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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第四章 汚された盤面と、それを拭う冷たい手
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双局のチェックメイト 前編

――side. 嵐田 脩平――


放課後の化学準備室。

俺はパイプ椅子に深く腰掛け、ブラックコーヒーを喉に流し込みながら、静かに息を吐き出した。


「……やはりな。俺の目に狂いはなかった」


今朝の応接室でのやり取りを思い返す。

二年A組の井神凉、宮藤玲茄、中里茉依、中里悠希。

成績優秀で生活態度も真面目だと他の教師たちは持て囃すが、俺は一年生の時からあいつらの関係を"極めて危険な兆候"として注視していた。


男一人に女三人がべったりと張り付き、常に自分たちだけの閉鎖的な世界に閉じこもっているあの異様な空気。


俺は知っているのだ。

ああいう、排他的で密着しすぎた男女のグループが、最終的にどのような末路を辿るかを。


かつて俺が新任だった頃、同じように"親友同士"と称して群れていた男女のグループがあった。彼らは閉鎖された関係の中で徐々に倫理観を麻痺させ、やがて痴情の縺れから凄惨ないじめへと発展し、一人の生徒の精神を破壊した。

あの時の、加害者たちの「自分たちは何も悪くない、特別な絆で結ばれているだけだ」と信じて疑わない虚ろな目。

井神たち四人の瞳の奥にあるものは、あれと全く同じ同質の狂気だ。


あんなものは、健全な学生生活とは呼べない。遅かれ早かれ必ず腐敗し、取り返しのつかない破滅を招く。


そう確信した俺は、正義のメスを入れるべく、あの"張り紙"を作成した。

「井神凉が三人の女子生徒と一つ屋根の下、不適切な関係を結んでいる」という文言は、彼らの閉鎖空間をこじ開けるための"荒療治"だった。


結果として、驚いたことに俺の懸念は事実だった。

学年主任の石川は「親が公認している」などと言い放ったが、親が許せば何をしてもいいわけがない。教育の場を汚し、いずれ自滅する生徒たちを放置するなど、教師の風上にも置けない無責任な態度だ。


張り紙の印刷に、俺は職員室のメインプリンタではなく、事務室のサブ機を選んだ。

職員室のログはシステム管理の目に入りやすいが、事務室のサブ機なら、事務員の退勤間際の隙を突き、ネットワーク越しに一時的にアクセスすれば、生徒はおろか他の教師の目にも絶対に触れない完全なブラインドとなる。

生徒が事務室の奥のプリンタを操作することなど、物理的にもシステム的にもあり得ないからだ。俺は"匿名"という安全圏から、正しい石を投げたのだ。


「恨まれても構わない。いつかあいつらも気づくはずだ。あの狂った依存から引き剥がしてやったのが、俺の教育だったと」


俺は空になった紙コップを握りつぶした。

生徒を破滅から救うという悲壮な覚悟と高揚感が、俺の胸を満たしていた。

準備室の扉の向こうで、俺の理屈を内側から崩壊させるための足音が近づいていることなど、知る由もなかった。



――side. 井神 凉――


放課後。人気のない化学準備室。

重いスチールの扉を開けると、パイプ椅子に深く腰掛けていた嵐田が、闖入者である俺たちを見て不快げに眉をひそめた。


「……なんだ、お前たち。放課後に突然教師の部屋へ押し掛けてきて、一体何の用だ」


嵐田は忌々しそうに腕を組み、面倒くさそうに、俺たちへ鋭い視線を向けた。


「金曜日に掲示板に貼られた、俺たちへの誹謗中傷の張り紙についてです」

俺は嵐田の目を真っ直ぐに見据え、静かに、だがはっきりと告げた。

「あれを印刷して貼ったのは、嵐田先生。あなたですね」


準備室の空気が、急激に下がった。


「……正気か、お前たち」


嵐田は組んでいた腕を荒々しく解き、ゆっくりと立ち上がった。その目に宿る光は、狼狽ではなく、教師としての絶対的な"怒り"だった。


「確たる証拠もなく、自分の気に入らない噂を教師の責任にする。……それがお前たちのやり方か? 親の庇護に隠れ、自分たちの狂った関係を正当化するばかりか、今度は私を犯人呼ばわりするのか!」


「言いがかりじゃありません! 先生がやったんですよね!?」


俺の横から、茉依が一歩前に踏み出した。

制服のスカートの裾を強く握りしめ、怒りと怯えの混ざった目で嵐田を必死に睨みつける。


「私たちをバラバラにするために、あんなひどい張り紙を……!」


「黙れッ!!」


嵐田の怒声が、狭い室内にビリビリと反響した。

茉依がビクッと肩を震わせ、たまらず俺の腕を掴む。俺は彼女を庇うように半歩前に出た。


「いいか、井神、中里。これは明白な教師への侮辱であり、名誉毀損だ。お前たちのように秩序を乱す存在は、教育の場を汚す害悪だ! その腐りきった関係性が、ついに周囲への攻撃性を持ち始めた証拠だな。……今すぐ学年主任と校長に報告し、お前たちを停学処分にしてやる」


嵐田がスマートフォンを取り出し、威圧するように画面をタップする。

俺は奥歯を噛み締めた。

これが、大人の持つ"権力"だ。事実がどうあれ、教師という立場を盾に取られれば、高校生など赤子の手をひねるように潰される。正論を振りかざす嵐田の気迫は本物で、俺たちの足元がグラリと揺らいだ気がした。


