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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第五章 名前を奪う光、歪に癒着する箱庭
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善意の窒息と、憧憬のジオラマ

――side. 井神 凉――


美琴からの事実上の"宣言"から一夜明けた、放課後の視聴覚室。

今日から文化祭の出し物について、クラスを跨いだ本格的な連携が始まる予定だった。


「……あれー?これ、もう入力終わってる……?」


パイプ椅子に座った茉依が、ノートパソコンの画面を見ながら目をぱちくりさせていた。

文化祭のシフトやスケジュールを管理するスプレッドシート。俺たちが今日から手分けして入力していくはずのそれは、一晩にして完璧に整理された状態になっていた。

どこに何があるか見出しがつけられ、見やすいように色分けまでされている。


「あれ、こっちの機材の割り振り表も……え? もう顧問の先生のハンコがもらってある?」

「……ほんとだ。昨日はまだ調整中だったはずなのに」


俺と茉依が顔を見合わせていると、背後からふわりと甘い百合の香りが漂ってきた。


「二人とも、お疲れさま」


振り返ると、美琴が穏やかな微笑みをたたえて立っていた。手には、生徒会室で淹れてきたであろう温かい紅茶の紙コップが、いくつかトレイに乗っている。


「会長。これ……もしかして全部、会長がやってくれたんですか?」

「うん? ああ、シートのことか? 生徒会の仕事のついでにやっておいたんだ。機材の割り振りも、私が先生に直接話を通しておいたから、あとはもう機材庫から運ぶだけでいい」

「えっ、でも……」

「中里姉は、自分のクラスの出し物の準備もあるだろう? 実行委員の仕事で無理して、そっちがおろそかになったら本末転倒だからな。ここはある程度したら私に任せて、しっかり自分のクラスのことも楽しんでおいで」


自然で、完璧な気遣いだった。

反論の余地がない。生徒会長としての権限と、手回しの良さ。すべてが俺たちの負担を減らそうとする、一点の曇りもない純粋な"善意"だった。


「ありがとうございます。でも、私にもできることありますよ! クラスのほうは順調だし……あ、そうだ、当日のパンフレットの割り振りとか!」

「ふふっ、ありがとう。でも、パンフレットはもう生徒会役員の方で引き取ったから大丈夫。中里姉は本当に頑張り屋さんだね。でも、無理しなくていいからね」


美琴は、まるで小さな子供を褒めるような優しい手つきで、茉依の肩をぽんと叩いた。

茉依の笑顔が、一瞬だけピクリと引きつる。


「……は、はい。ありがとうございます」


茉依の役割が、善意によって次々と奪われていく。

実行委員としての仕事すら彼女には必要ないと、そう突きつけられているような息苦しさ。


そんな重苦しい空気に気づく様子もなく、美琴は俺の方へ向き直った。


「そういえば凉ちゃん。ここの機材の配置図なんだけど、昔、夏休みの工作で一緒に作った"町のジオラマ"の配置に似ていると思わないか? ほら、凉ちゃんが途中で設計図を無くして泣きついてきた……」

「あー……それは、まあ」

「ふふっ。あの時は結局、私が一から図面を引き直して完成させたんだったな。今回も、分からないことがあったら一人で抱え込まず、何でも私に聞きなさい」


俺と美琴の間にしか通じない、過去の記憶。

二人の世界が展開される中、茉依はただ所在なさげに、パソコンの画面と俺たちを交互に見つめているしかなかった。

その手は、行き場をなくしたように膝の上できつく握りしめられている。



――


放課後、帰り道。


教室で合流した玲茄と悠希と一緒に、いつもの道を歩く。


「今日ね、実行委員の仕事、全然なかったんだー」


不自然なほど明るい声で、茉依が口火を切った。


「会長が全部やってくれちゃって。私、見てるだけになっちゃった。あはは、なんか申し訳ないよねぇ」

「そう。それは良かったじゃない」

「うん! だからさ、私、明日からはもっと自分から仕事見つけてやろうと思って! ほら、まだポスターの掲示場所の確認とか残ってるし、そういう細かいところなら私でも……!」


「茉依」


玲茄の声が、夕暮れの空気を鋭く切り裂いた。

静かで、けれど絶対に逆らえないような、冷たい響き。


「落ち着いて」


「え……」

「……実行委員の仕事で、少し疲れてしまったのね。早く家に向かいましょう」


玲茄は、空回りし始めた茉依の焦燥を察したのか、あくまで表面上は"労い"の言葉をかけた。


茉依はハッとして、自分の口を両手で覆った。


「あっ……ご、ごめん。私……いま、変なこと言ってた。早く帰ろ」


茉依は無理に笑顔を作り直し、少しだけ早足で歩き出した。



――


夜のリビング。


夕食を終え、いつものように四人で過ごす時間。

テレビのバラエティ番組が流れる中、茉依は俺の隣に座ってはいるものの、終始元気がなかった。

時折、ぼんやりと宙を見つめては、自分の膝をぎゅっと握りしめている。


「茉依。あんまり気にすんなよ。みこねぇ……会長も、悪気があってやってるわけじゃないから」


俺が小声でそう宥めると、茉依はビクッと肩を揺らし、慌てて笑顔を作った。


「ううん、気にしてないよ! むしろ楽できてラッキーって思ってるし!」


その乾いた笑い声は、どこか空虚に響いた。

茉依の手を握ると、いつもぽかぽかしている手が、ひどく冷えていた。


俺の反対側では、悠希が静かに俺の袖を掴んでいる。

そして少し離れたダイニングテーブルから、玲茄がコーヒーカップを片手に、その様子をじっと観察していた。


冷たく、けれどどこまでも冷静なその瞳は、茉依の空回りも、俺の気休めも、すべてを見透かしているようだった。

玲茄は、何かを確かめるように視線を落とす。


ひび割れた温度が、ゆっくりと広がっていくのを感じた。

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