1-17 お弁当(2)
喧騒に満ちた教室を抜け、人のいない廊下へと出る。
そしてその廊下を速足で歩き、上へ繋がる階段を足早に駆け上がっていく。
直と僕は、屋上へ。
僕は屋上に思い入れはない。
けど、この場所には縁がある。
というのも、直が屋上でのスケッチを好んでいるし、綾がのっぴきならない事情でよく使用しているからだ。
「あのさ、直」
「ん?」
「どうして綾のこと、もっと早くに言ってくれなかったの」
「……」
手に提げたお揃いのトートバック。
それが、階段を上るとともに揺れる。
直が次の言葉を探すあいだ、僕はその動きをじっと見ていた。
「なんとなくかな」
「そっか」
直がなんとなくと言うのだから、本当にそうなんだろう。
深く追求はしない。
やがて屋上に到着し、直がドアノブをくるりと回す。ドアノブは屋上独特の音を響かせながら、ゆっくりと開く。
開けた瞬間、一面に解放感にあふれる秋の空。
心地よい気分にさせられる。
「着いたね」
「ん」
「綾はいるかな」
「いたよ」
直が綾のいる場所を指差す。
そこには青いベンチがあって、綾が所在なさげに座っている。
「綾」
直とともに、手を上げて呼びかけてみる。
すると綾は気がついたらしく、その場で立ちあがって手を振りかえす。凄い勢いの振りなので、僕は犬のしっぽを連想してしまうほど。
直と僕は綾の所まで行き、同じベンチに座る。
「来た」
「うん」
直が無表情で一言。
綾は表情豊かにうなずいている。
「私、けっこう待っていたんだから」
「ん、待たせてみた」
「そうなの? 直」
「……」
「どうしてそんなことするのよ」
「なんとなく」
今日の直も気まぐれだ。
でも、それが許されるような雰囲気が直にはある。
「まあ、こうして来てくれたからいいんだけどね」
綾が気を取り直す。
「それで、二人には昨日のお礼に手作りのおかずをつくってきたの。昨日は、その、見守ってくれてありがとう」
昨日とはうって変って、とっつきやすい綾。
何かいいことでもあったのだろうか、と思う。
綾はバックから、おかずが入っているであろう何種類かのタッパーを取り出す。
「みんな二人のために作ってきたんだからね」
そして一つ一つタッパーのふたを開け、かいがいしく説明をし始める。
「これは生野菜のベーコンエッグ巻き、これは鮭のムニエル、これはほうれんそうのシーチキン和え。こっちにはね、ちくわのきゅうり詰めと春雨サラダ」
「これは、すごいな」
「ん」
直も無表情で驚いている。
もちろん、綾の料理の腕の良さは知っていた。
けど、正直ここまで成長してるとは思っていなかった。
他にも、お弁当のおかずに定番な玉子焼き、ハンバーグなどが入っていて、きれいに盛り付けがされている。
「まるで花見みたいに豪勢だ」
「そう、よくわかったわね、春。今は秋なんだけど花見をイメージしたの」
幼馴染は得意げな表情で言う。
「見てわかった?」
「うん。というか、早く食べたくて仕方ないんだけどさ」
「そうね、じゃあ取り分けるから」
綾が、ん、と手を差し出してくる。
「何?」
「お弁当箱」
「そうだった」
そして綾は、直と僕のお弁当箱におかずを取り分けてくれる。
「よし、ではいただきます」
「いただきます」
「じゃあ、私も食べようかな」
暖かなひだまりと緩やかな風が吹くなか、屋上での食事。
しかも、綾が丹精込めて作った絶品のおかず。
「私も綾みたいに料理上手くなれる?」
「大丈夫よ、練習すればきっと」
「そうかな」
「そうだよ」
「で、春。一応、その、どう?」
「うん。かなりおいしい」
それにしても、小さいとき砂団子をむりやり食べさせられそうになったのは、もういい思い出である。
「って、あれは忘れてっていったでしょ、春」
「うん、ごめん。でも、食べないとぜっこーするって言われたから、どうやってごまかそうか必死に考えていたのは今でも覚えているよ」
「もう、春のいじわる」
ふん、とそっぽを向く。
とてもじゃないがお嬢様とはいえない綾。
そしてそのまま、膨らましたほっぺを両手で押さえる。
さらには空気を抜き、ため息までつく。
「どしたの?」
直が綾に聞く。
けど、綾はなかなか答えない。
「昨日のこと?」
「うーん」
綾の返答はまるで雲の流れのようにあいまい。
空を仰ぎ見る綾は、太陽に手をかざしながら言う。
「なんか昔は平和で良かったなぁ、と思ってさ」
「今も平和だけど?」
「春、そういう意味じゃなくて」
「じゃあさ、どういう意味?」
おもわず聞き返す。
綾はこっちを見て、何か不満そうな顔をしたあと、小さな声でささやく。
「付き合うとか付き合わないとか」
そしてさらに続ける。
「それと建前とか本音とか。女の子とか男の子とか。なんかいろんなことが複雑になって、なんだかな、と思ってね」