第二章 第6話|地図の余白
商人は、朝のうちに荷をまとめ、
宿の主人に礼を言って街道へ出た。
出立前に、
簡単な確認だけは欠かさない。
行き先。
距離。
宿の数。
そして、
地図。
革袋から取り出した地図は、
何度も折り返され、
角が擦り切れている。
街道は、太い線で引かれている。
宿場町には印があり、
通行料の目安も書き添えられている。
商人は、指でなぞりながら、
今日の行程を確かめた。
問題はない。
いつもの道だ。
その途中、
指先が止まる。
地図の中央付近に、
広い緑の塊が描かれている。
名前は、書かれている。
樹海。
だが、
それだけだ。
道は引かれていない。
距離も、日数も、値もない。
商人は、
しばらくその部分を見つめていた。
地図に描かれているということは、
存在は確認されている。
誰かが見て、
誰かが測り、
誰かがここに残した。
それでも、
書き足されなかった。
「……空いてるな」
誰に聞かせるでもなく、
そう呟く。
余白だ。
意図的なものか、
ただの放置か。
商人には分からない。
分からないが、
気にはなる。
もし、
ここに道が引かれていたら。
もし、
日数や宿が記されていたら。
商いは、
もっと楽になったかもしれない。
だが、
そうなっていない。
商人は、
地図を折り畳んだ。
余白は、
そこに残る。
だが、
使われることはない。
彼は、
それを残念だとも、
惜しいとも思わなかった。
ただ、
そういう扱いなのだと受け取る。
地図は、
世界のすべてを示すものではない。
使う場所だけを、
示している。
商人は、
革袋に地図を戻し、
荷車の取っ手を握った。
街道は、
前方に続いている。
標石も、
宿も、
人の流れも、
すべて揃っている。
余白のある地図を持ったまま、
商人は歩き出す。
その余白が、
何を意味するのかを考えるのは、
別の誰かの役目だ。
少なくとも、
今日の商いには関係がない。
荷車が動き、
街道の音が戻ってくる。
地図の余白は、
折り目の中に隠れたまま、
再び開かれることなく、
そこに在り続けた。




