1-3 感受性
図書館の静謐な空気は、この前来た時とまったく変わらない。
あいかわらずな独特の空気を醸し出している。
まばらに人がいて、それぞれが自分に合った作業をしているのも同じだ。
状況は違うはずなのに、まるでデジャヴのような感覚に陥る。
「坂本くん?」
隣を歩いている吉田さん。
彼女が僕に声をかけてきた。
「えっと、どうしたの?」
さらには心配そうな顔で見つめてくる。
なので、僕は慌てて謝る。
「ごめん。なんでもないんだ。ちょっと考え事をしていただけだよ」
「そうなの?」
「うん」
「そっか」
吉田さんはようやく納得する。
「でも、坂本くん。何か心配事があったら言ってね。私、少しでも力になりたいから」
「ありがとう」
顔が赤くなる吉田さんに感謝しつつも、僕は図書館を案内されていく。
図書委員でもある吉田さんは、懇切丁寧に図書館の説明をしてくれる。
残り少なくなった中学校生活だけど、これからここを利用をする機会があるのかもしれない。
そんなことを思いながら、とりあえず一通り見て回った。
「へぇ、本がこんなに体系的に整理整頓されているなんて知らなかったよ」
僕は感心する。
「吉田さんのおかげで一つ知ることができた。ありがとう」
「ううん、とんでもないって」
吉田さんがぶんぶんと首を振った。
それに伴って、あまそぎの髪がふるふると左右に揺れる。
「そ、それよりもね、私が坂本くんに勧めようと思った恋愛小説の本がここの特別コーナーにあるの」
照れ隠しなのか、吉田さんは先に話を進めようとする。
なので僕は、微笑ましく思いながらもその特別コーナーを見てみる。
「あ、もしかしてこれ?」
「うん。それだよ」
そこの特別コーナーには特集が組まれているいくつかの本が置いてあって、中でも吉田さんが勧める本は一段と目立つようになっていた。
書店でよく見かけるイラストポップなんかが描かれているし、お勧めなのがよくわかる。
「これかぁ」
とりあえず手に取る。
題名は、くしくも海外の青春小説で有名な不朽の名作と同じだ。
関連性は何かあるのだろうか。
「この題名さ、どこかで聞いたことあるんだけど」
「うん。そうだよね。私、坂本くんが絶対にそう言うと思った。でも、なんの関係もないみたいだよ」
「へぇ、そうなんだ」
青春と恋愛の不可解なジャンルの違いに多少困惑しつつも、僕は手に取った本を借りることにする。
後、この件については、吉田さんが自分の本を貸してくれると言ってくれた。
けど、折角の機会だからと断わって、図書館を利用することにした。
「坂本くん。手続きはわかる?」
「あ、うん。大丈夫」
カウンターの女の子に頼んで、手続きをなんとかこなす。
それを無事に終えて、念願の本をようやく借りられた。
僕はその本を鞄にしまいつつも、吉田さんに尋ねる。
「吉田さんはさ、この本全部読んだんだっけ」
「うん。読んだよ」
吉田さんが間髪いれずに即答する。
「そっか。でさ、僕が読む前にこんなことを聞くのも野暮だと思うんだけど、読み終わった後に何かを感じることが出来た?」
「もちろん出来たよ。坂本くん」
「そっか。やっぱりそうだよね」
僕はつぶやく。
そして、その言葉が不思議に感じたらしい。
「どうしたの?」
と、吉田さんが聞く。
さらに真摯な瞳でこっちを見つめてくる。
なので僕は、自分が危惧していることを述べてしまう。
「あのさ」
「うん」
「恋愛小説を読むにあたって、僕には一つ気がかりなことがあるんだ」
「え?」
吉田さんが首をかしげる。
けど、構わずに僕は続けていく。
「こういうのってさ、それ相応の感受性を持っていないと何かを感じることなんか出来ないんじゃないかと思って」
「感受性?」
「そう。感受性」
どうにも自分には足りない分野のような気がしてならない。
「坂本くん」
「えっと、どうしたの?」
やけに真剣な調子で手を握ってきたので、僕は少しだけたじろぐ。
「あのね、坂本くん」
「うん」
「感じることが出来ないなんて、坂本くんにはそんなことない」
「え?」
「大丈夫。絶対に大丈夫。私の知っている坂本くんなら絶対に大丈夫だから」
何度も念押しされる。
絶対に大丈夫。
何度も、何度も。
確信を持って言われる。
そして、それを聞くと不安な気持ちが逃げていく。
「ありがとう。なぜか元気が出た」
「ど、どういたしまして」
お礼を言われた吉田さんは顔を赤くして、いつもの調子に戻ってしまう。
「後さ、吉田さん」
「何?」
「勇気も湧いてきたよ」
そして元気と勇気は繋がることもあるのだな、と心の片隅で思っていた。