茉依は悔しそうに唇を噛み、俺の腕を掴む手にぎゅっと力を込めた。

感情のままに言葉をぶつけても、この大人が強固に築き上げた"理屈と権力の壁"には傷一つつけられない。自分ではこれ以上言葉を挟めないと悟った茉依は、すっと一歩後ろに下がり――俺たちの背後に静かに佇む悠希へと、すべてを託すように視線を送った。


嵐田の目が、勝利を確信したように細められる。

――だが、俺と茉依の背後に立つ悠希だけは、微塵も動じていなかった。



――side. 高良田 慎吉――


放課後の生徒指導室。

俺は自分のスマートフォンを操作し、裏で使っている匿名アカウントのメッセージ履歴を、完全に消去していた。


「……これでよし、と」


痕跡は残さない。常に自分が安全な場所に立ち、絶対的な優位性を持った状態でしか他者に干渉しない。それが、俺がこれまで社会という泥濘を上手く泳ぎ切り、密かに"旨味"を吸い上げ続けてきた絶対のルールだ。


脳裏に蘇るのは、今朝の応接室を出た直後の出来事だ。

誰の仕業かは知らないが、今回の張り紙騒動は、俺にとって最高の"カード"を場に落としてくれた。


親公認とはいえ、世間体を気にせざるを得ない井神たちの危うい立場。

俺は廊下へ向かう宮藤玲茄に、すれ違いざまに声をかけた。

「あの噂が本当なら、君の将来に傷がつく。もし井神に無理やり付き合わされているのなら、私が相談に乗るよ」と。


紳士的な"保護者"の顔。だが、彼女はいつも通りの冷たい表情で俺を一瞥し、周囲に気付かれないよう、すっと俺の傍に寄り、わずかに唇を動かしたのだ。


『……では、放課後に生徒指導室で、相談に乗っていただけますか?』


あの瞬間、俺の腹の底で歓喜が渦を巻いた。

だが、油断はしない。あの宮藤玲茄が、自分から助けを求めてきたのだ。何らかの打算があることは明白だ。


しかし、所詮は高校生の小娘だ。

学校という閉鎖空間において、生徒は絶対的な弱者であり、教師は生殺与奪の権を握る強者だ。彼女がどれだけ賢くとも、この"大人の権力と庇護"という社会的な構造には絶対に抗えない。

俺が庇ってやる代わりに、俺の言うことを聞け。俺だけの特別な生徒になれ。

証拠の残らない密室で、ゆっくりと理詰めにして、彼女のその高慢なプライドを剥がしてやる。


コンコン、と。

控えめだが、迷いのないノックの音が指導室のドアを叩いた。


「……入りなさい」


俺はスマートフォンをポケットの奥にしまい、完璧な"親身な教師"の顔を作って応えた。



――side. 宮藤 玲茄――


「よく来てくれたね、宮藤。……さあ、座りなさい」


カチャリ、と。

生徒指導室の扉を閉めた高良田は、内側から鍵をかけた。

密室。大人の男と、女子高生。彼が用意した"絶対的な安全圏"の完成。


私は促されるまま、パイプ椅子に浅く腰掛けた。

両手を膝の上で重ね、少しだけ上目遣いで彼を見つめる。


「高良田先生……私、どうすればいいんでしょうか。あの張り紙のせいで、周りの目が怖くて……」


声を少し震わせ、怯える小動物のように振る舞う。

高良田の喉がゴクリと鳴るのが分かった。彼は私の隣に立ち、その醜く湿った手を、そっと私の肩に置いた。


「大丈夫だよ、宮藤。君は何も悪くない。井神に無理やり付き合わされているんだろう? ……私が、君の味方になってあげるからね」


彼の顔が近づいてくる。タバコとミントタブレットの混ざった、吐き気のする臭い。

私は肩に置かれた彼の手を振り払うことはせず、むしろ少しだけ身をすくめてみせた。


「……味方。先生は、私を守ってくださるんですか?」

「そうとも。私なら、あの嵐田のような頭の固い連中から君を庇ってやれる。私の言う通りにしていれば、君の進路も、学校生活も、すべて安全だ」

「なんでも、言う通りに……?」

「ああ。まずは、君を縛り付けている井神から引き離してあげよう。……その代わり、君も私の期待に"特別"な形で応えてくれるね?」


高良田の指先が、私の肩から首筋へと這い上がろうとした、その時だった。


「なるほど。……"特別な形"、ですか」


私は、伏せていた目をゆっくりと上げ、足を組みながら、高良田と目を合わせた。

声音から先ほどまでの震えを完全に消し去り、凪いだ水面のような声で呟く。


「……え?」


「学校という閉鎖空間で大人の権力を使えば、生徒一人を自分の都合の良い"ペット"にすることなんて簡単なんだって。……先生はそう仰っているんですよね?」


予想外の言葉とトーンに、高良田の動きがピタリと止まる。その顔に、わずかな困惑が浮かんだ。


「宮藤……? 何を言って――」


「でも、不思議です。先生はいつも"絶対的な安全圏"からしか動かない。相手を支配するためのリスク管理は、とても徹底されているはずなのに」


私は、自分の首筋に触れようとしていた彼の手を、冷たい指先でそっと包み込むように撫でた。

途端に、高良田の体がビクッと強張る。


「……どうして今、自分が鍵をかけたこの密室に、先生自身の安全を脅かす存在を招き入れてしまったことに、気づかないんですか?」


「な、にを……」


「随分と見くびられたものです。先生のような三流の大人に、私の"居場所"が管理できるとでも?」


私は彼の手をゆっくりと、だが確かな力で払い除け、組んでいた脚を優雅に組み替えた。

そして、すっかり血の気の引いた間抜けな顔を、冷え切った眼差しで下から射抜く。


「さあ、始めましょうか。先生の"個人面談"を」

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