7 憧れから恋へ
「はっ? シリウス様は、何を仰っているの?」
私が聞きたかった言葉を、セリーナが先に口にしました。
シリウス様は何も言わず、ゆっくりと私の方へ歩み寄りました。
そして、――私の手をそっと取りました。
「侯爵にアーシャとの婚約を了承してもらった。私はずっと、貴方が好きだった」
その言葉に、私は息をのみました。
けれど、私よりも早く反応したのはセリーナです。
「嘘! アーシャは無能で厄介なだけですわ! 絶対ダメです!」
癇癪を起こした子供のように、セリーナは叫びます。
……分かります。
私が、この方に相応しいはずがありません。
噂くらい、いくらでもあるはずです。
愚か者。無能。侯爵家の厄介者。
「シリウス様、私の評判は、お聞きになっていますよね?」
「何も問題は無いよ。アーシャは素晴らしい人だと、私は知っている」
彼の優しい言葉に、胸がきゅっと痛みます。
「性格が悪い人の方が、問題ですよ!」
ポーラがきっぱりと言いました。
まっすぐセリーナを見ながら。
セリーナは激しく首を振って、髪を振り乱します。
まるで何かを失うのが怖いかのように。
「私は認めないわ! 絶対に!」
「君は、愛し合うエリック殿下と婚約を果たされた。私が誰と婚約しようが、関係ないはずだ」
シリウス様の声は穏やかでしたが、完全に線を引く響きがありました。
「まあ、王家と私に対する、当てつけでしたのね。ご不満は分かりますわ。でも、シリウス様、どうかご自分を貶めないで下さいな」
セリーナの声には、わずかな震えがありました。
彼と長く婚約者同士だったからでしょうか、
未練が、にじんでいます。
けれど――
シリウス様の表情は、少しも揺れませんでした。
「君はどこまでも傲慢で残酷だ。我が公爵家は決して、君を歓迎していなかった。アーシャと婚姻後、第二王子殿下を支持することも無い。そう心得ておいて欲しい」
それは、絶縁宣告でした。
セリーナはハクハクと口を開きます。
声は出せず、
ただ、唇だけが震えていました。
私はまだ信じられず、シリウス様を見上げます。
「シリウス様、本当に私と婚約されるのですか?」
「そうだよ。もう誰であっても、アーシャを傷つけることは、私が許さない」
その言葉は強く――私の胸にまっすぐ届きました。
ポーラが私に上着を掛けます。
次の瞬間。
シリウス様は、まるで壊れ物に触れるように、
そっと私を抱き上げました。
驚く間もなく、部屋を出てしまいます。
そのまま外へ。
レンガの道を歩いていきます。
風が木々を揺らし、葉がささやく音がしました。
私は夢の中にいるような気持ちで、
ただシリウス様の横顔を見つめていました。
――この方の気持ちに、私は気付いていませんでした。
いつか義兄になる方。
そう思って、遠くから憧れていただけでした。
ほんの少し。
胸が温かくなるような、そんな好意。
でも。
過去に聞いた言葉が、ふとよみがえります。
『男女の仲は、結婚すれば変わっていく』
……どうやら、その変化はもう始まっているようです。
だって――
胸の奥が、信じられないほど甘く満たされています。
シリウス様の腕の中は、とても温かくて。
このまま、ずっと離れたくないと思ってしまいます。
こんな気持ちになるなんて。
私の中で、
ただ遠くから見上げていた憧れは、
少しずつ、
確かに――恋へと変わっていくのを感じています。
*****
アーヴァイン公爵家に迎えられてから、私の病状はすっかり回復しました。
シリウス様の溺愛に触れて、私は毎日とても幸せです。
時間が経つにつれて、
ようやく分かったことがあります。
三年前。
私を離れ屋へ移すよう父に進言してくださったのは、
シリウス様でした。
そして――
ポーラは、公爵家から送り込まれていた使用人。
今も変わらず、私の専属侍女として、傍で仕えてくれています。
私の周囲で起きていた出来事はすべて、
ずっと前から、
静かに動き続けていたのです。
「シリウス様は、いつから私を想って下さっていたの?」
「前世からだよ。ずっと、君だけを見ていた」
そんな冗談も、信じたくなるほど、
私の心はシリウス様の色に、染まっていました。
エリック殿下は、王太子候補を辞退されました。
兄のレオンは殿下の側近の座を外され、
姉のセリーナは――
殿下との婚約を嘆いて、
今でもシリウス様との復縁を願っているとか……。
たとえ王命であっても、
殿下との元さやなんて考えられません。嫌です!
私の愛する人は、シリウス様だけ。
……父は、このような事態を予想できなかったのでしょうか。
もしかすると。
三人の子を平等に愛そうとなさった?
すべてを守ろうとして――
結果、失敗してしまったのかもしれません。
ですが。
それはあくまで、私個人の考え。
そして今となっては、もう――
殿下との、あの不思議な入れ替わりすら、
過去の出来事なのです。
読んでいただいて、ありがとうございました。




