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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第四章 汚された盤面と、それを拭う冷たい手
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冷徹なる打算、あるいは傀儡の舞台

――side. 井神 凉――


昼休みに集まった空き教室の扉を開けると、そこにはひどく落ち着かない様子で室内を歩き回る白峰と、窓際で腕を組んで待機していた隆一の姿があった。


「井神くん! 悠希、茉依……!」


俺たちの顔を見るなり、白峰が弾かれたように駆け寄ってくる。


「どうだった? 嵐田先生と決着はついたの!?」

「ああ。悠希の読み通りだったよ」


俺が頷き、悠希が静かに「彼自身の言葉で、完全に退路を断ちました」と報告すると、二人は心底ホッとしたように深く息を吐き出した。


「マジか……。すげえな、お前ら。本当にあの嵐田を黙らせちまうとはな」

「証拠を揃えてくれた隆一と白峰のおかげだ。本当に助かった、ありがとう」

「いいってことよ。……ん? そういや、宮藤はどうした? 高良田のところに呼び出されてたんじゃ……」


隆一が室内に視線を巡らせる。

その時、廊下からコツン、コツンと、乱れのない規則正しい靴の足音が響いてきた。

扉の向こうから姿を現したのは、玲茄だった。


「ごめんなさい、待たせたかしら」


表情はいつも通りの、深い湖面のような静けさを湛えている。


「遅かったな。……大丈夫だったか?」

俺が尋ねると、玲茄はふわりと柔らかく微笑んだ。


「ええ、大丈夫よ。高良田先生とは、とても建設的な"お話し合い"ができたわ。……それと、最後の仕上げをしてきたから。もう、何も心配いらないわ」


「最後の仕上げ?」


俺が聞き返すと、玲茄は「ええ」とだけ答え、それ以上は語ろうとしなかった。


「さあ、帰りましょう。私たちの居場所に」


玲茄の言葉に、俺たちは全員で頷き、空き教室を後にした。


六人で並んで一階の昇降口まで降りてきたところで、前からひどく思い詰めたような顔をした女性が歩み寄ってきた。

二年A組の担任、佐藤先生だ。


「あ……井神くん、みんな……。あの……」


佐藤先生は、胃の辺りを押さえながら、なんとか俺たちを励まそうと言葉を探しているようだった。大人として、教師として、理不尽な悪意に晒された生徒を庇わなければならないという、彼女なりの不器用な誠実さなのだろう。


だが、その言葉が紡がれるより先に、悠希が一歩前に出て、淡々と告げた。


「お気遣いありがとうございます、佐藤先生。ですが、あの件についてはもうケリはつけましたので、何の問題もありません」


「え……? ケリをつけたって、どういう……」


呆然とする佐藤先生の前に、今度は玲茄がスッと歩み出た。

彼女は、佐藤先生の顔を真っ直ぐに見つめ、完璧な優等生の微笑みを浮かべた。


「先生の"胃痛の種"は、私たちが綺麗に摘み取っておきましたから。……明日の朝はぜひ、温かいコーヒーをゆっくりと召し上がってくださいね。では、さようなら」


「えっ……? コーヒー……?」


状況が呑み込めず、目を白黒させる佐藤先生を残し、俺たちは揃って昇降口の扉を抜けた。

夕日に染まる帰り道、玲茄が思い出したように口を開く。


「そういえば、明日の朝、臨時の全校集会があるそうよ。だから、今日はみんなゆっくり休みましょう」


違和感など微塵もない、ごく自然なトーンだった。

白峰と隆一は「臨時集会? なんだろ」と首を傾げていたが、俺と悠希、茉依の三人は、その言葉の裏にある決定的な"終局"の気配を悟っていた。



――


隆一たちと別れ、家に戻った俺は、自室のドアを開けたままベッドに仰向けに倒れ込んだ。


リビングからは、三人が夕食の準備をし始めた微かな物音が聞こえてくる。この歪で、けれど俺たちにとっては世界で一番愛おしい"日常"。


目を閉じると、今日という一日の出来事が脳裏をよぎる。

大人の権力に抗い、教師という絶対的な強者に楯突いたという事実。

ふと、中学時代の記憶がフラッシュバックした。


――中学一年の終わり。

彼女たち三人がそれぞれの理由で限界を迎え、心が壊れかけていたあの時期。

俺は両親に、「あいつらを救いたい。なるべく一緒に居る時間を増やしたい」と必死に頭を下げた。


最初、母である井神智里は、俺の懇願を『中学生の戯言』と一蹴した。だが、これまで親に逆らったことなどなかった俺が、土下座までして引き下がらなかったことで、彼女は事態に介入した。

