第一章 第4話|記録の揺れ
講義が終わったあと、少年はすぐに寮へは戻らなかった。
次の授業まで、少しだけ時間がある。
その程度の理由で、学園の資料室へ足を向ける。
重い扉を押し開けると、ひんやりとした空気が流れ出した。
紙とインク、そして古い魔法処理の残滓が混じった匂い。
ここはいつ来ても、時間の流れが違う。
少年は、奥の閲覧机に腰を下ろした。
目的は、先ほどの講義で扱われた時代の史料だ。
年表。
国史編纂書。
地方史の写本。
並べてみると、どれも似たようなことが書いてある。
帝国は拡張を進め、
やがて勢いを失い、
国境は安定した。
問題は、その「途中」だった。
少年は、何冊かを行き来しながら、同じ項目を探す。
――国境付近での軍事行動。
――侵攻の失敗。
ある本では、「撤退」とだけ記されている。
別の本では、「進行が止まった」と表現されていた。
戦闘の記録は、ない。
戦果も、損害も、はっきりしない。
「……揃わないな」
思わず、小さく呟く。
史料が古いから、という理由で済ませるには、
違和感が残る。
どの本も、結論だけは同じだ。
帝国はそれ以上、進まなかった。
だが、
なぜ進まなかったのか。
何が起きたのか。
そこだけが、避けられている。
少年は、挿絵のある本を手に取った。
国境地帯を描いた地図。
山脈、河川、街道。
そして、樹海。
その部分だけ、妙に簡略化されている。
描かれてはいるが、詳細がない。
危険地帯を示す印も、
他の地域と比べて控えめだった。
「描けなかった、というより……」
描かなかった。
そんな印象を受ける。
少年は、さらに別の資料を開く。
そこでは、樹海についての記述自体が、ほとんどない。
代わりに、
「自然環境の影響」
「補給の困難さ」
といった言葉が並んでいる。
どれも、間違ってはいない。
だが、どれも、核心に触れていない。
「揺れている……」
表現が。
言葉の選び方が。
同じ出来事を扱っているはずなのに、
どの記録も、同じ場所を避けて通っている。
少年は、椅子にもたれかかった。
誰かが、意図的に書き換えたようにも見えない。
検閲の痕跡もない。
それなのに、
揃っている。
揃いすぎている、と言ってもいい。
「偶然じゃ、ないよな……」
資料室は静かだ。
紙をめくる音と、遠くの足音だけが聞こえる。
ここには、答えはない。
だが、
「何かがある」ことだけは、はっきりしてきた。
それは、講義で感じた違和感と、同じ質感だった。
少年は、本を閉じ、元の位置に戻す。
これ以上読んでも、今は同じところを回るだけだろう。
資料室を出る前に、
ふと、別の棚が目に入った。
研究区分外。
専門課程向け。
立ち入りを禁じられているわけではない。
だが、自然と足が止まる。
そこに並ぶ背表紙は、
どれも古く、
どれも、樹海という言葉を含んでいた。
少年は、一瞬だけ迷い、
結局、その場を離れた。
今は、まだ早い気がしたからだ。
資料室の扉を閉めると、
外の空気が少しだけ暖かく感じられた。
違和感は、形を持ち始めている。
だが、
それに名前をつけるには、まだ足りない。
少年はそう思いながら、次の授業へ向かって歩き出した。




