第二章 第4話|語らぬ理由
霧が、ゆっくりと流れていた。
村の入口に人だかりができているのを見て、男は足を速めた。
胸の奥で、嫌な予感が形を変え、確信に近づいていく。
「……いたぞ」
誰かの声が聞こえた。
次の瞬間、視界の向こうに、小さな体が見えた。
地面に横たわり、誰かに支えられている。
泥と霧で汚れているが、間違えようがなかった。
男は、その場で立ち止まった。
息を吸うことも、吐くことも、忘れていた。
「生きてる。
気を失ってただけだ」
そう告げられて、ようやく足が動いた。
人の輪を押し分け、近づく。
息子は、目を閉じていた。
だが、胸は上下している。呼吸はある。
男は、安堵とも疲労ともつかない感情に、膝が抜けそうになるのを感じた。
「……籠が、あった」
誰かが言った。
足元に置かれた籠に、男は視線を落とす。
中には、草が入っていた。
雑多に、だが確かに――
薬草だった。
男は、籠の中身を一つずつ見ていく。
どれも見覚えがある。名前も、効能も知っている。
そして、その中に、あってはならないはずのものが混じっているのを見つけた。
息が止まった。
理由は分からない。
だが、理解はできた。
男は、ゆっくりと視線を上げる。
村の外れ、霧の向こう。
そこに広がるのは、樹海だった。
何も変わらない景色。
ただの森にしか見えない。
だが、男は知っていた。
――拒まれなかったのだ、と。
あの夜と同じだ。
欲を持たず、ただ助けを求めた者は、追い返されない。
「……ありがとう」
小さく、男は呟いた。
その言葉を、誰かに聞かせるつもりはなかった。
やがて、息子が目を覚ました。
ぼんやりとした目で周囲を見回し、籠に気づく。
「……あれ?」
息子が何かを言いかける前に、男はそっと肩に手を置いた。
「もういい」
それだけ言って、男は首を振った。
問いを、そこで終わらせるために。
そのとき、男は初めて、自分が父であることを強く意識した。
知っていることを、語らない。
分かっていることを、伝えない。
それが、この子を境界の外に留める、唯一の方法だった。
父は、息子を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
そして、誰にも気づかれぬよう、樹海の方へ向き直った。
深く、頭を下げる。
霧の向こうで、樹海は何も語らず、ただそこにあった。




