第一章 Side魔女|樹海の奥にて
樹海の奥は、いつもと変わらなかった。
霧が低く流れ、湿った空気が地面に溜まり、木々は静かに立っている。
人の子どもが、倒れていた。
魔女は足を止め、しばらくのあいだ、その姿を眺めた。
呼吸は浅いが、まだ途切れてはいない。体力を使い切り、意識を手放しただけだと分かる。
「……また、か」
小さく呟き、近づく。
少年の傍らには籠が落ちており、中にはいくつかの草が雑多に入っていた。選別された形跡はなく、探し物が定まっていないことが分かる。
薬草を探していたのだろう。
理由までは、考えない。
魔女は少年の傍に膝をつき、声をかけた。
「こちらではない」
返事はない。
少し間を置いて、別の言葉を選ぶ。
「戻れ。人のいる方だ」
それでも反応はなかった。
魔女はわずかに首を傾げる。
「……この言語ではなかったかな」
長い時の中で、そういうことは何度もあった。
言葉は移ろい、形を変え、意味を失う。同じ音を使っても、通じなくなる。
魔女は少年の額に触れ、状態を確かめる。
樹海の気配に深く触れているが、まだ境界の内側で踏みとどまっている。
視線を籠に戻す。
中の草を一瞥し、探していたものが見つからなかったことだけを理解する。
魔女は周囲に目を向けた。
霧の下、足元や木の根元、湿った影の中に、いくつもの薬草が生えている。
用途はさまざまだ。
効くものもあれば、効かないものもある。
選別はしなかった。
魔女は手近なものをいくつか摘み取り、籠の中に入れていく。
人の子が何を求めていたのかは分からない。
だが、空のまま戻す理由もなかった。
指を軽く鳴らすと少年の体が宙に浮く。
そのまま樹海の中を歩く。
道を探す必要はない。境界の位置は、常に分かっている。
途中、強い魔物の気配が近づいた。
だが魔女の姿を認めると、それは足を止め、霧の向こうへと身を引いた。
頭を低くし、道を譲る。
やがて、空気が変わる。
人の営みが近づいた証だ。
村の入口付近で、魔女は足を止めた。
少年を静かに地面に横たえ、籠を傍らに置く。
「……あの村か」
声に出した言葉は、誰にも聞かれない。
何十年ぶりだったか。
数える意味もないほど前のことを、思い出しかけて、やめた。
魔女は少年を一瞥し、背を向ける。
樹海の方へと、一歩踏み出した。
霧が、すぐにその姿を隠した。