冷徹なビジネスウーマンである母さんは、宮藤家と中里家の親たちがすでに娘たちを"諦めて"いるという残酷な現実と、三人が俺に向けている異常に重い感情の矢印を、即座に計算し尽くした。

ここで無理に引き離せば、三人は確実に壊れ、俺も共倒れになる。それを回避する最も合理的な"打算"として、母さんは俺たちを一つの"箱庭"に隔離する道を選んだのだ。


『……いいでしょう。ただし凉、あなたには三つの約束を守ってもらうわ』


母さんは俺に厳しい条件と責任を課し、俺自身の成長を促すための重圧を与えた。

中学卒業までは、それぞれの親の監視下に置くこと。

そして本来なら、中学卒業後に俺も両親の海外赴任に同行させる予定だった計画を、彼女はあっさりと白紙に戻したのだ。


『あなたたち四人の関係性を、凉の将来への”投資”と見なすことにしました。せいぜい、立派な箱庭を作り上げなさい』


大人たちの無責任な放棄と、母さんという絶対的な管理者の打算。

その上に成り立っているのが、俺たちのこの日常だ。

俺は、この三人の居場所を守るために、母さんのその冷たい投資システムに自ら組み込まれることを選んだのだ。


それが正しい判断だったのか、今でも分からない。

だが――あの時、あれ以外の選択肢はなかった。


「……それでも、守るさ」


俺はベッドの上で、自分の手のひらを強く握りしめた。

始まりがどんなに歪でも、打算の上に作られた関係でも構わない。誰に異常だと言われようと、俺たちは俺たちのやり方で、この世界を生き抜いていく。



――side. 宮藤 玲茄――


凉の家で夕食をとった後、私は自分の実家へと戻ってきた。


「ただいま」


リビングのソファに腰掛ける両親に、私は形だけの、温度のない挨拶を交わした。

彼らは、私の方をまともに見ようともせず、ただ気まずそうに「おかえり」とだけ呟いた。


彼らにとって、私はもう"理解できない壊れた娘"でしかないのだろう。

その無関心が、今はひどく心地よかった。


私は自室の扉を閉め、真っ暗な部屋の中で、ふぅ、と静かに息を吐いた。

そして、今日一日の最後の記憶を思い返し、暗闇の中で唇の端を吊り上げた。



――数時間前・放課後の化学準備室。


高良田を完全に屈服させた私は、その足で化学準備室へと向かった。

扉を開けると、そこには床に座り込み、抜け殻のようにうなだれている嵐田の姿があった。凉たちに完全に論破され、自らの正義を粉砕された後なのだろう。


「……なんの用だ、宮藤」


焦点の合わない目で私を見上げる嵐田に、私は歩み寄り、彼と同じ目線になるようにゆっくりとしゃがみ込んだ。


「先生。凉たちに随分とひどい言葉をぶつけられたんですね。……でも、私は知っています。先生が、本当に学校の風紀と生徒たちの未来を案じて、あのような行動に出たということを」


「お前……」

嵐田の目に、微かな光が灯る。自分の歪んだ正義を、まだ肯定してくれる人間がいたという縋るような光。


私はそれを優しく掬い上げ、私たちにとって都合の良い"偽りの救済"を囁いた。


「そこで、先生の愛する"正義"を全うする、最高に輝ける舞台があると言ったら――どうされますか」


「ぶ、たい……?」


「ええ」


私は、彼の耳元に唇を寄せ、その舞台のシナリオを優しく、甘く吹き込んだ。

嵐田はガチガチと歯を鳴らしながら、ただ力なく、その場に伏して泣き崩れた。


凉たちが折ったのは彼の"プライド"だ。だが、私は――


「……期待していますよ。先生の、正義の執行を」

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