2-9 鍋談義
五時を迎え、勉強会は無事に終了する。
綾が来てからは集中力が増し、かなりの成果が出た。
奏ちゃんはあいかわらず一生懸命になって教えてくれて、僕達は大いに助かった。
「バイバイ」
「バイバイ、みんな」
靴を履いて、二人が家を出ていこうとする。
送っていくかと聞いたけど、二人だからいいと言われた。
「じゃあね、綾、小平さん」
「ん。バイバイ、綾、真由」
「綾ちゃん、真由ちゃん。バイバイ」
僕達は別れのあいさつを口にする。
「今日はそれなりにためになった。だから、誘ってくれてありがとう坂本」
「どういたしまして」
「じゃあ、また今度があればね」
「うん、そうだね」
こうして、綾と小平さんは帰っていく。
残された奏ちゃんは、急遽家で夕飯を食べることになった。
これは直が、引っ越しをしたばかりの奏ちゃんに気を使ったからだ。
「奏、料理作れる?」
「私?」
「ん」
「私はそれなりに出来るけど、期待されるほどではないよ」
「そう」
奏ちゃんは謙遜する癖でもあるのだろうか。
勉強会の時と同じようなことを口にする。
「でも、私より上手いはず」
「え? どうして?」
「私は料理が苦手」
「そうなんだ。とりあえず一緒に料理しよっか」
「わかった」
そして二人が料理を始めたので、僕は暇になる。
なので、図書館で借りた本でも読もうか。
などと考えた時だった。
ちょうど携帯が鳴りだした。
ディスプレイの表示を見ると竹内さんだ。
「もしもし」
『もしもし春くん。今大丈夫?』
「あ、大丈夫です。ちょうど暇していたので」
『そう、それは良かったよ』
竹内さんの心地よい声が耳に響く。
この声を聞くと心が安らいでくる。
『でね、春くん。私から春くんに、いいお知らせと悪いお知らせあるんだけど』
「なんですかそれは」
『とにかく聞く?』
「はい。とりあえず聞きます。では悪い方で」
僕は覚悟を決めて携帯に耳をかたむける。
そうすると、竹内さんの吐息が聞こえてくる。
『あのね、春くん』
竹内さんの鈴を転がす声が、悪い予感を打ち消してくれそうな気がする。
けど、それは気がしただけで現実は厳しかった。
『美咲に彼氏ができたみたいなんだ』
「ほ、本当ですか?」
『うん、ほんと』
「はぁー」
僕は愕然とする。
これから一週間は、美咲さんのテンションの高さに苦慮しなくてはいけない。
ただ、そうやって苦慮しても、あのテンションに悩まされるのが現状だ。
なので、無意味だとも言えてしまう。
『春くん、気をつけてよ。たぶんキミが一番に絡まれると思うから。後、直ちゃんにも言っといた方がいいかもね』
「そうですよね」
僕は気のない返事。
そうなってしまうの仕方がない。
「それでせっかくだから聞きますけど、いいお知らせの方はなんですか?」
『あ、いいお知らせね。それは近いうちに鍋をするのが決まったこと』
竹内さんは、うふふ、と笑いながら言う。
「それは嬉しいお知らせですね」
『そうでしょー。ちなみにアンコウ鍋だから』
「アンコウ鍋?」
『そう、アンコウ鍋。冬といったらやっぱりアンコウ鍋でしょ』
「そうですかね」
僕にはあまりピンとこない。
それはクリスマスにサータアンダーギーを食べるほどではないにしろ、やっぱりしっくりとしない。
『それがそうなのよ。で、もちろん今回は責任もって私が作るね。アンコウ鍋は簡単に調理できるわけじゃないから』
「わかりました。ところで一つ聞きますが、アンコウ鍋にホウレンソウは入っていますか?」
『え? ホウレンソウ? なんで?』
「あ、すいません。ちょっとしたこだわりみたいなもので」
『そっか。まあ、べつにホウレンソウ入れてもいいんだけどね。ちょっとくらいアレンジしても問題ないと思うし。あ、そうそう後さ、アンコウ鍋には隠し調味料があってね――』
こうして、僕達は鍋談義で盛り上がっていく。
そして気がつけば、二十分近くも電話をしていた。
電話を切っても、鍋談義の効果が高くへんな高揚感が残ったままである。
なので僕は、自分の心を落ち着けながらも、まったくあてのない美咲さん対策を考えることにした。