3-15 気づき
あれから特に問題もなく、東風荘にたどり着いた。
「じゃあな、春坊」
「はい、美咲さん」
自転車を在るべき場所に止めて、美咲さんと別れる。
今回のデートも美咲さんのバイタリティーはすごかった。
何度も飲みこまれそうになったけど、今までに比べて疲労感は抱いていない。
それは帰り際、僕が美咲さんに励まされたおかげだろうか。今までにこんなことはなかった気がする。
表札の坂本を確認して、ドアを開ける。
もう遅い時間だけど、電気はついている。
どうやら直は起きているようだ。
「ただいま、直」
「おかえり、春」
部屋を見渡すと、まだテーブルが残っている。
布団が敷いていない所を見ると、もう少し起きているつもりらしい。
「春、どうだった?」
「そうだなあ」
僕は考える。
「いつもよりはいい感じだったよ。疲労感も少ないし」
「そう」
「それに大事なことも教えてもらったんだ」
「それは良かった」
直が無表情で言う。
「ところで直、まだ寝ないの?」
日付はとっくにまたいでいる。
僕は直がもう寝ているものだと思っていた。
「私、なんとなく起きていた」
「そっか。待っていてくれてありがとう」
「ん。それよりもお茶漬け食べる?」
直が食事の有無を聞いてくる。
けど、正直お腹がいっぱいだ。
そして、そんな表情が出ていたのだろうか。
直が悲しそうにぼそっとつぶやく。
「私特製のお茶漬けなんだけど」
「あ、食べる。食べるから」
「わかった」
直がいそいそと準備をする。
まずは茶碗にご飯を盛って、冷蔵庫から何かを取り出す。
よく見ると、ほぐしたサケとイクラ。
ということは、親子茶漬けだろう。
仕上げにワサビの花を添えている。
最後はお茶をかけて出来上がりだ。
「それ、この前買った質の良い急須だよね」
「ん。これがポイント」
「たしかに」
直がなみなみとお茶をかけていく。
「いいにおいだね」
ワサビの花が良い香りを運んでくれる。
これがいいアクセントになっているに違いない。
「春、どうぞ」
「いただきます」
まずは一口、ご飯を運ぶ。
「うん。お茶漬けの味がする」
一瞬期待したが、直特有の味気ない料理になる性質は変わらない。
いつも思うのだが、やっぱり不思議である。
適切な材料を使って、適切な手順で料理をしている。
けど、それなのに味気なく変容してしまう。
「私、屈しない」
僕の表情を汲みとった直が、一つ宣言をする。
それは力強い宣言で、いつかは克服してしまいそうな希望にあふれていた。
「ごちそうさま」
「ん」
お茶漬けを食べ終えれば、後は歯を磨いて寝るだけだ。
そして僕が歯磨きをしている間に、直がテーブルを片づけて布団を敷いていた。
僕の分も敷いてくれている。
「あ、直、ありがとう」
「どういたしまして」
直の方を向くと、着替えをしていて、服を脱いでいる。
下着姿で、最近気になっている胸の大きさを確認している。
なので僕は、やるせなくなってあらぬ方向を見る。
直はいつになったら頓着してくれるのだろうか。
そんなことを思いながら、歯磨きを終える。
「直、もう寝るよね」
「もちろん」
直は足でシーツを伸ばすいつもの癖をやっている。
僕はそんな直のしぐさを見ながらも、構わずに言う。
「でもさ、その前に言っておきたいことがあるんだ」
「何? 春」
直がむくりと起き上がる。
すべてを見透かしそうな視線でこっちを見つめてくる。
「直」
「うん」
「僕は綾のことが好きみたいだから、今度の旅で告白しようと思う」
僕がそう言うと、直が押し黙る。
そしてしばらくして、ゆっくりと口を開く。
「そっか。気づいたんだね」
「うん、気づいた」
「それなら、ストーリーは始まるのかな。私が始まらないストーリーに対して無性に切なくなることも一切なくなるのかな」
直が言葉をたくさん重ねて聞いてくる。
「うん。そんな思いはさせない。ストーリーは始まる。始まらせたいから」
僕は力を込めて言う。
まるで感情が飛び出してしまいそうだ。
人を好きになるのはこういう気持ちなのかしれない。
「春」
「ん?」
「私はギターを弾く」
直が唐突に宣言する。
「え?」
と、僕は驚く。
「なんでもない。なんとなくそう思ったから」