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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第五章 名前を奪う光、歪に癒着する箱庭
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城壁に落ちた、透明な波紋

お待たせしました。五章始動します。

――眩しすぎる"正しさ"は、脆い箱庭を焼き尽くす猛毒となる。

行き場を失った破片を繋ぎ止めるのは、救いではなかった。



――side. 折崎 美琴(おりさきみこと)――


放課後の生徒会室。

窓から差し込む秋の夕暮れが、長机に広げられた書類をオレンジ色に染め上げている。

私はその束の一番上に置かれた『文化祭実行委員名簿』を眺めながら、ふっと息を吐いた。


誰もいない室内で、数日前の事件を思い返す。

張り紙の一件。あの悪意が凉ちゃんの日常を脅かしたとき、彼はたった一日で事態を完全に収束させてみせた。

頼もしくなったと思うと同時に、胸の奥がひどく疼く。


小学生から中学の初め頃まで、凉ちゃんは毎週のように私の部屋に入り浸っていた。

『ねえちゃん』

そう呼んで、無邪気に私を慕ってくれていた小さな弟。

それが高校生になり、『みこねぇ』と呼び方が変わる頃には、すっかり私から距離を置くようになってしまった。数ヶ月に一度、挨拶程度の言葉を交わすだけの関係。


原因は分かっている。宮藤玲茄、中里茉依、そして悠希。

あの子たち三人と出会い、凉ちゃんは彼らだけの"城"を作り上げた。

なにがあったのか、なにがきっかけなのかは詳しく知らないし、私から聞こうとは思わない。

勘違いしてほしくないのは、私は決して彼女たちを邪魔だとは思っていないということだ。むしろ、あそこまで完成された美しい関係性を構築した玲茄ちゃんたちには一目置いているし、凉ちゃんがそれを選んだのなら、尊重したいとさえ思っている。


ただ――そこに私の居場所がないことだけが、どうしても我慢できない。

今まで無理に気持ちを押し込めてきたけれど、あの張り紙事件で凉ちゃんの危うさと鮮やかさを目の当たりにして、抑えきれなくなってしまった。


壊したいわけじゃない。今の関係を保ったまま、私にも凉ちゃんの隣を用意してほしいだけ。


「四月からずっと名前だけ並んでいたけれど……いよいよ本格始動だ」


名簿の『井神 凉』と、その隣の『中里 茉依』の文字を指先でそっと撫でる。

最後の文化祭。生徒会長としての権限も、実行委員という立場も、使えるものはすべて使うつもりだ。


「……たくさん、思い出を作ろうじゃないか。凉ちゃん」


誰にも聞かれることのない呟きは、秋の冷たい空気に静かに溶けていった。



――side. 井神 凉――


十一月の文化祭まで、残り一ヶ月。

校内は少しずつ、浮き足立ったような特有の熱を帯び始めていた。


四月に文化祭実行委員に選出されて以来、俺と茉依は月一回程度のゆるい集まりに参加してきた。

だが、一ヶ月を切った今日から、いよいよ本格的な準備期間に入る。


放課後。

俺と茉依は、各クラスの実行委員や各部門のリーダーが集まる視聴覚室にいた。

教壇の中央には、凛とした姿勢で立つ一人の女子生徒の姿がある。


「――皆、集まったな。それじゃあ、文化祭一ヶ月前の全体会議を始める」


透き通るような、それでいて誰もが聞き入ってしまう強い声。

私立折崎高校生徒会長にして、理事長の娘。

折崎美琴。

そして、俺の従姉であり、幼い頃から逆らえない"姉"でもあった。


会議の進行は淀みなく、完璧だった。

美琴は無駄な議論を一切許さず、全体の日程確認と各クラスの役割分担を鮮やかに決定していく。


「それでは、今日の全体会議はここまで。解散」


一時間足らずで会議が終わり、生徒たちが次々と教室を出ていく。

俺と茉依も立ち上がり、ドアへ向かおうとした、その時だった。


「凉ちゃん。ちょっといいかな」


マイクを通さない、素のトーン。

その声に、俺の足がピタリと止まる。


振り返ると、美琴が教壇から降りて、真っ直ぐにこちらへ歩いてくるところだった。

周囲の生徒たちが少し驚いたように道を空ける中、彼女は俺の目の前で立ち止まった。


「……みこねぇ。いや、会長。何か用ですか」

「ふふっ、二人のときは今まで通りでいいさ。……実行委員の仕事、いよいよ忙しくなるね」


美琴はそう言って、極めて自然な動作で俺の胸元に手を伸ばし、わずかに曲がっていたネクタイの結び目を直した。


ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。

相変わらず、距離が近い。

すれ違う生徒たちが「会長と井神ってあんなに仲良かったのか?」とヒソヒソ囁くのが聞こえる。

美琴から漂う甘い百合の香りが、かつて頻繁に彼女の部屋へ遊びに行っていた『ねえちゃん』と呼んでいた頃の記憶をフラッシュバックさせる。


「あ、あの! 会長!」


その息苦しい空気を破るように、隣から茉依が明るい声を出した。


「私とりょ……あ、井神くんは、メインステージの準備担当ですよね? これから分からないことだらけだと思うので、色々教えてもらえると嬉しいです!」


いつもの茉依だ。

場の空気を読み、不穏な空気を陽のエネルギーで上塗りする。

美琴はネクタイから手を離すと、ゆっくりと茉依の方へ視線を向けた。

敵意はない。ただ、そこには大人びた、慈愛に満ちた微笑みがあった。


「ああ、もちろんだよ。よろしく……『中里姉(なかさとあね)』」

「え……?」


茉依の笑顔が、ほんのわずかに強張った。

『中里姉』。

双子である悠希と区別するための呼び方。論理的には何も間違っていない。

だが、そこには明確な"線引き"があった。俺に対しては踏み込んだ距離感を持ちながら、茉依には極めて丁寧で、だからこそ越えられない壁を感じさせる響き。


「凉ちゃんには昔からお世話になっているし、君たち四人の大切な時間も極力邪魔したくない。だから、委員会の仕事は私がしっかりサポートする。中里姉は無理しないようにな」


完璧な思いやり。

茉依は何も言い返せず、「は、はい……」と力なく頷くことしかできなかった。


「凉、茉依」


視聴覚室の入り口から声がした。

見ると、悠希を後ろに連れた玲茄が、静かな瞳でこちらを見つめていた。


「おや、玲茄ちゃんに妹ちゃん。お迎えかな?」

美琴もまた、玲茄を見て楽しそうに目を細めた。


「ええ。そろそろ終わっている時間と思いまして。……行きましょ、凉」

「ああ」


玲茄を見ると、目線を美琴へ向け、じっと見つめている。

俺は茉依の背中を軽く押し、視聴覚室から出ようとした、その時だった。


「ああ、そうだ凉ちゃん」


呼び止められ、再度美琴の方へ目を向けると。


「例の臨時集会の件、見事だったよ。ただ、少し危ない橋だったようだが。その手腕、この文化祭でも発揮してくれるとうれしいよ」

「!!?」


この人は、どこまで見通しているのか。

俺は何も言えず、そのまま部屋を後にした。


背中に感じる美琴の気配は、決して攻撃的なものではない。

むしろ、温かく迎え入れようとするような、深い包容力に満ちていた。

だが、それこそが恐ろしい。急にネクタイの締め付けが、苦しく感じた。


安全だったはずの俺たちの日常に、静かに、そして確実に浸食を始めているような。

そんな、取り返しのつかない予感がしていた。

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