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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第四章 汚された盤面と、それを拭う冷たい手
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観測者と傍観者

――side. 佐藤 由希枝(二年A組担任)――


息詰まる面談を終え、自分のデスクに戻った私は、込み上げる徒労感を音のないため息に変えて吐き出した。


「……朝から、胃が痛いわ」


手元のマグカップに手を伸ばすが、中に入っていたコーヒーはすっかり冷めきっていた。


少し離れた席では、嵐田先生が他の教師を捕まえて「あの四人には去年から指摘していたんです」と淡々と語っている。その斜め向かいでは、高良田先生がパソコンのモニターを見つめながら、時折、なにかを計算するような冷ややかな目をしていた。


彼らの標的になっているあの四人の生徒――井神、宮藤、中里姉妹。

私のクラスの、成績優秀で、しかし圧倒的に"異質"な生徒たち。


担任になって半年。私は彼らの関係に踏み込むべきかずっと悩み、綿部くんや白峰さんに探りを入れたこともあった。けれど、結局は「何も問題が起きていないから」という理由で、静観を決め込んでいた。

教師としての線引きを言い訳にした、ただの優柔不断だ。


けれど、先日の"保護者面談"で、私は彼らを取り巻く環境の異常さを思い知らされることになった。

春に一度、海外にいる井神さんとオンライン面談を実施したときは、今年中に一時帰国するのでそのときに詳しく話しましょう、ということになっていたのだが――

そこで突きつけられたのは、想像だにしていなかった事実だった。


井神くんの母親である、井神智里さんの一時帰国。

それに合わせて学校に呼び出された、宮藤家と中里家の母親たち。

学年主任の石川先生と共に臨んだその面談の空気は、一般的な高校生のそれとはまるで違っていた。


『子供たちの現在の共同生活について、私たち親は合意の上で容認しています。学校側にご迷惑をおかけするような問題行動は、一切起こさせません』


冷徹なビジネスマンのような井神さんの言葉に、宮藤さんと中里さんの母親は、ただ頷くだけだった。


私はその時、気づいてしまったのだ。

あの二人の母親から、自分の娘に対する執着や愛情、あるいは心配といった"熱"が、ほとんど感じられないことに。

彼女たちは、家庭内で何らかの理由で娘たちの扱いを持て余し、それを丸ごと井神家に――井神凉という少年に"丸投げ"しているのではないか。


あの四人の関係は、純粋な若さゆえの暴走などではない。

大人たちの無責任と、井神智里さんという絶対的な管理者の思惑によって作られた、逃げ場のない"箱庭"のようなものなのだろう。


(あの子たちは……自分たちで自分たちを守るしかないのかもしれない)


嵐田先生は自らの正義を振りかざし、高良田先生は指導という名目はあるものの、どうにもきなくささを感じる。


彼らは何も分かっていない。あの四人が、どれほどの危うい均衡の上で身を寄せ合い、必死に日常を保っているのかを。


私は教師として、あの子たちを守らなければならない。

でも、どうやって?

私にできるのは、今日のように"親の公認"という盾を借りて、表向きの騒ぎを鎮火させることだけだ。それ以上、彼らの"内側"に踏み込む覚悟は、私にはない。


「……情けないなぁ」


冷たいコーヒーを一口飲み込み、私はパソコンの画面に視線を戻した。

せめて、これ以上彼らが理不尽な悪意に晒されないよう、担任としての防波堤にはならなければ。

そう自分に言い聞かせることしかできなかった。



――side. 石川 泰一(学年主任)――


「石川先生。……先ほどの件ですが、やはり生徒たちの間で噂が広まっている以上、彼らの関係性を見直すための措置をとるべきではないですか?」


私のデスクに近づいてきた嵐田が、まだ熱の冷めやらぬ様子で低い声を張り上げてきた。


「嵐田先生。応接室でも言った通り、彼らは保護者の管理下にあり、学校の規則を破るような問題行動は一切起こしていません。想像や憶測だけで生徒を罰することはできない」

「ですが、あの張り紙の画像が! あのような閉鎖的な関係を放置すれば、いずれ取り返しのつかない事態になりますよ!」


私はキーボードを叩く手を止め、嵐田を静かに見上げた。


「……問題行動を起こしていない生徒に、何を"正義"とし、どう"指導"するというのですか」


「それは……」

嵐田が言葉に詰まる。


「噂を信じて騒ぐ生徒を指導するのは構いません。しかし、教師がそれに乗じて特定の生徒を魔女狩りのように吊るし上げることは、私が許しません。……分かりましたね?」


私が低い声で告げると、嵐田は忌々しそうに舌打ちをして、自分の席へと戻っていった。


(正義感も、行き過ぎればただの暴力だな)


私は内心でため息をつきながら、今度は視線だけを動かして、別の男を観察した。

高良田慎吉。

嵐田のように感情的になることはないが、彼の奥底には巧妙に隠された"支配欲"が渦巻いている。特に、宮藤玲茄に対して。一年生の頃から、彼は決して自分の立場を危うくしない範囲で、彼女を自らのテリトリーへ引き込もうと画策していた。


今回の一件も、彼にとっては宮藤を呼び出すための絶好の口実に過ぎない。


私は、手元の資料から視線を外し、応接室での四人の姿を思い返した。


一年の頃、私が担任をしていた時の彼らは、まだどこか不安定だった。

互いに依存し合い、触れ合っていなければ崩れてしまいそうな、脆いガラス細工のような関係。

だからこそ、私は干渉しすぎないよう、慎重に見守ってきたつもりだ。


だが、二年になった今の彼らは違う。

あまりにも完璧に"完成"されているのだ。


今日、嵐田にあの張り紙を突きつけられた時の彼らの反応。

井神は怒りを見せかけた。中里姉妹は怯えてみせた。

だが、宮藤玲茄だけは違った。


彼女は一切の感情を排し、ただ盤面を見つめるチェスプレイヤーのような目をしていた。

そして、絶妙なタイミングで井神を制止し、私の介入を待った。


(……あの歪さは、自然発生したものではない)


誰かの強烈な"意志"が、あの四人の関係性を急激に強固なものへと作り変え、統率している。

佐藤先生は"井神が背負っている"と思っているようだが、本質は違う。


彼らをあそこまで完璧な要塞に仕立て上げたのは、おそらく、宮藤玲茄なのではないか。

少なくとも、そう疑うには十分だ。


あの張り紙を貼ったのが誰であれ、致命的なミスを犯した。

彼らはもう、大人に怯えて泣き寝入りするような子供ではない。

自分たちの"居場所"を脅かす外敵に対しては、容赦なく反撃するだろう。


(さて、どう動く?)


張り紙問題は今、生徒間でも"誰かのいたずら"で止まっているようだ。

それは、彼らが一年半ものあいだ、表向きは変わらずあのまま居続けているからだ。

今さら、あのような告発があったところで、すぐには火が付かないだろう。

しかし、これ以上の火種となれば教師も動かざるを得ない。


ただ、時間が経てば、それこそ他の生徒の保護者をも巻き込んだ大騒動に発展する可能性がある。

そうなった場合、彼らが身を置く異常な家庭環境は、問題視される可能性が高い。


だからこそ、私はあえて彼らを完全に庇い切ることはしなかった。

今この状態で不用意に介入すれば、彼らの均衡を崩す恐れがある。


嵐田の歪な正義感。

高良田の狡猾な欲望。


それらを、どうやって"処理"するのか。


「……私は、傍観者に徹させてもらうとしよう」


誰にも聞こえない声で呟き、私は再び業務に戻った。

嵐の前の、奇妙な静けさが、職員室を包み込んでいた。

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