこくった後、顔を真っ赤にして暴れだす。
その勢いはとどまることを知らない。
「ごめん。やりすぎたよ」
「春、やりすぎ」
綾が涙目で訴えてくる。
「うん。そうだね」
「春のばかっ」
最後にそんなつぶやきが聞こえてきて大人しくなった。