3-1 ムーンサルトプレス
いつもと変わらない朝。
まどろみに浸りつつも、至福を感じるほんの一時。
直が僕よりも早く起きて、僕を起こしてくれる。
これはまるで変わらないルーチンワーク。
けど、僕はそれを好んでいる。
直の優しくも低音な声。
それと揺り起こすようなリズム感のある振動。
これらが、僕を覚醒へと駆り立てていく。
「どりゃあ!」
「あれ?」
なんだか変な声が聞こえてくる。
これは幻聴だろうか。
よくない予感と共に、一瞬にして鳥肌が立つ。
恐る恐る目を開けてみると、宙を舞う美咲さんの姿。
「ムーンサルトプレス!」
「え?」
視界が一瞬にして暗転。
「別名は月面水爆!」
「うげほっ」
自分がこんな声も出せるのかと感心する。
寸分の狂いもなく決まった美技に、僕は悲鳴を上げていた。
「春坊、起きろー」
「み、美咲さん。勘弁してくださいよ」
まだ苦しい。
体全体へのダメージがすごいことになっている。
「それよりもどうして美咲さんがいるんですか」
「私?」
美咲さんがきょとんした顔で聞く。
「はい、そうです」
「それは私専用の超高級ミネラルウォーターが坂本家に置きっぱなしになっているからだね」
「またそのネタですか。いい加減自分の部屋に持ち帰ってくださいよ」
「えー、ここで飲むのがいいんじゃん」
そんなこと言われても理解できない。
「ところでさ、春坊」
「何ですか?」
「春坊はいつもこんなに起きるわけ?」
言われて、時計を見る。
べつにさして遅いというわけではない。
いつも直が起こしてくれる時間と同じだ。
「まあ、そうですね。ただ、昨日は小説を読んだからいつもより睡眠時間は少ないんですけど」
「小説?」
「はい」
「そうかやっと、『○○との関係』シリーズを読んでくれたか。春坊にも官能小説の良さがわかってもらえたんだな」
美咲さんが嬉しそうにうんうんとうなずく。
けど、それは大いなる勘違いである。
というか、そもそも中学生に官能小説の良さを教え込むなんて、かなりツッコミどころがありすぎる。ツッコミが追いつかないくらいだ。
なので、僕は思いっきり否定する。
「美咲さん。違いますからね」
「またまた照れちゃって」
「いえいえ、どこに照れる要素なんてありましたか。僕はただ、クラスメイトから借りたファンタジー系の小説を読んでいただけですよ」
「あ、あれね。そういう設定ね。カバーだけをすり替えて読む難易度の高い技を使ったわけか。直っちの見ている前でばれないように読まなきゃいけないしな。まったくスリルなことだ」
「あの、美咲さん? 人の話聞いてますか?」
「あ、そうそう。今度新しいの大学の生協に入ったから」
「まったく聞いていないですね」
僕は観念して諦める。
「『義弟との関係』ってやつ」
「また女性目線?!」
「ついでに『義兄との関係』、『義兄弟との関係』も買ったぞ。さらには二冊同時発売キャラカード付きだ」
「どこまであるんですか、そのシリーズは。しかもキャラカード付きって」
「私はキラキラのレアカード当たったな。ほら」
「見せなくていいですってば」
教育上良くないカードが目の前をチラつき、僕は頭を抱える。
それにしても、あれをふところに入れとくのはかなり勇気がいる。
なにかあった時に心配でならない。
「春」
「あ、直」
そういえば直もいた。
このやり取りも聞いている。
「読んだの?」
全てを見透かしそうな怜悧な瞳で僕に見つめてくる。
心なしか、視線がいつもより鋭い。
「読んでないからね」
「ほんと?」
「ほんとにほんとだって」
僕はなぜだかわからないけど、必死になって告げる。
なんだかかえって言い訳をしているみたいだった。