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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第七章 最適化された依存、完成された生態系
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ルールの内側に築く城

 ――side. 井神 智里――


「……失礼します」


 美琴が一礼し、静かな足取りで凉の部屋へと上がっていく。

 彼女の姿が見えなくなり、リビングには私たち夫婦と、息子の凉だけが残された。


 私はテーブルの上で両手を組み、正面に座る凉を静かに観察した。

 椅子に深く腰掛けながらも、その背筋は真っ直ぐに伸び、私たちから目を逸らすことなく見据えている。数ヶ月前、このリビングで私に射すくめられ、冷や汗を流していた怯えた少年の面影は、もうどこにもない。


(……見事なものね)


 私は内心で、息子の変貌ぶりに舌を巻いていた。

 怯えを克服しただけではない。あの四人の少女たち――折崎の娘までもが、彼を中心に異常な結束を見せ、自らを顧みないほどの執着を曝け出したのだ。

 一体、何がこの子たちをここまで変えたのか。ただの共同生活だけで、あそこまで強固な狂信が生まれるとは到底思えない。


 ――学校か。

 学校で、何か決定的な出来事があったとしか考えられない。

 明日の学校での面談。担任だけでなく、関わりの深い教師たちにも、少し探りを入れてみる必要がありそうね。


 私がそう思考を巡らせていた、その時だった。


「――さて、と」


 隣に座る夫――和哉が、ティーカップをソーサーにコトリと置いた。

 ほんの些細な音。だが、その瞬間、リビングの空気が数度下がったような錯覚を覚えた。


「立派な顔つきになったね、凉。……でも、勘違いしちゃいけないよ」


 先ほどまで、美琴の告白におどけて悲鳴を上げていた和哉の姿は、完全に消え去っていた。

 声のトーンは穏やかなままだ。だが、その瞳には一切の温度がなく、極めて冷徹な"分析者"の光が宿っている。


「君たちの今の状態は、決して"成長"なんかじゃない」

「……っ」


 凉の肩が、わずかに強張った。

 和哉は、容赦のないメスで息子の急所を的確にえぐっていく。


「それは単なる"最適化された重度の依存"だ。社会のルールから外れた君たちが、自分たちの精神を壊さないために、互いの役割を極限まで先鋭化させて寄りかかっているだけの……ひどく歪な防衛本能だよ」


 最適化された重度の依存。

 その的確すぎる表現に、私は思わず息を呑んだ。


「今日ここにいる五人。君たちが選ぼうとしている道は、もう後戻りのできない"暗闇"だ。……わかっているのかい? 君たちはまだ、僕たち親の庇護下にある。経済的にも、社会的にも、親の手を離れるのはまだまだ先だ。一人じゃ生きていけない、ただの子供なんだよ」


 和哉から放たれる、親という"絶対的な現実"。

 倫理や感情論ではない、純粋な生存能力の欠如の指摘。

 凉の顔に、明確な怯みが走った。論破不可能な事実を突きつけられ、膝の上で握られた拳が微かに震えている。


 だが。

 凉は、決して視線を逸らさなかった。


「……わかってる」


 絞り出すような、けれど確かな芯のある声だった。


「俺たちが子供で、異常で、社会から見ればどうしようもなく歪んでいることくらい……痛いほどわかってる。だからこそ、俺は……俺たちは、その先へ行くための準備をしてるんだ」


 食らいついてくる凉の言葉に、私はすかさず現実的な問いを投げた。


「準備と言うなら、聞かせてちょうだい。あなたの具体的な進路は?」

「……国立大学の、文学部を目指している」


 凉は、はっきりと宣言した。


「そこで、教員免許を取るつもりだ」


(……教員免許)


 私は、その言葉の裏にある"意図"に気がつき、背筋に冷たいものが走った。

 なるほど、だから美琴を……社会のルールから逃げるのではなく、その内側を利用する、恐ろしく計算された生存戦略だ。


「……へえ」


 和哉が、ゆっくりと手を叩いた。

 パン、パン、という乾いた音がリビングに響く。


「すごいじゃないか。ちゃんと先の先まで見据えて、自分たちの居場所を作ろうとしてるんだ。……"成長"したねぇー、凉」


 和哉は、感心したように口角を上げ、柔らかく笑った。


 だが、私は隣に座る夫の横顔を見て、形容しがたい恐怖を感じていた。

 和哉は笑っている。声も、口元も。

 ――けれど、その目は全く笑っていなかった。


「それじゃあ、次は彼女たちを呼んでくれるかな。……もう少しだけ、話を聞いておきたいからね」


 底知れない分析者の、静かな尋問は続く。

 私たちの息子は、引き返すことのできない狂気の淵を、まっすぐに歩き続けている。

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