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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第七章 最適化された依存、完成された生態系
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底知れぬ女たちの盤面

 ――side. 井神 智里――


 玄関の扉が閉まる音から数秒後。

 静まり返ったリビングのドアが開き、美琴が一人で入ってきた。


 美琴は玲茄の隣に、優雅な動作で腰を下ろした。


 凉と和哉のいないこの空間は、女同士の、互いの知性と腹の底を探り合う、極めて高度な盤面へと変貌していた。


「……さて」


 私が口を開きかけた、その瞬間だった。


「智里さん。一つだけ、誤解のないように申し上げておきます」


 玲茄が、私を遮るように先手を打った。

 その顔には、あの完璧な微笑みが貼り付いている。


「美琴さんの件については、私は一切、噛んでいませんよ」

「……どういう意味かしら」

「言葉通りの意味です。彼女をこの箱庭に引き入れたのは、凉自身の選択であり、結果です。……正直、私にとっても想定外だったんですよ?」


 玲茄は、隣に座る美琴をチラリと見て、ふふっと楽しげに笑った。


「私が、凉の背中を押して彼女を組み込んだわけではない。そこだけは、正確にお伝えしておこうと思いまして」


(……なるほど)


 私は内心で舌を巻いた。

 あの日、この場で私に"お薬手帳"を突きつけ、凉の倫理観を自分たちに合わせて"上書き"していることを証明してみせた、底知れない少女。

 その彼女が、「美琴の加入だけは、私のコントロール外(凉の意志)で起きたイレギュラーだ」と宣言したのだ。それはつまり、凉がただ神輿(みこし)として担がれているだけでなく、自らの意志でこの箱庭を拡張し始めたという事実の証明でもある。


「玲茄ちゃんの言う通りです」


 玲茄の言葉を受け、今度は美琴が涼やかな声で続けた。


「むしろ彼女は、私という"異物"をこの箱庭から追い出そうとしていましたからね。……私と彼女の間で、どれほど熾烈な牽制と盤面の奪い合いがあったか。今こうして、隣に座っているのが不思議なくらいですよ」


 美琴は、かつての敵対関係を隠すどころか、誇らしげにさえ語ってみせた。


「……はぁ」


 私は、堪えきれずに深く、重いため息をつき、目頭を押さえた。


「わかったわ。あなたたちが互いを牽制し合いながらも、今は凉という一点において見事な結託を見せていることは、痛いほど理解できたわ」


 私は手元の家計簿――先ほど、思わず目が止まってしまった部分に視線を落とした。


「そして、その結託の"深度"についても、ね。……美琴、あなた」


 私がその先を言葉にしようとした、その時だった。


 スッ、と。

 美琴がポケットから小さな冊子を取り出し、テーブルの上、私の目の前へと置いた。


 それは、見覚えのあるデザインの"お薬手帳"だった。


「……っ」

「ご安心ください、智里さん。私の分は、しっかりと私個人の資産で管理していきますので」


 美琴は、私が指摘するより早く、自らその証拠を提示してみせたのだ。

 あのときの玲茄と全く同じ、有無を言わさぬ先手必勝。

 それは「私はすでに凉に抱かれており、そのリスク管理も終えている」という、親に対する究極の事後報告(マウント)だった。


「……あなたたち、本当に……」


 私は再び深いため息をつき、今度は玲茄の方を見た。


「……玲茄さん。美琴の分も、家計の"サプリメント代"に含めておきなさい。……管理系統を分けるのは、リスクでしかないわ」

「承知いたしました」


 玲茄は、あのときと同じように、美しく頭を下げた。


 私は、目の前に並ぶ二人の才女を、半ば呆然と見つめた。

 どちらも、社会に出れば間違いなくトップに立てる、一握りの才覚を持った人間だ。


「……どうして」


 私は、テーブルに両肘を突き、思わずポツリと本音をこぼしてしまった。


「どうして、あなたたちのような聡明な子たちがこぞって、私の息子にそこまで入れあげるのかしら。……理解に苦しむわ」


 私のそのぼやきに対し。

 玲茄と美琴は、まるで打ち合わせたかのように顔を見合わせ、そして同時に、極上の笑みを浮かべて私を見た。


「「凉だからですよ」」


 二人の声が、完璧に重なる。

 そこに一切の論理はない。ただの純粋で、狂おしいほどの執着だけが、重低音のようにリビングに響いた。


「それに、智里さん」


 玲茄が、楽しげに目を細めながら、とんでもない言葉を付け足した。


「来年の春頃までには……もう一人、増えるかもしれませんしね」

「……は?」

「ほお」


 私の間抜けな声と、美琴の興味深そうな声が重なる。

 美琴が玲茄の方へ身を乗り出した。


「それは……初耳だな、玲茄ちゃん」

「ふふっ、凉のキャパシティがどこまで保つか、見ものだと思いません?」


「……っ、もう、勘弁して……」


 私は、完全に許容量を超えた頭を抱え、テーブルの上に突っ伏した。

 これ以上、この恐ろしい女たちの狂気に付き合っていれば、私自身の精神が保たない。


 息子の築き上げた箱庭は、私の想像など遥かに超えた次元で、恐ろしく強固に、そして美しく完成されていたのだ。

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