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名を持たぬ魔女  作者: ささこ
暦500編

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第一章 第1話|歴史の時間

王立学園の講義室は、午後になると少しだけ空気が緩む。

午前の実技科目が終わり、剣も杖も置いた生徒たちが、長机に並んで腰を下ろす時間だ。


少年も、その一人だった。

特別に優秀というわけでもなく、問題児でもない。

ただ、決められた時間に教室へ来て、決められた席に座る、どこにでもいる生徒だった。


黒板の前に立つ教師は、年配の学者で、声を荒げることはない。

淡々と、しかし淀みなく言葉を重ねていく。


「では、次に扱うのは暦二百年前後の国際情勢です」


教室の空気が、少しだけ引き締まった。

この辺りの歴史は、試験にもよく出る。


「当時、隣国であった帝国は急速な領土拡張を進めていました。

 結果として補給線が伸びきり、内政も不安定になり……」


教師は黒板に簡潔な図を書き加える。


「最終的に、帝国は衰退の一途を辿ります。

 王国との大規模な戦争は起こらず、国境紛争も沈静化しました」


生徒たちは、頷きながら書き写す。

誰も疑問を挟まない。


「この時代に特徴的なのは、自然地形の影響です」


教師はそう言って、別の図を描いた。

国境線の一部を大きく覆う、濃い影。


「この一帯――現在も残る広大な樹海ですね。

 当時も、侵攻を阻む天然の障壁として機能しました」


少年は、何気なくその図を見る。

幼い頃から、地図で何度も見てきた形だ。


「危険な未開地であり、強力な魔物が生息するとされていたため、

 軍勢が深く踏み込むことはありませんでした」


教師の説明は、分かりやすい。

理屈が通っている。


「結果として、帝国は無理な拡張を諦め、

 王国は大きな被害を受けることなく、現在に至ります」


教室のあちこちで、ペンが止まる。

書くべき要点は、すでに出揃っていた。


――帝国は自滅した。

――樹海は防壁だった。

――王国は守られた。


整った話だ。


少年も、特に引っかかりを覚えなかった。

そういうものなのだろう、と受け取る。


「なお、当時の伝承や民間伝説については――」


教師は一瞬だけ言葉を選び、


「史実とは区別して考えてください。

 象徴的な表現や、後世の脚色が多く含まれています」


その中に、魔女という言葉が含まれていたかどうか。

少年は、はっきりとは覚えていない。


ただ、講義は滞りなく進み、

鐘の音が鳴り、授業は終わった。


椅子を引く音と、立ち上がる気配が教室を満たす。


少年はノートを閉じながら、ふと黒板を振り返った。

消されかけた図の中で、

樹海を示す影だけが、まだ残っている。


それは、昔の話のはずだった。

過去の出来事として、整理されたはずの存在だ。


けれど、

なぜかその影だけが、

今もそこにあるような気がした。

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