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名を持たぬ魔女  作者: ささこ
暦200編

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第一章 Side魔女|樹海の奥にて

樹海の奥は、いつもと変わらなかった。

霧が低く流れ、湿った空気が地面に溜まり、木々は静かに立っている。


人の子どもが、倒れていた。


魔女は足を止め、しばらくのあいだ、その姿を眺めた。

呼吸は浅いが、まだ途切れてはいない。体力を使い切り、意識を手放しただけだと分かる。


「……また、か」


小さく呟き、近づく。

少年の傍らには籠が落ちており、中にはいくつかの草が雑多に入っていた。選別された形跡はなく、探し物が定まっていないことが分かる。


薬草を探していたのだろう。

理由までは、考えない。


魔女は少年の傍に膝をつき、声をかけた。


「こちらではない」


返事はない。

少し間を置いて、別の言葉を選ぶ。


「戻れ。人のいる方だ」


それでも反応はなかった。

魔女はわずかに首を傾げる。


「……この言語ではなかったかな」


長い時の中で、そういうことは何度もあった。

言葉は移ろい、形を変え、意味を失う。同じ音を使っても、通じなくなる。


魔女は少年の額に触れ、状態を確かめる。

樹海の気配に深く触れているが、まだ境界の内側で踏みとどまっている。


視線を籠に戻す。

中の草を一瞥し、探していたものが見つからなかったことだけを理解する。


魔女は周囲に目を向けた。

霧の下、足元や木の根元、湿った影の中に、いくつもの薬草が生えている。


用途はさまざまだ。

効くものもあれば、効かないものもある。


選別はしなかった。

魔女は手近なものをいくつか摘み取り、籠の中に入れていく。


人の子が何を求めていたのかは分からない。

だが、空のまま戻す理由もなかった。


指を軽く鳴らすと少年の体が宙に浮く。

そのまま樹海の中を歩く。

道を探す必要はない。境界の位置は、常に分かっている。


途中、強い魔物の気配が近づいた。

だが魔女の姿を認めると、それは足を止め、霧の向こうへと身を引いた。

頭を低くし、道を譲る。


やがて、空気が変わる。

人の営みが近づいた証だ。


村の入口付近で、魔女は足を止めた。

少年を静かに地面に横たえ、籠を傍らに置く。


「……あの村か」


声に出した言葉は、誰にも聞かれない。


何十年ぶりだったか。

数える意味もないほど前のことを、思い出しかけて、やめた。


魔女は少年を一瞥し、背を向ける。

樹海の方へと、一歩踏み出した。


霧が、すぐにその姿を隠した。

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